【ノーマル】ローゼンメイデンのSSスレ 8【一般】at ANICHARA
【ノーマル】ローゼンメイデンのSSスレ 8【一般】 - 暇つぶし2ch485:雪華綺晶はここにいる 3/38
08/07/02 00:50:55 Vu3UqG8N
「天使の貴女が私の命を使ってくれないから、二人目の天使が見かねて
 来てくれたのね、きっと。私を天国まで運んでくれるのよ。素敵よね」

「バカじゃない。つまり殺されるってことじゃないの」

怒りを面に晒しては品位に欠ける。それを良しとしない水銀燈は、胸に渦巻く激情を
秘め隠したまま冷えた眼差しをめぐに向けた。
めぐと語ったという姉妹の意図は、今のところ全く不明だった。
苦痛のない理想郷へ導くなどという子供騙しの甘言でめぐを釣ろうとしている思惑は
理解できなくもないが、たとえめぐと水銀燈が契約を交わしたとしても、その姉妹が
利することなど何も無い。それどころかかえって状況が悪化するだけだ。
なぜなら媒介を得た薔薇乙女の戦闘能力は増大し、結果的には水銀燈と敵対する
その姉妹の首を自ら絞めることにしかならないからだ。
そんなことも分からないほどその姉妹は愚鈍なのか、はたまた水銀燈とめぐの
2人を冷やかしに来ただけなのか。

「ねえ水銀燈…指輪の契約、交わしてよ。
 黒い天使の水銀燈と、白い天使のあの子の2人で
 私をこの世界から解放して欲しいの」

「……まんまと騙されて踊らされて。どうしようもないバカね、貴女って」

そう嘯きつつも、水銀燈の胸に去来するのは得体の知れない焦燥感だった。
目の前の死に取り憑かれた少女は水銀燈の心をかき乱す。
めぐが死を、自身の存在の消滅を願うたびに、水銀燈はなぜかいたたまれない気持ちになる。
得体の知れない薔薇乙女に誘惑されて、めぐが一層強く死にたがるという今の状況は、
水銀燈自身が下手人に愚弄された事実と等しいまでに不快であった。
水銀燈は猫なで声で契約をねだるめぐを軽くあしらうと、宙を飛んで病室の鏡の前で
静止した。

「どこに行くの? 水銀燈」

「そのふざけた妹を潰しにいくの。この水銀燈をからかった罪は死に値するわ」

めぐを一瞥する水銀燈の目には、まぎれも無い怒りと憎悪に満ち溢れている。
そんな恐ろしげな様子の水銀燈にひるむ事もなく、めぐは残念そうにため息をつくと
なぜか嬉しげな笑顔を浮かべた。

「そっか。殺しちゃうんだ、あの子。
 さすが水銀燈。黒い天使だから死神って訳ね。
 私の命も、そうやって刈り取ってくれればいいのに」

「……天使だの死神だの…私はローゼンメイデン第1ドールの水銀燈。
 想像をめぐらせるのは貴女の勝手だけど、現実と妄想の区別が
 つかない子はイカレてるようにしか思えないわ」

「またまた。すぐにそうやってはぐらかすんだから」

めぐはけらけらと笑い、水銀燈は不満げな面持ちの程をより一層強くする。
めぐが自分の命を使い切ってくれるように水銀燈に頼む度に、彼女はこうして
話を逸らしたり何らかの言い訳を見繕って願いをはねのける。
今ではこのやり取りも、お互い馴れたものだった。

「気をつけてね。負けちゃ嫌よ」

「…………」

めぐの声援に応える事無く、水銀燈は鏡を入り口としてnのフィールドへと進んでいった。

486:雪華綺晶はここにいる 4/38
08/07/02 00:53:25 Vu3UqG8N
同刻、薔薇屋敷にて。
瀟洒なテーブルを挟んで、翠星石と屋敷の主人である結菱一葉が椅子に座っている。
テーブルには両者の前に薫り高い紅茶を湛えたティーカップが置かれ、中央には瑞々しい
薔薇の花を生けた器が備えられていた。

「ジュンはチビ苺に甘すぎるのです。そんなことだからチビ苺がつけあがって暴走するです。
 真紅も真紅ですよ。雛苺の主なら家来のしつけはしっかりするべきです!」

「子どもは元気なのが一番だ。無理に押さえつけてはいけないと私は思う」

微笑んでささやかな助言を送る一葉に、翠星石はつんとそっぽを向いて容赦の無い
ののしりを浴びせかける。壁一面をガラス張りにあつらえさせたその部屋は
清潔な日光を余すところなく透過し、翠星石と一葉を温かく包み込んでいる。
ガラス越しに望む一面の薔薇園は、見ているだけで心が洗われるような明媚な眺めだ。
愚痴をこぼしながらもこうして茶飲みの相手を律儀に務めてくれる翠星石を前に、
一葉は心地よい時間を過ごしていた。



翠星石は帰り際にいつも、鞄の中で眠り続ける蒼星石の顔を見るようにしている。
鞄の中で身体を丸めたまま動かない蒼星石は、本当にただ眠っているだけのように見える。
魂を込められた生きた少女人形であるローゼンメイデンシリーズ。その一人の蒼星石は、
こうして動かない本来の人形になっていてもなお瑞々しい。
繊細な焦げ茶色の髪。薄桃色の唇。男装の麗人を思わせる凛々しいかんばせ。
不意に瞼を上げ、その澄んだ紅と翠のオッドアイを覗かせながら長寝を恥じ入って
そっと頬を赤らめる。そんな光景を翠星石は幻想して止まない。
壊れ物を扱うかのように、翠星石は蒼星石の頬に優しく手を添える。
翠星石の面持ちは穏やかで、微笑さえ浮かんでいる。しかし雨水を限界まで
溜め込んだ曇り空のように、危うい色が常にその面持ちに見え隠れしていた。
そんな翠星石の姿を後ろで見守っていた一葉は、いくらかの逡巡の後に、
かすれた声で尋ねた。

「蒼星石は…元に戻るのだろうか」

翠星石は後ろを振り向くと、申し訳なさそうにうつむく一葉を鋭く睨みつける。
愛らしい少女の顔には不似合いな、憎悪に満たされた眼差しだった。
しかしそんな目つきから、一瞬後には憎しみが霧散し、代わりに悲哀の色が
彼女の双眸を彩っていた。
蒼星石が魂の抜け殻になってしまった原因の大本は一葉にある。
一葉はその罪を悔い、せめてもの贖罪として蒼星石を紅茶を嗜む際に同席させ、
まるで植物状態の患者の意識を取り戻させるかのように彼女に声を掛け続けてきた。
一葉とて、蒼星石が復活することは翠星石と同様に悲願であるのだ。
それを知った翠星石は彼の意を酌んで茶会に同席し、一葉に対する憤りを
少しずつ赦しへと塗り替えてきた。

「―戻るです……戻るですよ。おじじ」

一葉とて、いたずらに翠星石を怒らせるために先のような質問を投げかけたのではない。
彼も真実を知り、希望をもちたいのだ。蒼星石の心が還ってくるという望みを。
それを悟った翠星石は、悲しみを紛らわせるように胸を張って普段の強気な口調を取り戻す。

「蒼星石のローザミスティカは水銀燈のアンチクショウがもっていきやがりましたが、
 翠星石達が必ず水銀燈から取り返すです。翠星石の意識も、nのフィールドのどこかを
 さまよっているはずなのです。絶対に連れ戻すですよ!」

堂々とそう言ってのける翠星石を前にして、一葉はしばし無言で彼女を見つめた後、
目礼でもするかのように目を瞑り、「よろしく頼む。翠星石」と力強く応えた。

487:雪華綺晶はここにいる 5/38
08/07/02 00:55:27 Vu3UqG8N
その頃、桜田宅。

「ふんふんふ~ん♪ お掃除しましょ~ぴかぴかに~♪」

桜田のりが鼻歌を口ずさみながら床に掃除機をかけていた。
掃除機の大きな駆動音にまぎれて、のりの歌声はほとんどかき消されている。
普段通りの上機嫌を保ったまま、のりが物置部屋の前まで掃除機を滑らせていくと、
彼女はある異変に気づいた。物置部屋のドアが開かれたままになっていたのだ。

「あらぁ~? 変ねぇ。いつもちゃんと閉めてるはずなのに…」

何気なく部屋の中を覗くと、入り口の正面奥にはいやおうなしに目に付く大鏡が
据えられている。
しかしその鏡面に映るのはのりの姿だけではない。不可解な存在も一緒に映っていた。
薄桃色の白い長髪に白い服。美しい容姿を具えているにも関わらず、その眼差しは
白痴のように虚空の一点を凝視したまま動かない。雪華綺晶だった。
全く予想していなかった異常事態に、のりの思考は空白と化し、身体は金縛りにでも
あったかのように動かない。
すぐ傍で硬直する人間の存在に気づき、雪華綺晶が首をかしげてのりの顔を見つめる。
彼女は悠然と笑って白い歯を晒した。金色の左目に狂気の入り混じった親しみの情が灯る。

