07/12/19 12:15:16 RZ0aGe/l
>>414
少佐はべつに自我が崩壊して逃げ込んだわけじゃないと思う。
むしろ崩壊したのは、分別などという自我の外側にある
身勝手で曖昧な装置そのものなのでは。
国家権力という分別を原理原則としたような側にいた少佐だからこそ
そういった自我の外側にあるものを全部振り払ったときに
自分は何者で、どこへ行くべきなのかという
人間としてもっとも根源的な問いに行き着き、その答えを求めての結果だと思う。
肉体と精神が不可分なものであるのか否かは、人間が答え(=分別)を出す前に
擬体化や電脳という科学によって、問いそのものを超越できる世界になってしまい
そこでは実存という概念なんて、ものすごく曖昧なものになってる気がする。
では、そこで人は一体、何に向かうべきなのか。
自我=ゴーストとはなんなのか。
人類の進化の果てに構築された広大なネットの海にダイブした少佐は
実は太古の地球の原始の海で同時多発した
生命の起源に還っていったようなものかもしれないとも思える。
そこはまさにスタンドアローン・コンプレックス。