08/06/15 00:49:12 Kwi5HOvr
★
「あ、雨だ」
ぽつんと鼻先に冷たい雫を感じる。
空を見上げると、鈍い光を受けた雨が線となって降り注いでいた。
あともうすこしで家に着くというのに。
徐々に強くなる雨が私の髪を濡らしてゆく。
腰まで届く蒼い髪が雨を含み、体にまとわりついた。
「むぅ、嫌な季節になったねえ」
『紫陽花色に光る雨』
6月も半ばを過ぎ、梅雨の季節を迎えていた。
連日降り続く雨のせいで、空は一面暗い雲に覆われている。
どこまでも続いてゆく暗い雲は、私の心まで覆ってしまいそうだ。
ずっと青空が見られないのは寂しい。
気分までどんよりとなりそうになったが、雨もたまにはいいことをしてくれる。
「今日は録画の時間変更しなくてもいいかな」
野球が中止になるからだ。
「かがみが横にいれば一緒に入れてもらうんだけど」
今、傘に入れてくれそうな人は横にいない。
かがみ達とはさっき駅で別れたところだ。
どうして別れた後で降り出すんだろう。
どうせなら、一緒にいるときに降ってくれればいいのに。
「何で傘持って来ないの、なんてまた怒られそうだけどね」
いつ雨が降り出すか分からない今の季節には、折りたたみ傘を持ち歩くのが当然なのかもしれない。
でも、かばんが膨らむので中には入れたくない。
折りたたむのが面倒くさいという理由もある。
手は濡れるし、一本一本骨を折りたたむ作業が大変だ。
誰かボタンひとつで簡単に折りたためる傘を開発してくれればいいのにといつも思う。
突然雨が強くなった。
愚痴を言っている暇は無さそうだ。
雨が制服に染み込み、徐々に体温を奪ってゆく。
衣替えも既に終え半袖の薄着ということもあり、肌寒さに身震いした。
6月に入り気温が上がったとはいえ、雨の日は急に涼しくなることもある。
「急がないと」
自慢の俊足で家を目指す。
一人雨に打たれながら走る自分の姿が、水溜りに映る。
─こんなとき側にいてくれたら
一抹の寂しさを感じながらも、これ以上濡れてしまわないよう先を急いだ。
128:18-236 『紫陽花色に光る雨』
08/06/15 00:49:50 Kwi5HOvr
★☆
昨日から降り続く雨が、今朝も駅舎を濡らしていた。
いつものように駅前で待ち合わせをしながら、止まない雨をじっと見つめていた。
「おーっす、こなた」
「こなちゃん、おはよう」
ざあざあと降り続く雨の音が頭の中で反響している。
かがみ達の声が、どこか遠くから聞こえてくるようだ。
「おーい、こなた?」
「……ああ、おはよう、かがみ、つかさ」
「元気ないわね。どうしたのよ?」
「ん、ちょっとね」
怪訝な表情でかがみは私の顔を覗き込んできた。
「ん、何?」
「ちょっとごめん」
そう言うと私の額に手を当てた。
ひんやりとしたかがみの手が心地よい。
「うわ、これは熱あるわね。ボーっとしてるから熱でもあるんじゃないかと思ったけど、その通りみたい」
「こなちゃん、大丈夫? 苦しくない?」
つかさが心配そうに身を乗り出した。
「これぐらい大丈夫だって。昨日ちょっと雨に濡れただけだから」
「苦しくなったら言ってね」
「うん。つかさは優しい娘だねえ」
そう言ってつかさの頭を撫でると、恥ずかしそうに笑った。
「まったく。雨の中ではしゃいでたんじゃないでしょうね?」
「むっ、双子なのにどうして姉の方はこうもがさつなのかねぇ?」
「悪かったわね、どうせ私はがさつで優しくないですよ」
頬を膨らませながら、そっぽを向いてしまった。
─ちょっと言い過ぎたかな?