「ウ キ ャ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ァ ァ ァ ~~~~! ?」

掃除機の騒音を遥かに上回るのりの絶叫が桜田家に轟き渡った。

「な、何だ!?」

ジュンが自室から飛び出し、階段を駆け下りて声の出所へ走る。
ジュンの部屋にいた真紅と雛苺も人間用の階段をそろそろと降りて、のりの元へと向かった。
のりは腰でも抜かしたかのように床にへたり込み、悲鳴の残滓を喉から搾り出している。
ジュンは耳障りな音を上げる掃除機の電源をオフにすると、事の次第を訪ねた。
遅れて真紅と雛苺の2人も到着する。

「か、かか鏡の中に…お化けがいたのぉ…!
 ゆ、幽霊がお姉ちゃんをじっと見てたわぁ……!」

震えながら自らの肩を掻き抱いて、のりは懸命にそう訴えた。
今にも泣き出しそうなその顔は、恐怖の程を言葉よりもなお雄弁に物語っている。
「幽霊ですって…?」と小さく声を上げ、意外に臆病な真紅の顔がわずかに引きつる。

「お化け? ゆうれい?」

特に臆した様子も見せずに雛苺が大鏡の前まで歩き、鏡を検めるがおかしなものは
何も映っていない。

「なにもいないわ、のり」

「そ、そんなぁ~~! お姉ちゃん、確かにこの目でぇ~」

座ったままそう訴えるのりの背中を雛苺がよじ登ると、雛苺は満面の笑みを浮かべて
小さな手でのりの頭を撫でる。

「のりってば怖がりなのねー。ヒナはゆうれいなんか怖くないわ!」

「大方掃除機かけながら夢でも見てたんだろ。姉ちゃんはいつもボケっとしてるからな」

488:雪華綺晶はここにいる 6/38
08/07/02 00:56:37 Vu3UqG8N
つまらない下らないとばかりに鼻を鳴らすと、ジュンはさっさと自室へ戻っていってしまった。
「信じて~ジュンく~ん」というのりのすがる声にも、ジュンはまるで取り合わない。
相変わらず怯えているのりに雛苺はまとわりついて思う存分にはしゃぎ、その一方で真紅は
左手を軽くあごに添えて黙考している。

「3人そろって何してやがるですか?」

背後からの不意の掛け声にのりがびくんと大きく震え、のりの肩に乗っていた雛苺がころんと
床に落ちて「きゃっ!」と可愛らしい悲鳴を上げる。
声の主は今しがた薔薇屋敷から戻ってきた翠星石だった。
妙な雰囲気の3人を見かねて声を掛けたのだ。せめて翠星石だけにでも信じてもらおうと、
のりは鏡の中に潜む亡霊を目撃した顛末を彼女に説明した。
話が進むにしたがって翠星石の表情は次第に明るくなっていき、話を聞き終えた後は
満面に喜色を浮かべ、興奮した様子でこう断言した。

「蒼星石です! きっとその子は蒼星石ですよ! 蒼星石が帰ってきたです!」

翠星石はのりが見た幽霊の正体を、nのフィールドでさまよっている蒼星石の意識だと
考えているのだ。身体に戻れずに困っているので、翠星石達が集まる桜田家を訪れ、
助けを求めに来たのだと翠星石はそう判断した。
蒼星石の復活を切望している翠星石の希望的観測の色は強いが、確かに可能性の
一つとしては考えられる。
真紅としても、鏡からのりを見つめ返したという幽霊の正体は、ローゼンメイデンの誰かでは
ないかという確信に近い思いがあった。
鏡の中の幽霊うんぬんというのりの言葉には不覚にも慄然としてしまったが、よくよく考えれば
鏡をnのフィールドの出入り口にしているのは幽霊などといういかがわしいモノではなく、
自分達薔薇乙女ではないか。

「のり。鏡の中にいた幽霊の姿形を、できるだけ詳しく教えて頂戴」

真紅の凛とした声に、のりはようやく冷静に物を考えられる程度の落ち着きを取り戻した。

「うう~~んと…。ほんの一瞬だけしか見られなかったからよく覚えていないんだけどねぇ。
 白っぽい色の髪をしてて、髪は長めだったと思うの。お姉ちゃんを見て、ニタッて
 笑ったのよぅ。怖かったぁ~…もう失禁ギリギリよぅ」

「う……。そ、蒼星石と似ても似つかんですぅ…」

傍から見ても気の毒になるほどに翠星石は肩を落とし、よく状況が飲み込めない雛苺は
「蒼星石が来たのね!」と翠星石の前言内容を鵜呑みにし、はしゃいでいる。

「何という不謹慎なのです! このおバカ苺! やっぱりオマエの頭は金糸雀以下なのです!」

唐突に怒り出した翠星石に追いかけられて逃げ回る雛苺には構わずに、真紅は思考を続ける。
のりの証言内容から考えるに、その薔薇乙女と思しき誰かは水銀燈か、ジュンの心の領海で
以前に見かけた謎のドールであると考えられる。どちらも白い長髪であるからだ。
水銀燈は前に物置小屋の大鏡を入り口として桜田家に攻め込んできたことがあるし、
他人を小馬鹿にするかのような彼女の不敵な態度は、のりに向かってニヤリと笑ったという
下手人の行為と一致する。犯人が水銀燈である可能性はかなり高い。
真紅達を陥れるための策略の一つとして鏡の中から桜田家を覗いていたと考えるのなら、
その計画の内容をつきとめて阻止しなくてはならない。蒼星石に続くアリスゲームの犠牲者は、
もう一人も出してはならないのだ。
もう一人の容疑者である謎のドールが犯人であったと仮定するなら、事態は水銀燈が
関わっている場合よりも一層由々しいものと考えざるを得ない。
件のドールは、その能力や思想や気性などの一切が不明だ。
謎のドールの正体はローゼンメイデンの第7ドールではないかと密かに疑っている真紅としては、
その実体を早急に掴んでおく必要がある。

489:雪華綺晶はここにいる 7/38
08/07/02 00:58:11 Vu3UqG8N
水銀燈と謎のドールのどちらが犯人であろうと、鏡の中に現れた理由と目的を知ることは
真紅にとって重要な急務だった。

「翠星石。雛苺」

未だに追いかけっこを続けている2人を呼び止めると、真紅は手短に自分の推理内容を
披露し、犯人をつきとめて桜田家を訪れた理由を問い質す必要性を説いた。
彼女達の不安を煽ってはいけないので、謎のドールに関しては極力言葉をにごし、
不審人物程度に説明を留めておいた。

「真紅すごいのよ~。くんくんみたいなの~」

雛苺のそんな反応に真紅はピクンと片眉を上げた。照れは隠しているようだが普段の
澄ました顔はいくらかほころんで、隠しようのない嬉しさがにじみ出ている。

「くんくんには及ばないにしても、私がその気になればこのくらいは造作もないことよ」

「おのれ水銀燈~! 蒼星石だけでは飽き足らず、今度は翠星石達のタマまで
 とりに来やがりましたか~!」

翠星石は、犯人の正体を蒼星石のローザミスティカを奪った怨敵・水銀燈だと思っている。

「さあ。ぐずぐずしていたら犯人に逃げられてしまうのだわ。さっそくnのフィールドへ
 向かうわよ」

蒼星石のローザミスティカをもつ水銀燈を懲らしめ、ローザミスティカを彼女から取り返すべく
意気込む翠星石以上に、雛苺はいつにも増してはしゃいでいる。全身を使って喜びを表現し、
その童顔には満面の笑みが輝いていた。
不思議に思った真紅がその理由を尋ねると雛苺曰く、
謎の犯人を捕まえてこれ以上の犯罪行為を食い止め、目的を自白させるというこれからの
行動はくんくん探偵のそれそのものである、と。
そんな雛苺の子どもじみた発言に真紅はハッとすると、彼女はやわらかい笑みを浮かべ、
労をねぎらうかのように雛苺の左肩に右手を乗せた。

