07/11/15 04:06:23 0
やっぱりラカンは切れ味抜群みたいですね。
取り敢えずwikiを参考にしてみると、
人間というものはそれ自体まずは空虚なベース(エス)そのものであって、
いっぽう自我とはその上に覆い被さり、
その空虚さ・無根拠性を覆い隠す(主として)想像的なものである。
確かにこれは全部片付きそうw
で、少し論点がズレるのですが、
古い空間-あっちの世界-コイルドメインはどうも
廃墟と化した(子供の)楽園、楽園に見えた・はずの/としての場所、
みたいな節が有る。アベノ橋魔法みたいな感じと云うか。
本編にそういった描写は無いので漏れの見当違いの可能性大ですが。
>>300 過去=思い出 なら、苦しみも無いかも
(子供達は)彼らの想像し得る楽園、
苦しみ/悲しみ/辛み/痛みの無い世界に行った、或いは作られたは良いが、
言わば引き換えに思い出を喪失、或いはそこには端から無かった。
外部との接触等何らかのきっかけ、或いはそれ自身で在る為に生得的に、
ヌルは苦しみの"種"を食べ続けると。苦しみを求める生き物とは
楽園にいる内は何も考えずに済んでいたのに、
何某か考え始め、根拠としての過去=思い出を求める者達となるのかな。
磯監督的に現代社会への批判も込めて。凡百で申し訳無い。
>>332
身体感覚は無限に広がり、
人の精神は相対的に「神経系が未発達」な状態に退行する。
うーん、流石、ドンピシャですね。
となるとやはり身体性の回復は主題の一つかな。
精神分析上のimagoと云うのは、
親(=最初の他者としておkなのかな)との関係から形成された理想的自我像、
らしいので、
イマーゴ持ちの子供は世界(親-社会)との関係が、
まともに構築されている場合でも機能不全でも何か有り、
その因子が特権的足る存在にしているのか。
だとすれば、ヤサコとイサコ様の家庭環境が気になる。対比的な描写も多いが
いずれも父親の存在が不明瞭、兄妹有りという点は近い。
ていうか、ラカンでもバリバリ出て来ますね、imago。
>>343 ペンローズな人キタ━(゚∀゚)━!!!!!
基盤というのは接続と差・ゆらぎの点で魅力的だけど、
どうもイマーゴは媒体という先入観が本編見てて有る。
デカルトとの違いが鈍感な漏れにはわからんww