腕を組みながら横を向いているかがみの様子を窺っていると目が合った。
「むふふ、心配してない素振りを見せながらも、さりげなく横目で私の体調気にしてるかがみ萌え」
「う、うるさい! 冗談言う元気あるんなら、さっさと行くわよ」
そう言うとかがみは先を歩き出した。
「あ~、待って、かがみ様~」
「様は止めんか」
私に気をつかってくれているのか、ゆっくりと歩いてくれている。
心配そうに後ろを振り返っては私のことを見てくれた。
時折目が合うとごまかすように前を向く。
そんな不器用なかがみの心遣いがとてもうれしかった。
129:18-236 『紫陽花色に光る雨』
08/06/15 00:50:04 Kwi5HOvr
◆
「─じゃあこの問題を、泉」
お昼も近い4時間目の授業を、ボーっとする頭で聞いていた。
どこかで私の名前が呼ばれた気がする。
「泉、おーい、泉、寝てんのか?」
耳元ではっきりとした声が聞こえると同時に、頭にゴスンと衝撃が走った。
「おおお、これが病人に対する仕打ちですか?」
「何や、いつもみたいに寝てんのかと思たけど、ほんまにしんどいんか?」
「ちょっとしんどいかも」
「昼までもちそうか?」
時計に目をやると、授業が終わるまでまだ30分以上あった。
授業が始まってからずいぶん長い時間経ったと思ったが、まだ20分しか経っていないことに驚いた。
このまま30分以上座り続けるのはさすがにきつい。
「うう、無理そうです」
そう言ってまたぺたんと机の上に顔を乗せた。
「あんまり無理しーなや。どうする、保健室行くか?」
「そうさせてもらいます」
「一人で大丈夫か?」
「まあ、なんとか」
「保健室の場所分かるか?」
「……大丈夫です」
思わずツッコミそうになったが、その元気も無い。
これも先生なりの気の使い方なのだろう。
確かに以前の私は保健室に縁が無く場所を忘れていた時期もあった。
しかし、ゆーちゃんがよく利用するようになってからというもの、自然と覚えてしまっていた。
机の上の教科書をまとめ席を立つと、不意につかさが立ち上がった
「先生、私保健室まで付き添います」
普段のおっとりした様子とは異なり、はっきりとそう告げていた。
「ああ、そうやな。途中で倒れたらあかんからな。ほんなら頼むわ」
先生の了承を得ると、早速つかさが私の側まで来る。
「あんまり無理しないでね」
「うん、ありがと」
みゆきさんも心配そうな目を向けてくれている。
普段余り意識することはなかったけど、こうやって心配してくれる友達がいることに胸が熱くなった。
これ以上無用な心配はかけたくなかったので、大丈夫だとみゆきさんに手を振った後一緒に教室を出た。
130:18-236 『紫陽花色に光る雨』
08/06/15 00:50:13 Kwi5HOvr
◆
「じゃあ、ゆっくり休んでね」
「うん。一緒に来てくれてありがとう」
「お姉ちゃんには、またあとで言っておくから」
「私と一緒にお昼ごはん食べられないからって寂しがらないように言っておいてね」
「えへへ」
そう笑い、つかさは保健室を後にした。
最後に見せた謎の笑顔が気になったが、今は何も考えずゆっくり休もう。
体の力を抜き、倒れるようにベッドに横になる。
自分の部屋とは違い、消毒薬のにおいが漂っている。
ベッドも真っ白で清潔だ。
火照った体で横になりながら、窓の外を眺めた。
朝から降り続く雨は、一向に止む気配を見せない。
一日中雨に降られたグラウンドには、大きな水溜りが出来ていた。
こんな雨の日に外で体育の授業を受ける生徒はいない。
誰一人いないグラウンドは、まるで生き物が活動を停止したように静まり返っている。
小さな花壇に咲く草花だけが、潤いに満たされ青々としたその姿を見せつけていた。
そのとき、ふと目の端に鮮やかな紫が映った。
もう一度その方向に目を向けると、紫陽花だった。
雨に打たれた紫陽花は蒼とも紫とも取れない色を見せている。
雨露をたっぷりと含み、ますます鮮やかになってゆく色がとてもきれいだ。
雨で霞む景色の中、まるでそこだけが輝いているようだった。
つかさが去ったあと、この部屋には誰もいない。
保健のふゆき先生も、用事で席をはずしている。
今自分の置かれている状況を思うと、急に寂しくなってきた。
しとしとと降り続く雨の中、一人だけこの学校に取り残されたような感覚に襲われる。
「かがみ……」
今は側にいない人の名を呼んでみる。
紫陽花の中に、かがみの姿が思い浮かんだ。
笑った顔、怒った顔、今朝私に見せてくれた心配そうな顔……
様々な表情が浮かんでは消えてゆく。
でも、どの顔も私を見守ってくれていた。
腕に抱かれたような安らぎを覚え、そのまま目を閉じた。
131:18-236 『紫陽花色に光る雨』
08/06/15 00:50:18 Kwi5HOvr
◆
─……
苦しくない?