「雛苺。この真紅の家来としての役割がようやく板についてきたようね。
 中々の仕事を働いたわ」

意図が不明な真紅の言葉に雛苺は困惑するが、真紅はそれに構わず恍惚とした表情で
二階のジュンの部屋へと向かっていった。
後に残された翠星石と雛苺はお互いに顔を見合わせるしかない。
しばらく後に真紅が2人の前に戻ると、彼女は探偵帽をかぶり、胸元を飾る紅いケープの
上に探偵ケープを重ねて羽織っていた。
桜田家に住む真紅達薔薇乙女が揃って熱を上げる人形劇の「くんくん探偵」。
その番組プレゼントに真紅が応募し、見事射止めたくんくん変身セットだった。
ジュンの部屋の本棚に大事に納められていたその宝物を持ち出し、彼女はくんくんを
想いながら廊下でそれを身に纏ったのだ。真紅の肩には小綺麗なポシェットが
下げられ、その中には彼女が集めた探偵必携アイテムがしまわれている。

「し、真紅…。その格好は…」

「犯人は私達が必ず捕まえるわ。そして見事事件を解決するのよ。
 私達、薔薇乙女探偵団が!」

拳を握り締める真紅に、「ヒナも探偵やりたいのよ~」と嬉しそうに飛び跳ねる雛苺。
そんな2人の様子を、やや引いて見つめる翠星石。

「良い点に気づいた雛苺には、探偵助手という名誉ある役目を与えてあげるわ」

490:雪華綺晶はここにいる 8/38
08/07/02 00:58:57 Vu3UqG8N
「うーいっ、ヒナジョシュやるのよーっ!」

真紅が差し出すポシェットを雛苺は嬉々として受け取り、大切な宝物であるかのように
胸の前で抱きしめた。探偵助手などという名前の役割を振られて彼女ははしゃいでいるが、
その仕事内容の実際は、真紅にとって都合の良い荷物持ちでしかない。
盛り上がる真紅達をよそに、動き回れる程度まで恐慌から回復したのりは困惑していた。

「ううぅ~……。お掃除は大体終わったけど、今度はお買い物に行かなくちゃならないわ…。
 お姉ちゃん、お化けが怖くて外なんか歩けないわぁ。
 ジュンくーん! お買い物に行くんだけど、お姉ちゃん怖いから付き合ってよ~う」

「一人で行けよバカ!」

階段下からののりの呼び掛けに、ジュンは部屋から一歩も出る事無くそんな返事をした。

「うう……。つれないのねぇ、ジュンく~ん…」

くすんと鼻を鳴らして、のりが買い物の支度のために物置部屋の前から立ち去っていく。

「さあ。事件解決のために! 薔薇乙女探偵団、出動よ!」

真紅の号令のもと、3人は意気揚々と大鏡からnのフィールドへと進んでいった。


隔たったフィールドとフィールドを繋ぐ暗黒の亜空間を3人は飛びながら先へと進んでいる。
真紅はくんくん探偵になりきってやる気に満ち溢れ、雛苺は真紅から預かったポシェットを
肩に掛けたまま楽しげに後に続いている。翠星石はやや2人の空気に乗り切れていないものの、
蒼星石のかたきである水銀燈を倒すべくその瞳に強い意志の光を宿している。

「籠目 籠目」

暗闇をわずかに震わせる澄んだ歌声が響き、見渡す限りの闇の海に呑まれて儚く消える。

「籠の中の鳥は 何時 何時 出会う?」

そんな声の主の問いかけにも、高速で空間を飛翔している真紅達は全く気づかない。

「夜明けの晩に 鶴と亀が 滑った」

千年生きるといわれる鶴と、万年生きるといわれる亀。
ともに長寿の象徴とされる縁起の良い動物だ。その2つが滑って死ぬという不吉な歌詞。
わらべ歌にあるまじき不気味で奇妙な凶兆を意味した歌だった。

「後ろの正面 だぁれ?」

誰にも気づかれることなく闇の中から真紅達の背中をじっと見つめる、炯々と光る金色の
瞳が一つ。
白い髪と白い服のその姿は、夜闇を漂う白い人魂のようにも映る。
実体をもたない精神体である雪華綺晶は、現実の中では存在できない幻の少女人形だ。
そのため、そこに在りながら気配を誰にも認識されることがない。
真昼の太陽の下を浮遊する透明な幽霊のような薔薇乙女である。
その眼差しに愛情と親しみとやわらかな殺意を孕ませて、雪華綺晶は遠ざかる3人の姿を
いつまでも静かに見つめていた。




491:雪華綺晶はここにいる 9/38
08/07/02 00:59:41 Vu3UqG8N
真紅達がnのフィールドへ出かけた少し後。
パソコンに向かってインターネットショッピングにいそしむジュンは、部屋の窓ガラスを叩く
ノックの音に気がついた。
音の出所を見やれば、日傘を片手に掲げて宙に静止する金糸雀がそこにいる。
彼女の意図を酌んだジュンは窓を開け、部屋の中へと入れてやった。
常に真紅達薔薇乙女がたむろしているはずのジュンの部屋が、今日はとても静かだった。
部屋の主のジュン以外には誰もいないからだ。

「ジュンジュン。真紅達はどこにいるのかしら」

「知らないよ。犯人を見つけ出す、とか妙なことを言ってたけど…」

部屋の本棚に納めてあったくんくん変身セットを真紅が持ち出す際、何に使うのかと
ジュンは何気なく尋ねてみたが、彼女は詳細を語らず、ただ犯人を見つけて事件を
解決する、としか言わなかったのだ。

「真紅達…またカナを仲間はずれにしてどこかへ遊びに行ったのかしら!
 この策士金糸雀を怒らせると後になって怖いのかしら!」

頬を膨らませてぷりぷりと怒る金糸雀を無視して、ジュンはネットサーフィンを再開する。
そんな様子のジュンに金糸雀は一層不機嫌になり、苛立たしげに腕を組む。

「ジュンジュン! お茶とお菓子を用意して欲しいかしら。この金糸雀がわざわざ
 足を運んできてあげたのに、それを無視する真紅達なんてもう知らないのかしら。
 平和のための話し合いをかねたお茶会も、カナ一人で始めちゃうのかしら」

「煩いな。下にティーセットとお菓子が置いてあるから、勝手に食べてればいいだろ」

「なっ、なんて冷たいのかしら!? もういいのかしら! カナ一人でできるんだから!」

そう言い捨てて、金糸雀はその顔に不満を露にしてジュンの部屋を出て行った。
階段を乱暴に降りる金糸雀の両目には、うっすらと涙が滲んでいる。

「皆でカナをバカにして…! やっぱりカナを分かってくれるのはみっちゃんだけかしら。
 ここまでコケにされて、黙って引き下がるほどカナはお人よしでも甘くもないのかしら。
 こうなったらこの家のお菓子を全部食べ尽くしてやるのかしら! 兵糧攻めかしら!」

『金糸雀……』

突然の声に、金糸雀は周囲をきょろきょろと見回すが、傍には誰もいない。
ただの思い違いか空耳だろうと考えて金糸雀がまた歩き出すと、再び奇妙な声が
金糸雀の胸に届く。
人や他の姉妹の声とは違う、心に直接響くような不思議な声だった。

「な、何かしら…? …………。分かったかしら! 真紅達かしら! どこかから
 カナをからかっているのね! そう簡単にはこの金糸雀は騙されないのかしら!」

金糸雀は近くの部屋を片っ端から覗き込み、天井も見上げるが、どこにも誰もいない。

『金糸雀…。来て。こっちよ』

正体不明の声に、金糸雀はだんだん恐怖を覚え始める。
姿は見えないのに声だけは聞こえるのだ。
これは前にみっちゃんの家のテレビで見た、人をたぶらかし冥府へと引きずり込もうとする
怨霊とかいう恐ろしい存在ではなかろうか。

「か、カナはもう負けを認めてあげるのかしら…。いい加減姿を見せるのかしら…。
 真紅。雛苺。翠星石…」

492:雪華綺晶はここにいる 10/38
08/07/02 01:00:42 Vu3UqG8N
声に誘われるまま金糸雀は恐る恐る歩を進め、声の出所であると思われる部屋まで
たどり着く。着々と募っていく恐怖と危機感が命じるままに、一目散にこの家から
逃げ出した方が賢明だっただろう。しかし謎の呼び声にはそれを許さない、不可思議な
魅力があった。まるで好奇心を直接揺さぶりかけるようでいて、心理を巧みに操る術を
熟知しているかのようである。
部屋のドアは背の低い金糸雀でも入れるように半開きになっていた。
まるで金糸雀が部屋に入ってくるのを見越していたかのように。
ドアを引いて中に入ると、そこにはぬいぐるみや玩具、額縁に入った絵画や何に使うのか
分からない奇怪なオブジェが山と積まれ、混沌の様相を呈して余りある。
そんな中で一際目を引きつける大鏡。その偉容に魅了されるかのように、金糸雀は
鏡の前まで歩いていく。
今の彼女の行動は、甘い匂いに釣られて食虫植物の口へと自ら足を運ぶ、
小虫のそれと大差がない。
その事実に金糸雀が気づかないのは、彼女が愚かしいからなのか、それとも声の主の
魔力によって思考の一部に霧がかかっているからなのか。
鏡の前に立った金糸雀の姿が、鏡面に映し出されている。
緑がかった灰色のロールヘアに赤い薔薇をあしらったハート型の愛らしい髪止め。
翠緑の瞳に桃色の頬。日の光を思わせる黄色の上着に、オレンジ色のドロワーズ。
そんな鏡の中の絵が揺らぎ、一瞬後には雪華綺晶のそれに切り替わる。
予想だにしない異変に金糸雀は声を失い、雪華綺晶はゆったりとした笑みを浮かべて
右手を開いて前にかざす。雪華綺晶の右手から伸びる白い茨は鏡面を通り越して
白蛇のように金糸雀の首に巻き付き、先ずはその悲鳴と助けを呼ぶ声を封じた。
苦悶の表情もあらわな金糸雀の全身を次々と茨が縛り上げ、彼女は何が起こったのか
理解する暇もなく、鏡の中の世界へと引きずり込まれていった。



