07/12/10 00:34:52 jj7j0lYe
起こった事を端的に言い表すとあたしはキョンに見放された訳なのよ。
佐々木さんに負けたとはあたしは認めたくなかったし、負けるという言葉に反応してしまったのも理由の1つかもね。
負けたと思ったら自分がほんとうに惨めになるし、少しでも根性がねじ曲がっていたら逆恨みの原因にもなりかねないから。
あたしはこう考えたの。あたしに落ち度がいっぱいあって、それが原因にキョンに振られてしまい見放されてしまったのよ。
そう思うと胸の中のヤキモキはすっきりしてきた。あたしの胸に秘めていればアイツにも迷惑掛からないしさ。
今夜は一晩ず~っと泣いて泣いて過ごして、明日になったら一歩踏み出そう。
やがて学校を卒業して社会に飛び立つ日が来たけど、あたしはその群衆の中から"あの二人"が居ないように心に願った。
もっともこれはあたしの記憶違いだった様子で"あの二人"はあれから直ぐに学校を辞め、二人で事業を始めたらしかった。
その時はキャンパスでも噂になったねと、卒業の日に思い出話の1つとして語られたけどあたしには全然興味がない話だし聞きたくも
無かったから、耳をふさいでその場を立ち去った。
就職したのは地元の水産会社で家から近いと云うだけでなんの取り柄も無い会社だった。
あたしはここで頑張って輝いてみせるんだと思ったけど、これが意外に長続きしなかった。
切っ掛けはよくある話で上司や同僚とかと仕事で色々あったのよ。結局はみんな同じ方向に向かっているんだけど、その方法が回りく
どく非効率と感じたあたしは独断で改革してみようと思って行動した。
すると仕事の効率は上がったけど上司から独断は許さない、新入りのクセに生意気だと目を付けられた。
同僚の、あたしから見れば只のヒヨッ子連中は自分で物事を判断出来ないクセに上司へとなびいていった。
ここはあたしの居場所じゃないと思った時には辞表を出した後だった。2年ぐらいは働いたかな。
次に就職したのはまたも近所の惣菜製造の元締めをしている会社だった。ここは少し長かった。
商品企画グループに配属されたあたしにある程度の裁量が与えられ、惣菜物に関する独自の調査を行う事が出来て、自分自身の企画で
新製品を発表する事が出来た。小さな満足感は次の企画へのチャレンジ精神に変わり、次々へシリーズ化の展開を行って業界でも少し
名前が知られるようになったのはそれほど時間は掛からなかった。
でもある日、その会社の御曹司があたしに声を掛けてきた時からすっかり調子が出なくなった。色々と優しくはしてくれる人だった
し、悪い事は絶対考えもしない本当にいい人と思いはしたけれど、それだけでは社会に出られないと思った瞬間からその御曹司に冷酷
な対応を取ってしまう事になった。
もうこの会社では居られないと思ったあたしは思い立ったらと辞表を書いていた。3年ぐらいは働いたかな。
あたしの手元には昔からでは思いも付かないようなお金が残っていた。
大してお金が掛かるような事には使っていなかったし、そんな時間も無かったから手元に残っただけの話だった。
両親はそのお金を使って自分を磨いてそろそろ相手を見付けなさいと言ったけど、全然乗り気じゃなかったあたしは親の言う事も無視
して次の仕事を探していた。
色んな会社を受けてみたけれど、大きな会社では履歴書だけでハネられていた。人に言われて初めて気が付いたけど、自分の職歴に
書く内容の何と短い事。その上に実際に働いた年数も短かったから、あたしは根性無し新人類と見られているようだった。
そんな事があったから、発想の転換としてバイトから始めようと陳腐な行動をとったのも当然だと思う。