うん、大丈夫
寒くない?
うん、かがみが一緒にいてくれるから
ずっとそばにいるからね
かがみ……
……─
耳元で聞こえる物音に、私は目を覚ました。
「あっ、起こしちゃったようね」
「……うぅん、かがみ?」
「よっ、気分はどう?」
未だボーっとする頭をもたげると、かがみがベッドの脇に座っていた。
なんだかずいぶん恥ずかしくなるような夢を見ていた気がする。
「顔が真っ赤ね。まだずいぶん熱があるのかしら?」
「……それは熱とは関係ないと思うよ」
「?」
「何でもない。今休み時間?」
「そう。お昼休みよ」
「お昼ご飯は?」
「みゆき達と一緒に食べた。あんたまだでしょ?」
「うん。寝てたみたいだから」
「ほんとよく寝てたわ。よっぽど疲れたみたいに」
「見てたの?」
「えっ、いや、ずっとって訳じゃないけど」
気まずいのか明後日の方向を向いた。
「寝てる人の顔を見るなんて、かがみのエッチ」
「なっ、……何がエッチよ。だいたい同じ性別なのに」
顔を真っ赤にしながら、もじもじしているかがみがおかしかった。
「そ、それにあんたが呼んだんでしょ?」
「私が?」
呼んだ覚えは全く無い。
もしかしてうわごとでかがみの名を呟いてたんだろうか。
そうだとするとかなり恥ずかしい。
「あ、あんたが寂しそうにしてるって聞いたから」
「誰に?」
「つかさ」
つかさ、なんという味な真似を。
「と、とにかく、ずっと寝顔見てて悪かったわね」
「ううん。別に気にしてないから。私もからかったりしてごめんね。私のこと心配して見に来てくれたのに」
「まあそうだけど。今日はずいぶん素直なのね。熱のせいかしら?」
「むぅ、せっかく素直に謝ってるのに」
「ふふっ、ごめんね。あんまりあんたがしおらしいから、つい。いつもこうだったらいいのにね」
「ふん、どうせ素直じゃないもん」
「そうやってふくれないの。ほら、お弁当持ってきてあげたから」
そう言ってかがみお手製だろうか、お弁当を差し出してきた。
132:18-236 『紫陽花色に光る雨』
08/06/15 00:50:26 Kwi5HOvr
「食欲はある?」
「うん、ちょっとだけなら」
「少しでもあるなら、ちゃんと食べなさい。チョココロネばっかり食べてちゃだめよ。少しでも栄養あるもの食べないと」
焼き魚と野菜という、質素ながらも栄養バランスの良さそうなお弁当だった。
「かがみが作ったの?」
「そうよ。味に関しては自信ないけど、栄養はあると思うわ。私の余った分で悪いけど、何も食べないよりはましでしょ?」
私のために自分のお弁当を少し残してくれたんだ。
そう思うと、胸から熱いものがこみ上げてきた。
それをごまかすように、私は口をあーんと大きく開けた。
「えっ、何?」
「あれ、かがみが食べさせてくれるんじゃないの?」
「ば、ばか。そんな恥ずかしいことできるか」
「でも誰もいないよ?」
「誰もいなくたって、恥ずかしいのは恥ずかしいのよ。それにあんた手は動かせるでしょ?」
どうしても食べさせてくれないみたいなので、少し芝居を打つことにした。
「どうせかがみは私なんかに食べさせてくれませんよ」
悲しそうに目をつぶり、不貞寝をした。
「なっ、そんなにいじけることないでしょう。分かったわよ、もう」
そう言うとお弁当の中からおかずを適当な大きさに切り分けて、口まで運んでくれた。
「はい、あーん」
「ノリノリだね、かがみん♪」
「そんなこと言うならあげない!」
「あ~、やめないでかがみ様」
「もう、冗談は言わないでよ。あと、様はやめい」
恥ずかしそうにしながらも、ちゃんと食べさせてくれた。
口に含んだおかずはごく普通のもののはずなのに、ともておいしい。
幸せな味が口いっぱいに広がった。
「かがみの愛情の味だね」
「恥ずかしいこと言うな」
顔を赤くしながらも、まんざらではなさそうだ。
そのはにかんだ笑顔が私を幸せな気持ちにしてくれる。
後ろで赤くなっている二人も、この微笑ましい私たちの姿を祝福してくれているに違いない。
……