蜘蛛が巣にかかった獲物を糸でがんじがらめにするように、金糸雀の全身は白の茨で
縛り上げられている。金糸雀は首を始めとした身体の拘束の痛みに耐え切れずに、
とっくの以前に気を失っていた。そんな金糸雀をいたわる慈悲など一片も見せず、
雪華綺晶は茨で束縛した彼女をずるずると引きずりながら暗黒の中を進んでいる。
雪華綺晶の顔には何の表情も浮かんでおらず、ただ爛々と光る金色の瞳が前を
見据えているだけだ。
現在の状況は雪華綺晶にとっては僥倖だった。ローゼンメイデンシリーズの大半が
集う桜田家を監視するべく、物置部屋の大鏡を覗き窓としていた彼女が、うかつにも
家の住民に見つかってしまったのは用心深く狡猾な彼女にしてはらしくない失敗だった。
しかしそんな損得勘定を度外視したある種の狂気が、雪華綺晶には備わっている。
一秒でも早く身を隠すべき局面でもなお相手に微笑む程度の異常性は。
しかし事態は雪華綺晶の思ってもみない方向へと進んでいく。何を思ったのか、
真紅、雛苺、翠星石の3人が揃ってnのフィールドへと入ってきたのだ。遥か彼方の
領域には水銀燈の気配まで感じる。昨夜、彼女の媒介候補に契約の誘いを
かけたことが水銀燈の心情に何らかの影響を及ぼしたらしい。
さらに好都合なことに、残りの金糸雀まで桜田家にやってきていた。
渡りに船とはまさにこのことだ。
彼女を利用してある計画を実行するべく、雪華綺晶は動くことにした。
実体をもたないアストラルより成る雪華綺晶は、nのフィールドの中では十全に
活動できても、現実世界の中では存在することが許されず、現実に及ぼすことができる
影響力も姉妹の中では格段に弱い。鏡の中から話掛けて相手の心を揺さぶったり、
現実と虚構の境界面である鏡の近くのドアを開いたりするだけで精一杯だ。
雪華綺晶は巧みに金糸雀を蟲惑し、彼女が内側に潜む大鏡の前まで招き寄せた。
四肢は物質化できないものの、霊体という身体の制約には関係ない具現化した
茨ならば現実側にいる金糸雀を絡め取って捕まえることが可能だ。
まんまと金糸雀の虚を衝いた雪華綺晶は、素早く金糸雀の手足を縛り上げ、こうして
nのフィールド側へと引きずり込むことに成功した。まずは上々の成果を収めた
雪華綺晶は、次の段階へと手を進めるべく金糸雀を闇の奥深くまで引きずっていった。




493:雪華綺晶はここにいる 11/38
08/07/02 01:03:20 Vu3UqG8N
「お姉さま。お姉さま」

少女の甘い囁き声が届き、金糸雀は目を覚ました。
まず気づいたのは辺りの暗闇だ。
気を失う寸前まで居た桜田家の物置部屋も薄暗かったが、今居る場所はそこの比ではない。
星一つない夜よりもなお暗い濃密な黒闇が、空間の全てを支配している。
ついで気づいたのは身体の節々をうずかせる鈍い痛みだった。
白い茨によって幾重にもきつく縛り上げられた金糸雀の身体には、その苦痛の痕跡を
感覚の上ではっきりと残している。
最後に気づいたのは闇の中に在ってもなお白くまばゆい少女の姿だ。
うっすらと笑みを浮かべ、左目には温情が満ちている。
その瞳の奥におぞ気立つような冷酷な色が潜んでいようと、彼女の本性を知らない
者にとってはかすかな違和感を感じ取る以外にその狂気を見破る術はない。

「あ、貴女は一体誰なのかしら…?」

おずおずと尋ねる金糸雀の質問に何の反応も見せず、雪華綺晶はただにやにやと
微笑むだけだ。
同性でさえも虜にしてしまいそうな美しく甘い笑顔。甘すぎて吐き気を催すほどの。
黙ったまま何も喋ろうとしない得体の知れない少女に、えもいわれぬ不安が金糸雀の胸で
増大していく。何とか自分のペースで話を進めようと、彼女は空元気を振り絞って
雪華綺晶を威嚇するかのように胸を張る。

「ひ、人に名を尋ねる前に自分から名乗るのが礼儀というものね!
 このカナとしたことがうっかりしていたかしら。
 ローゼンメイデン筆頭の策士金糸雀よ!
 貴女も一度くらいはこの名を耳にしたことがあるはずかしら」

「………誰?」

きょとんとした様子で首をかしげる雪華綺晶に、金糸雀は見事に出端を折られて
意気消沈する。彼女の名前が相手に覚えられていないということは、もうこれで
何度目だろうか。そんなにも金糸雀という薔薇乙女は姉妹の中で影の薄い存在
なのかと、快活な彼女をして落ち込ませるほどだ。
そんな彼女が見えていないかのように、雪華綺晶は自身を指差してうわごとのように
つぶやく。

「私はだぁれ?」

「え…? う…ええっと…。ば、バラバラの姉妹か何か…かしら…?」

そんな噛み合わない問答を経て、金糸雀は無性に帰りたくなった。奇妙な呼びかけで
彼女を誘い出し、ここまで引っ張り込んだのは状況から考えて目の前の少女だという
ことは明らかだ。そんな不気味なことをする下手人と暗闇の中で2人きりというこの状況。
それでもなお安穏としていられるほど、金糸雀の肝は太くもなければ馬鹿でもない。
それに何より、この少女はどこか怖いのだ。乱暴な言葉で威嚇するわけでも武力を
突きつけるでもないが、正気を疑いたくなる奇矯な態度と、左目の瞳を覆う慈愛の
ヴェールの先に時折垣間見える、尋常でない何かが金糸雀の背筋を凍えさせる。
帰りたくなっても、nのフィールドの出口の場所はおろか自分が今どこにいるのかさえ
分からないことに、今更ながら金糸雀は気がついた。

「お姉さまは可哀想」

「えっ…? お姉さまって…カナのことかしら? 可哀想って突然何を言ってるのかしら?」

「認めてもらいたくても認めてもらえない可哀想なお姉さま。誰にも愛でられず、
 小さな籠の中の世界で、届かない唄をさえずり続けるか弱いカナリア」

494:雪華綺晶はここにいる 12/38
08/07/02 01:06:12 Vu3UqG8N
雪華綺晶の紡ぐ言葉は抽象的で、金糸雀には彼女が何を言っているのか
半分以上理解できなかったが、それでも「認められない」と「か弱い」という2つの
フレーズは金糸雀の頭に強く響いた。
そしてそれらの発言は自尊心が高い金糸雀を怒らせるのに十分なものであった。

「なっ、何を言うのかしら!
 カナにはみっちゃんがついてるし、雛苺だって友達かしら!
 カナのパワーだって、ローゼンメイデンの中で一番かしら!」

肩を怒らせる金糸雀を見て、雪華綺晶はやわらかく微笑む。
雪華綺晶の発言は当てずっぽうではない。実体をもたない幻影の人形という点で
他のドールズとは一線を画す彼女には、相手の心理状態が実際に目に見えるのだ。
金糸雀はああ嘯いていても、雪華綺晶にははっきりと見えている。
彼女が他の姉妹達から軽んじられ、その力を認められていないこと。
そして自分の実力に不安があるから、策略などという力に頼らない手段に訴えていること。
彼女の心の奥底に秘め隠された僅かな劣等感を、雪華綺晶は的確に見抜いていた。
金糸雀が憤怒するのは、図星を指されたことを無意識のうちに否定したいがためだった。

