07/11/14 12:27:07 0
鏡像っていうのは鏡に映った自分の似姿のことで、
我々はこの映像が「自分の姿」で「自分自身」でないことを理解している。
具体的に言えば、口元にご飯粒がついた「自分の姿」を見て鏡をこすり始めることはせず
「自分自身」の口元に手を持っていくことが普通の反応。(もっとも、実際に鏡が汚れているオチもある)
ここまでは常識の確認。
ラカンの鏡像段階理論はこの常識が当たり前ではないことを指摘した。
まず、通常の動物は鏡の映像が「自分の姿」だということすら理解できない。
次に、1歳から3歳くらいの幼児は鏡の映像を「自分自身」だと思ってしまい、
強い自己愛行動を取る。(鏡にキスしたり抱きついたりすごいよ)
この1歳から3歳の鏡の映像を自分自身だと思ってしまう状態が鏡像段階論のミソ。
ラカンは幼児の神経系が未発達で現実の体を認識できないためだと考えた。
(厳密に言うと部分的な興奮だけがあり統一した身体感覚を得ていないというべきなんだろうけど)
さて、ようやく本題だが「電脳コイル」との関わりを見てみよう。
この世界では「メガネ」というギミックを通して世界全体の鏡像が示される。
さらにはイマーゴ機能により身体感覚は無限に広がり、
人の精神は相対的に「神経系が未発達」な状態に退行する。
その時、視覚的なイメージとして現れる電脳体が自分自身だと
主体が錯覚する可能性は否定できるだろうか?
まぁ、鏡像段階論ぐらいまでだなぁ私が安定的に語れるのは。
現実界、幻想界、象徴界の概念までつっこめばもっと面白い話もできるんだろうけど。
あくまでもコンセプトの提示ってことで頭の良い人頑張ってください。