「申し訳ありません、お取り込み中でしたか」
「こなちゃん、お姉ちゃん、どんだけー」
その声に私たちは固まった。
ここが誰もが入ってくる可能性のある保健室であることを忘れていた。
かがみは錆びた機械のように、ギギギと首を後ろに回している。
「い、いつからそこにいたの?」
「かがみさんが、はい、あーんとおっしゃったときからでしょうか」
かがみは頭を抱えてうずくまった。
「申し訳ありません、泉さんの体調が気になってしまって、つい。で、でも、これだけ甲斐甲斐しく看病してもらえれば、泉さんの風邪もすぐに治りますよね」
「……フォローになってないよ、みゆきさん」
「お姉ちゃん、こなちゃんと一緒に幸せになってね」
抱えていた頭をなんとか持ち上げ、かがみは説得に乗り出した。
133:18-236 『紫陽花色に光る雨』
08/06/15 00:50:32 Kwi5HOvr
「と、とにかく、誤解だってば!」
真っ赤になりながらかがみは必死に否定し始めた。
─そんなにむきに否定しなくてもいいのに
何だかその姿を見ていると、無性に悔しくなってきた。
「かがみんとの関係がこの程度だったなんて、悲しいヨ」
「そうよ、こなたも言って……ん、って何言ってんのよ、あんたは」
「かがみんの愛は見せかけの愛だったんだネ」
「ああ~もう、ややこしくなるからあんたは黙ってなさい!」
「みんなー、保健室では静かにね」
しばらくぶりに戻ってきたふゆき先生の一言で、その場は何とか納まりを見せた。
そんなこんなで一騒動あったあと、昼休みも終わりに近づいてきた。
「5時間目の授業は、この熱じゃ無理そうね。どうする、おじさんに迎えに来てもらう?」
ピピッと鳴った体温計を見ながら、かがみはそう提案してきた。
「ううん、お父さん今日仕事で出かけてて夕方にならないと帰ってこないから無理」
「そう。ゆたかちゃんに送ってもらうわけにもいかないか」
「ゆーちゃんも最近体調崩してるから無理させられないよ。送ってもらってもゆーちゃんの方が先に倒れそうな気がする。二人共倒れなんて嫌だよ」
「共倒れって……しかたない、私が帰り家まで送ってあげるわよ」
「えっ、でも悪いよ」
「あんたに途中で倒れられるよりましよ」
「病弱のヒロインを家まで送り届けるなんて、……かがみん、リアルで私を攻略するつもりだね?」
「ちゃかさないの。それに誰が病弱のヒロインだ」
「……ほんとに、いいの?」
「当たり前よ。さっさと休んで風邪治しなさい」
「……うん。ありがと」
「じゃあ、放課後またここに寄るから」
「うん」
ちゃかしてみせたけど、かがみは力強く私を送ってくれると約束してくれた。
かがみ、冗談じゃなく本当にフラグを立てちゃってるよ。
ゲームみたいに何かイベントが起こるのかな。
こういうシーンってどういうイベントが起こったっけ?
去っていくかがみの背中を見送りながら、これまでやった数々のゲームを思い出していた。
主人公がヒロインを家に送り届けて、家はたまたま親が仕事で遅くまで帰ってこなくって、……って○シーンに突入?
……駄目だ、自重しろ、私。
恥ずかしい妄想をしていると、熱が出てきそうになった。
○な妄想で熱出したなんてかがみに知られたら、一生の恥。
私は一生からかわれて、主導権を握ることができなくなる。
「……寝よう」
なるべく変なことは考えないよう、放課後まで寝ていることにした。
134:18-236
08/06/15 00:51:02 Kwi5HOvr
今日は以上です。
できれば明日にでも後半を投稿したいと思います。
6月をテーマに書いてみたのですが、梅雨・傘・紫陽花以外に
良いアイデアが浮かばず、ありきたりな6月のイメージになって
しまいました。
一瞬だけ登場する保健のふゆき先生ですが、キャラクターが
いまいちつかめなかったため、ほとんど出番無しです。
以前に投稿した『小さな足跡』は受験シーズン真っ只中の冬の
物語だったのですが、今回のはそれよりも前の話という位置づけ
になってます。
それでは。