「私は貴女を救いたい。貴女の力となりたい。お姉さま」

やわらかく瞼をおろした雪華綺晶は、穏やかな笑みを浮かべて優しくそう伝えた。
目上の者に敬意を表するかのように、彼女の開かれた左手は自身に胸元に
そっと添えられている。
そんな雪華綺晶の言動に、金糸雀はやや心を許してしまう。
金糸雀の目の前の白い少女は、確かにその行動と雰囲気に不審な点も多いが
こうして彼女を仰ぐ態度を示し、「お姉さま」などと呼んで敬っている。
「力となりたい」という言葉からも、彼女が金糸雀に助力しようとする意思をもっている
ことは確かだろう。先の失礼な発言も、彼女の性格によるのかもしれない。
姉妹の中でも目下に見られがちな金糸雀が下手に出られるというのはかなりの珍事であり、
同時に彼女の自尊心をくすぐる喜ばしいことでもあった。

「……まあカナも戦略の手札が増えるのは嬉しいし、貴女がカナの仲間になりたい
 ならやぶさかでないのかしら。カナを尊敬して協力を惜しまないというのなら
 カナの妹分にしてあげてもいいのかしら」

腕を組んで得意気に話す金糸雀を見て、雪華綺晶は悠然と笑う。
その艶然とした笑顔の裏には、周到に騙した相手を頭から丸飲みにする大蛇の如き
禍々しさが巧妙に隠されていた。

「はい。お慕いしています。黄薔薇のお姉さま」

陶然とそう呟いた雪華綺晶は、金糸雀のあごに手を添えると、刹那のうちに唇を
重ね合わせていた。唇をふさぐ唇の感触に覚える違和感よりもなお金糸雀の
心を捉えて放さないのは、彼女の右目に映る雪華綺晶の澄んだ金色の瞳だ。
その虹彩の奥に潜む曰く言いがたいおぞましい感情を、金糸雀は文字通り
至近距離から覗き込むことになった。
恐怖に凍える金糸雀の手先は震え、その膝は無様に笑い、唇を押し付けられたまま
彼女は動くことができない。
雪華綺晶の左目には恋する乙女のような、恍惚とした色が浮かんでいる。
その理由は金糸雀とのキスをただ愉しんでいるのか、それとも震え上がって動くこともできない
彼女の姿に歪んだ愉悦を見出しているのか。
雪華綺晶が唇を離して解放すると、金糸雀はその場にへたり込んで自分を見下ろす
白い少女の顔を見つめ返す。
その笑顔に大切な何かが決定的に欠け落ちているのに気づき、金糸雀はようやく悟った。
彼女が金糸雀に敬服しているどころか、猫が捕まえた獲物を死ぬまでなぶり続けるように
ただ金糸雀を手のひらの上でもてあそんでいたということを。
遅ればせながら自分の誤解と白い少女の内面に巣食う狂気に気づいた金糸雀は
その場から逃げ出そうとするが、なぜか手足が痺れてまるで動けないことを知った。

495:雪華綺晶はここにいる 13/38
08/07/02 01:08:35 Vu3UqG8N
「あ…あれれ…? どうしてかしら…? カナ、全然動けないのかしら…」

座った姿勢のまま困惑した面持ちで呟く金糸雀を、雪華綺晶は正面から優しく抱きしめる。
目を閉じて微笑むその顔は掛け値なしの慈愛の色で彩られていた。
白い少女のやわらかな抱擁に、金糸雀の胸でわだかまっていた不審や恐怖といった
負の感情が霧散していき、後に残ったのは心地良い安心感だけだった。
金糸雀の視界を覆う薄桃色の白髪と純白のドレスはまるで深い霧の中をさまよう
かのようなイメージを彼女に与え、その思考を白濁させ全てを白く塗りつぶしていった。

「お姉さまたちに伝えにいきましょう。貴女の想いを。貴女の力を。
 私が助けてあげる。私がついていてあげるから。
 優しい夢に抱かれて踊り続けなさい。それはきっと、とても楽しいから」

そんな甘い無垢な囁きに、金糸雀は安心して瞼を下ろし、雪華綺晶の見せる
幸せな夢の中に沈み込んでいった。



nのフィールドの中の一つの世界を水銀燈は当てもなく飛翔していた。
彼女の眼下には洋風の建築物が無数に近いほど建ち並び、そこに住むはずの人間は
一人もいない。
めぐの病室に昨夜現れたという姉妹を倒すべく、こうしてnのフィールドへとやってきたはいいが、
肝心の下手人の姿がどこにも見当たらない。
ヒステリックなところがある水銀燈の紅い双眸は、怒りと苛立ちで赤く燃えたぎっている。
薔薇乙女は互いの気配を大まかに察知できるため、病室の鏡を出発点として移動の
痕跡をたどり、咎人の気配を追っていけば制裁は簡単に達成できると水銀燈は思っていた。
しかし実際には罪人の足跡はおろかその気配さえもまるで掴めない。
水銀燈が無能だからではない。本当に痕跡も気配も全く無いのだ。ありえないことだった。
下手人は病室の鏡に突然湧いて出て、そして煙のように存在ごと消え去ったというのか?
それではまるで幽霊か何かではないか。物理的にも論理的にも考えられない、非現実的で
不可思議な事件だった。

「何だっていうの…? まったく…!」

犯人の行方は杳として知れず、解決のめどもまるで立たない。迷宮入りしてしまった事件を
前にして、水銀燈は悔しさと腹立たしさに歯噛みし、我知らずそんな言葉を漏らす。
このまま無限に続く平行世界を当てもなく探索していても埒が明かない。
一度病室に戻り、態勢を整えなおそうかと水銀燈は考え始める。
その時だった。

「……!?」

今いる場所からそう遠くないフィールドで、薔薇乙女の強い力の奔流を水銀燈は感じ取る。
昨日の今日で、フィールド内で大きな動きを見せている姉妹の誰か。
これは状況から見て水銀燈が捜し求める下手人以外にはありえない。
待ちに待った犯人のしっぽを遂に掴んだ水銀燈は、その端整なかんばせに獰猛な笑みを
浮かべて舌なめずりをする。

「そこを動くんじゃないわよ…今すぐジャンクにしてあげる!」

方向転換をした水銀燈は、めぐを誘惑し自分を愚弄した度し難い愚か者を誅戮するべく、
全速力で標的の居場所へと飛んでいった。




496:雪華綺晶はここにいる 14/38
08/07/02 01:11:05 Vu3UqG8N
nのフィールドへと犯人探しに乗り出した真紅、雛苺、翠星石の3人だったが、意気込みこそ
したものの成果らしい成果は何も上がっていない。
なぜならば犯人の足取りが全く掴めないからだ。
同じローゼンメイデンの誰かの仕業だと考えていた真紅だが、下手人と思しき姉妹の
気配はまるで感じられない。報われない探索に疲れ果てた3人は、テーブルやベッド、
衣装棚やソファーといったありとあらゆる家具が並べられたこのフィールドで休憩をとっている
最中だった。

「真紅…。水銀燈の奴は一体どこにいるのです…?」

「静かになさい。今考えているのだから」

疲労もあらわな翠星石の声などどこ吹く風とばかりに、真紅は澄ました顔のまま、椅子に
腰を落ち着けている。真紅の小さな口にはパイプの吸い先が銜えられ、まるで優雅に煙草の
味と香りを愉しんでいるかのようだ。ただしそのパイプには煙草の葉も入っていなければ
紫煙もくゆっていない。それもそのはずで、彼女が手にしているパイプは本物を模したただの
玩具なのだ。それは真紅が蒐集した探偵必携アイテムの一つで、こうしてパイプを銜えて
みることで真紅は偉大なくんくん探偵を追想し、彼の推理力を肖ろうとしているのだ。

「真紅ーっ。もうヒナ疲れたよー。もう手が動かないのよー」

真紅の隣では、雛苺が彼女に向かって懸命に扇子をあおいでいる。この扇子も、真紅が
集めた必携アイテムのうちの一つだった。人間用に設計された扇子は軽量であっても、
それを使うのが幼児のように小さな薔薇乙女とあっては、扇子の重量とあおぐための運動は
いささか過酷であったかもしれない。姉妹の中でも特に非力な雛苺が担い手とあっては
なおさらだ。

「弱音を吐いていてはこの真紅の探偵助手は務まらないわ。雛苺。
 しっかりと仕事を果たしなさい」

「うう~~…。ジョシュのしごとは大変なのよ…」

「ま~ったく…。とんだ名探偵がいたもんですぅ…」

探偵助手という役職名に踊らされてまんまとこき使われる雛苺と、椅子に座ったまま
名探偵を気取る似非探偵の真紅を一瞥し、翠星石は深々と嘆息をする。
ぶつぶつと毒づく翠星石には耳を貸さず、真紅は思考の中に没入する。
薔薇乙女は互いにその位置と気配を大まかに知ることができても、限界というものはある。
お互いに離れすぎていると気配が分からなくなってしまうのだ。
真紅達が知る由もないが、今この瞬間にも水銀燈はnのフィールドの中を飛翔している。
しかし互いの空間的距離が隔たりすぎているために、真紅達も水銀燈も互いにその存在を
感知することは不可能だった。
真紅がくんくん変身セットを持ち出して身に纏うために多少はもたついたといっても、
のりが犯人を目撃してからほとんど間を置かずに犯人の探索と追跡を開始したのだ。
そのわずかな隙に下手人は位置を感じ取れないほど遠くへ逃げてしまったというのか?
そうだとしたら犯人は大した逃げ足の持ち主であると推測される。
もしくは探偵を謀り煙に巻いて翻弄する怪盗さながらに、気配を遮断し隠れ場所を
全く悟らせない未知の能力でももっているというのか? そんなことがありえるのだろうか?
そんな突拍子もない仮定が真紅の頭に閃きかけた時、彼女はある異変を察知した。
遥か彼方の領域に感じる、薔薇乙女の力の発露を。

「雛苺! 翠星石! 犯人の手がかりをついに見つけたわ!」

勢いよく椅子から立ち上がった真紅を見て、翠星石がげっそりとした表情を浮かべる。

「ま~た真紅の妄想が始まったですぅ……」

497:雪華綺晶はここにいる 15/38
08/07/02 01:13:35 Vu3UqG8N
捜査を開始して真紅が見つけたと騒いだ「手がかり」は10個以上。そのうち、事件解決に
役立ったものは一つとしてない。全て真紅の思い違いと勘違いによるものだ。それに度々
付き合わされた翠星石としては当然の感想であった。

「捜査に必要なのはッ! どんな小さなことも見落とさないッ! 観! 察! 力!」

拳を力強く握り締め、心酔するくんくんの口癖を昂然と叫ぶ真紅。
その大声に、体力を消耗して手近なベッドにうつ伏せになったままの雛苺が
のっそりと顔を上げた。

「真紅。犯人たいほ…なの?」

「そうよ雛苺ッ! さあ貴女達! しっかり頭を働かせて姉妹の気配をさぐって
 御覧なさい! ここから離れたフィールドに薔薇乙女の力を感じるはずよ!」

尋常でない様子の真紅に圧倒されて、2人が彼女の言われたとおりにしてみると、確かに
かなり遠い位置の世界に薔薇乙女の力が存在している事を感じ取ることができた。

「本当なの! 真紅すごいのよ!」

決定的な手がかりを掴んだことで、滞っていた調査が一気に進展したことに喜ぶ雛苺は
たまっていた疲労も消し飛んだらしい。はしゃいで回る雛苺の様子に、真紅はより一層
気を良くする。そんな2人とは対照的に、翠星石は頭に沸々と湧く不審な点と違和感を
反芻した後、おずおずと口を開いた。

「少し待つです、真紅。翠星石もさっきからちょくちょくローゼンメイデンの気配を
 さぐっていましたが、全然見つからなかったのです。
 何で今いきなり気配が現れるです?何かおかしくねーですか…?」

翠星石の言い分はもっともだった。姉妹の存在を確認できる限界距離の内側に犯人が
潜んでいたのなら、今まで見つけられなかったはずがない。実際に気配は感じなかったの
だから、犯人は限界距離の外側まで逃げてしまったと考えるのが妥当だ。
しかし今になって、かなり離れた位置に姉妹の存在を翠星石達は感じている。
下手人のいる場所はここからかなり遠い。
この距離は、存在を感じ取れる限界距離を大幅にオーバーしているのではないか?
まるで目視できる距離を遥かに超えた先にある山が噴火し、大地を揺らす圧倒的な
威力の振動によってその噴火を感じ取るかのようだ。
その違和感を論理的に説明できるほど翠星石は賢くなかったし、たとえできたとしても
冷静さを欠いている今の真紅はまともに聞き入れはしなかっただろう。
雛苺はそもそも彼女に高度な論理的思考など期待する方が馬鹿げている。

「そんなことはどうでもいいの! 犯人が動き始めたからに決まっているでしょう!
 さあ! 犯人がまた雲隠れしてしまう前に、さっそく現場へ向かうのよ!
 私達薔薇乙女探偵団の初陣を、見事勝利で輝かせるために!」

「う…初陣って…こんなアホらしーことまた繰り返すつもりですか…?」

事件の解決と犯人確保という探偵冥利に尽きる至福の瞬間。それを目の前にして
常に真紅に漂う淑やかな雰囲気は微塵も残さず消し飛び、今や躁狂の程を呈して有り余る。
興奮もあらわな真紅の先導に、雛苺は満面の笑みを浮かべて続く。
翠星石はそんな興奮状態の真紅に呆れつつも、憎き水銀燈から蒼星石のローザミスティカを
取り返すべく、決意も新たにして真紅の隣を飛翔する。
翠星石は自分の感じた違和感の正体を熟考し、真紅は翠星石の発言内容を冷静に
吟味するべきであった。姉妹の存在を感じ取る限界距離の遥か外側から薔薇乙女の
力を感じ取るという矛盾。その真相はつまり、真紅達が目指す場所に構える者が
広大な空間距離をも越えて伝播させるほどの巨大な力をもっているということに他ならない。
真正面からぶつかるにはあまりに危険な敵の存在。それに思い至る者は3人の中に
一人もいなかった。

498:雪華綺晶はここにいる 16/38
08/07/02 01:16:31 Vu3UqG8N



下手人と推定される薔薇乙女が潜むフィールドは、緑の木々に覆われ、清澄な空気に
満たされた森の世界だった。
真紅達は長い飛翔移動の果てにたどり着いたフィールドの地を踏みしめて、ここのどこかに
いる姉妹の気配を追って森の中を歩いていく。
真紅達に先んじてこの世界へ到着していた水銀燈も、自身を愚弄した妹に制裁を下すべく
薔薇乙女の力の出所へ向かって進んでいた。
目指す場所が同じなだけに、真紅達と水銀燈が出遭うのは必然であった。
目の前に現れた3人の薔薇乙女の姿に水銀燈は瞠目し、一方で真紅は事件の
第一容疑者である水銀燈を発見し、真紅がジュンの心の領海で見た第二の容疑者である
謎の白いドールをどこにも見つけられないことから、水銀燈が事件を起こした張本人であると
確信した。

「そう…。そういうことだったの」

先に口を開いたのは水銀燈だった。その静かな声はかすれ、彼女の真紅の瞳には何の色も
浮かんでいない。怒りと失望が渾然となった激情はその顔に浮かばず、ただ握り締めた拳を
わななかせるだけだ。
めぐの見た白い少女の姿と眼前の3人のそれが一致しないのは、大方水銀燈をかく乱する
ために仮装か何かでもしていたのだろう。
随分手が込んでいる事だ。
挑発に挑発を重ね、怒りに駆られた水銀燈をこうしてnのフィールドまで誘い込み、まんまと
罠にかかった獲物を3人で袋叩きにする。そんな卑劣な策を練っていたのが、よりにもよって
真紅だったとは。
実力では薔薇乙女の中で自分と唯一対等の妹だと認めて警戒し、同時に一目置いていた
真紅が、こんな汚い罠にはめようと画策する卑怯で悪辣な存在だったとは。
彼女が事あるごとに掲げるアリスゲームの平和的終局が聞いて呆れるというものだ。
言葉巧みに翠星石と雛苺を抱きこんで協力し、水銀燈を倒して彼女のローザミスティカを
首尾よく奪った後は…幼稚で間抜けな雛苺でも闇討ちする腹だろうか。
真紅に対する幻滅と失望は、乾いた笑いとなって水銀燈の喉から搾り出される。
邪悪な手段でアリスに至ろうとする眼前の紅い佇まいの少女への哀れみと軽蔑の情に押され、
一度は胸の奥に沈んだ憤怒が、再び煮えたぎる溶岩のように吹き上がり、水銀燈の
総身を狂おしいまでの怒りで焼き尽くす。
確かに真紅の謀略にはめられて1対3という不利な状況へと追い込まれた。
戦いが厳しいのは明らかだ。しかしそれが何だというのか。
思考を沸騰させる獰猛な怒りは、そんな状況の不利でさえ瑣末であると切って捨てる。
澄ました顔をして姉妹を奸計に陥れる眼前の妹は、神聖なアリスゲームを真の意味で
穢す度し難い存在だ。もはや一秒たりとも生かしてはおけない。
今すぐに水銀燈自身の手で誅殺し、あの俗物をゲームの盤上から排除する必要がある。
水銀燈の怒りの程が臨界を迎え、今まさに戦闘態勢に入ろうとした時に、真紅は彼女を
右手で指差し、高らかに言い放った。

「水銀燈! 貴女が事件の犯人ね!」

「………………………え?」

全く考えもしなかった真紅の発言に水銀燈は呆然とし、自分の耳と相手の正気を同時に疑った。
真紅の顔は自信に満ち溢れ、自分の言葉に酔いしれているかのような雰囲気さえ窺わせる。

「水銀燈! この翠星石の根城にのこのこ現れるとはいい度胸してるですね!
 のりを脅かしたことを認めて謝罪するです!
 それと蒼星石のローザミスティカ返しやがれですぅ!」

「もうしょうこはあがっているのよ水銀燈! ねんぐのおさめどきなのよ!」

499:雪華綺晶はここにいる 17/38
08/07/02 01:20:03 Vu3UqG8N
真紅に続き、翠星石と雛苺にまで指を差されて好き勝手に言われる水銀燈。
彼女からすれば全く身に覚えのない、理解不能な仕打ちだった。

「……何を訳の分からないことを言っているの?
 貴女達が私を騙してここに誘い込んだんでしょう…!?
 この水銀燈の恐ろしさはまだ分からないバカな子は…」

「往生際が悪いわね。水銀燈。見苦しくてよ」

怒気みなぎる水銀燈の言葉を遮って、真紅は悠然とかぶりを振った。彼女の凛然とした
眼差しには、確信と同時に水銀燈に対しての哀れみの色が込められている。

「いくらとぼけてもこの真紅には通用しないわ。証拠は揃っているのよ。
 貴女がジュンの家の鏡から覗き見をしていたことは、この私の推理と
 のりの証言から明らかなの。無駄な抵抗はおやめなさい」

「ジュン…? 鏡…? 覗き見…? 何おかしなこといってるの?」

「まだ知らん振りするかですぅ! とっとと白状するです!」

「水銀燈があんなことするなんて、ヒナは思っていなかったのよ。
 まじめでやさしい人だったのに…ヒナ悲しいのよー」

口々にそんな事を言われて、水銀燈は混乱の極みにあった。水銀燈を謀ったのは
真紅達のはずなのに、なぜ彼女達から自分が犯人扱いされているのか、全く分からない。

「水銀燈…。探偵に犯罪の証拠を突きつけられた犯人は皆、自分の負けを
 認めて動機を告白するものだわ。素直に敗北を受け入れてごらんなさい。
 きっと気持ちがすっきりするはずよ。
 さあ。なぜあんなことをしたのか理由を話してみなさい。黙って聞いていてあげるから」

自分自身に陶酔するかのように大げさな身振り手振りで話を続ける真紅には、普段の
彼女らしい淑やかな雰囲気が皆無だ。余りにも痛々しい狂態を余すところなく晒している。
水銀燈からすれば支離滅裂なことをまくし立てる真紅達は、常軌を逸しているようにしか
思えない。
よく見てみれば、真紅は妙な帽子とケープを身に着けている。
薔薇乙女を生み出したローゼンは神にも等しい存在だ。ローゼンの創った身体と
ドレスの上に余計なものを身に付けるということは、彼の意匠と造形を否定するにも等しい
最大の侮辱と冒涜である。そんな涜神じみたことを平気で行い、真紅らしからぬ卑劣な
策略に打って出るという変わり果てた今の彼女を見て、水銀燈はようやく今の状況を把握し、
そして納得した。
今の不可解な状況を明快に説明する解答を、水銀燈はようやく得たのだ。

「真紅。貴女、可哀想ね」

水銀燈の身を焦がしていた激怒も今では消え去り、後に残ったのは憐憫の情だけだ。
彼女の紅い瞳に宿るのは怒りでも憎しみでもない。哀れみの色だった。

「前々から変な子だとは思っていたけれど…とうとう頭がおかしくなっちゃったのね。
 そんなヘンな格好をして、訳の分からないことを話し続けて、取り乱して」

見る影もないほど豹変してしまったかつてのライバルを見て、水銀燈の胸を空しさと
哀しみが吹き抜ける。自分を支えていた柱の一つが壊れて崩れてしまったかのような、
張り合いを失ったかのような喪失感を彼女は覚えていた。

「……ヘン…ですって…? 訳が分からない……ですって…?」

500:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 01:20:22 dk7hfGDI
ほんと糞キムって役立たずで嫌われ者のクズだな

501:雪華綺晶はここにいる 18/38
08/07/02 01:22:36 Vu3UqG8N
真紅の声色が決定的に変化したことに気づき、彼女の後ろに控える雛苺と翠星石が
びくんと身体を震わせて、その顔を青ざめさせていく。
それは真紅がくんくんに入れ込む情熱の程を知る者だけに許された反応だった。
静かに怒りにわななく真紅の様子には気づかずに、水銀燈は視線を雛苺と翠星石に移す。
思慮に欠ける幼児に等しい雛苺は仕方ないにしても、翠星石まで真紅の狂気に
侵食されているというのは同じ薔薇乙女の姉妹として、水銀燈には嘆かわしく思われた。

「手荒な真似はしたくなかったのだけれど…犯行を認めないなら仕方ないわね。
 水銀燈。
 あらかじめ言っておくけれど、私は暴力でアリスゲームを制するつもりはないわ」

「よく言うわね。雛苺と翠星石を連れてきておいて。
 三人がかりで私を仕留めるつもりでしょう」

水銀燈の言葉にも、真紅はまるで聞こえていないかのように反応しない。
実際に怒りに駆られて聞こえていなかったのかもしれない。
真紅の青く澄んだ瞳は今や烈火の怒りに赤く染まっている。

「だからこれはアリスゲームには関係ない、薔薇乙女探偵団による犯人逮捕よ。
 聞き分けのない犯人は、力ずくで確保されても文句は言えないのよ」

意味不明な口上を並べて、結局は自分を袋叩きにするつもりの真紅を、水銀燈は
哀れむ以外にない。
今の真紅は痛々しくて見るに耐えなかった。ここまで錯乱して逸脱してしまった真紅など、
水銀燈は見たくなかった。いっそこの場で潰してやった方が情けというものだ。

「真紅…。本当に壊れちゃったのね。
 惨めだわ。
 もう貴女はこの水銀燈にここで倒されなさい。
 そのまま無様に堕落するよりも、その方が幸せというものよ」

「雛苺。翠星石。水銀燈を捕まえるわよ。探偵の領分を越えているけれど、
 事件解決のためには仕方ないわ。彼女をジュンの家まで連行して自白させるわ」

「うぃ!」

「わかったです! 覚悟するですよ水銀燈! オマエにカツ丼地獄を味わわせて
 やるですぅ!」

臨戦態勢に入った真紅達3人を冷然と見据えて水銀燈もまた翼を展開し、眼前の
卑劣な妹達を殲滅するべく行動を開始しようとする。
その時だった。

「この金糸雀をさしおいて、一体何を盛り上がっているのかしら?」

木々の間から4人の薔薇乙女の前に現れたのは、開いた日傘のはじきを肩に乗せた
金糸雀だった。全く予期しなかった薔薇乙女の出現に、他の4人は呆気に取られて
悠然と笑う彼女を見つめる。

「何よ。あのちびっこいのは」

冷えた眼差しを金糸雀に向けながら、水銀燈は誰に問うともなく呟く。
他の姉妹同様、水銀燈も金糸雀の顔を覚えていないらしい。

「金糸雀……? どうして貴女が今、ここにいるの?」

「翠星石たちに構ってもらいたくて追ってきた…です…?」

502:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 01:24:23 dk7hfGDI
糞キム出てくんなクズが
死ね

503:雪華綺晶はここにいる 19/38
08/07/02 01:25:44 Vu3UqG8N
「金糸雀も真紅のジョシュになりたい…なの?」

各々の質問には答える事無く、金糸雀は沈黙を保ったままだった。その緑色の瞳には
暗い影が差していたが、そんな微妙な変化にはこの時点では誰も気づかない。

「誰なのか知らないけれど、この私に自分から姿を見せるなんて…マヌケな子ね。
 貴女もついでにジャンクにしてあげるわ」

不敵に笑う水銀燈へ目を遣った金糸雀は、展開していた日傘を閉じて胸の前で掲げ持つ。

「ピチカート!」

主の命に応じて現れた人工精霊は、日傘の周りを螺旋状に周回飛行し、瞬く間に日傘を
ヴァイオリンへと変化させた。
左肩にヴァイオリン本体を乗せて右手に弓を掲げた金糸雀は全く躊躇する様子を見せずに、
本体に設えられた弦に弓の毛を添えて演奏を開始する。

「!?」

あざやかな音色は強烈な突風と化し、油断していた水銀燈を空まで吹き飛ばす。
彼女の油断も無理からぬ。水銀燈が軽く挑発したとはいえ、何のためらいも通告も示さず
即攻撃に移るような姉妹の存在など、彼女は想像だにしなかったからだ。

「金糸雀…!? 貴女…一体何を…!?
 水銀燈を捕まえるにしても、やり方が乱暴すぎるわ!」

ありえない事態に狼狽の声を上げる真紅に顔を向けた金糸雀には、普段のドジで明朗な
彼女らしい雰囲気が微塵もない。刃のように鋭く冷たい視線は水銀燈のそれにも匹敵する。

「金糸雀…何かこわい感じなの…」

「なに先走ってやがるのですオバカナ!
 何にもしてねーくせに美味しいとこだけもっていこうとするなです!」

うろたえる真紅に怯える雛苺、怒る翠星石を冷たく見据える金糸雀は勝気な笑みを浮かべ、
満を持したように口を開く。

「カナは、貴女達を倒しに来たかしら。計画なんかに頼らなくても、
 実力で貴女達を倒せることを証明してあげるかしら」

ヴァイオリンから紡がれる旋律は烈風に変換され、真紅達をまとめて軽々と吹き飛ばす。
その威力は普段の彼女のそれと比較にならないほど強力だ。
初撃を食らって弾き飛ばされた水銀燈の傍に落下した真紅は、ダメージにうめきながら呟く。

「どういうことなの…? 何故金糸雀が私達を…。まさか真犯人は…金糸雀…!?」

「…………」

地に倒れ伏したままそう独り言つ真紅を見下ろして、水銀燈もまた考えを巡らせた。
真紅が水銀燈を指差し犯人だ何だのとわめいていたのは、頭がおかしくなってしまった
彼女の狂言か妄言だと水銀燈は思っていたのだが、突然現れた金糸雀によってその認識を
改める必要に迫られた。
水銀燈のみならず、真紅、雛苺および翠星石の4人をまとめて倒そうとしている金糸雀は、
水銀燈を誘い出した事件に大きく関わっていると考えるしかない。金糸雀が偶然この場に
現れたにしてはタイミングが良すぎるからだ。4人揃うのを狙っていたとしか考えられない。
金糸雀が真紅達も同時に攻撃していることから、互いが手を組んでいないことは明らかだ。
それどころか、真紅達は金糸雀の出現を予期すらしていなかったような発言をしている。

504:雪華綺晶はここにいる 20/38
08/07/02 02:01:16 Vu3UqG8N
ここから導き出されるある仮定―実は真紅達も水銀燈と同様に何者かを追ってここまで
誘導されたのではないか?
常軌を逸した発言や格好をしている真紅が実は正気であり、何らかの事件を解決する
ために犯人を追ってここまでやってきて、犯人を水銀燈と勘違いしていたと仮に考えるのなら、
全てつじつまが合うのではないか?
にわかに信憑性をおびてきた真紅の言葉と今の状況を検めた水銀燈は、低く抑えた声で
真紅に問う。

「昨日の夜に鏡の中に現れた妹を探して、私はここに来たの。
 真紅、もしかして貴女も―」

そんな水銀燈の発言に、真紅は驚いた顔を彼女に向けた。

「家来の家の鏡に現れた姉妹を追って、私達はここまで来たわ。
 水銀燈…貴女ではなかったの…?」

「ふざけないで。そっちに行ってなんかいないわよ。
 どうやら私も貴女も嵌められたようね。
 あの金糸雀とかいう妹に」

真紅の双眸に怒りを滾らせて金糸雀を睨む水銀燈。それに気づき、真紅が慌てて止めに入る。

「待ちなさい水銀燈! 金糸雀は元々アリスゲームに消極的な子よ。
 どこか様子がおかしいわ。鏡に現れたのが貴女じゃないのなら、
 白いドールが関わっているのかも…」

「煩い! こうして仕掛けてきてるのだから、あの子が犯人に決まっているでしょう!
 小賢しい罠でアリスゲームを穢す子は、この水銀燈が容赦しない!」

真紅の制止の声も聞かずに突貫する水銀燈を見取って、金糸雀は次の攻撃態勢に移った。



そんな戦いを高みから見下ろす金色の瞳が一つ。雪華綺晶だった。
気配を薔薇乙女に認識されない彼女は、大胆にも戦いの場からいくらも離れていない木の枝に
ゆったりと腰を落ち着けて彼女らの動向を見守っている。
能面のようなその顔は、本当に熾烈な戦いの光景が目に映っているのかどうかも疑わしい。
金糸雀を利用して、雪華綺晶以外の薔薇乙女を全滅させること。
これが雪華綺晶が実行した計画の全容だった。
雪華綺晶は他の姉妹と違い、アリスに至るために7つのローザミスティカを1つに束ねるという
手段を採らない。彼女は薔薇乙女の媒介の心を奪うことでアリスになろうとしているドールだ。
そのため、狙うのは薔薇乙女の体内に封入されたローザミスティカではなく、媒介の方だ。
しかし媒介を狙う上で、薔薇乙女の存在がどうしても邪魔になる。
なぜなら薔薇乙女の媒介は彼女達が活動し戦うためのエネルギー源であり、死守するべき
存在だからである。雪華綺晶が媒介を狙おうとするなら、そうはさせまいと自身の媒介を守るために
必ず薔薇乙女達は反撃にでるだろう。
ならばどうすればいいのか? 答えは至極簡単で、先んじて邪魔な薔薇乙女達を排除すれば
いいのである。無論、薔薇乙女達の行動を監視し、彼女らの隙を狙って媒介を手中に収めるという
手段も隠密を特技とする雪華綺晶としてはやってやれないことはないが、手間と時間が掛かりすぎる
煩雑な方法の上に、どこかで失敗した場合薔薇乙女との直接対決を強いられることになる。
他の姉妹と比較して際立った戦闘手段をもたない雪華綺晶としては、なるべく避けたい事態だ。
そんな面倒でリスキーな手を採らなくても、雪華綺晶の行動を妨害する薔薇乙女達を先にまとめて
消しておけば、媒介は自分の身を守る手段を失うことになる。そうなれば後は無防備の媒介を
悠々といただくだけだ。赤子の手をひねるよりも簡単である。
金糸雀は今、雪華綺晶に魅入られて敵愾心を全開の状態にされている。
金糸雀の心に潜む、他の姉妹に認めてもらいたいという承認の欲求を増幅させられたのだ。
相手の心理の弱点につけ込むことが得意な、雪華綺晶ならではの方法だった。

505:雪華綺晶はここにいる 21/38
08/07/02 02:03:37 Vu3UqG8N
その上、雪華綺晶の傀儡である金糸雀の力を底上げするために、彼女はある細工を
金糸雀に施していた。
薔薇乙女がnのフィールド内に入ると、彼女らと媒介を繋ぐ力の供給ラインは一時的に
途切れてしまうのだが、金糸雀を通して現実世界に居る彼女の媒介まで力を逆流させた
雪華綺晶は、指輪の契約による供給ラインの接続を強引に強化した。
今や金糸雀はnのフィールド内にいながら十全に媒介から力を吸い上げられるのである。
それどころか、雪華綺晶の指示一つで、媒介が死ぬ限界ギリギリまで力を無理やり
吸い上げられるようになっている。
そうすれば金糸雀の戦闘能力は、一時的にせよ薔薇乙女の中で最強になるはずだ。
さらにこの計画を磐石にするのは、真紅、雛苺および翠星石の3人がnのフィールド内での
戦闘を強いられるという今の状況にある。彼女達は今、媒介からの力を得られない。
必然的に彼女らの戦闘力は半減し、金糸雀が勝つ見込みはさらに大きくなる。
金糸雀を使って真紅ら3人を文字通り粉々に粉砕し、水銀燈のみを再起不能のまま
生かした状態に追い込むことができれば、もう金糸雀は用済みだ。雪華綺晶の支配下に
ある彼女を操って、自害させるだけで事足りる。
もしも金糸雀が負けても、それはそれで構わない。雪華綺晶にとって邪魔な薔薇乙女が
一人消えるだけだ。前者に較べて利益は少ないが、それでも得るものはある。
つまり金糸雀が勝とうが負けようが、結局雪華綺晶は得をするのだ。
金糸雀と水銀燈が本格的な交戦に入ったのを見届けた雪華綺晶は、全く躊躇する事無く
禁断の指示を下す。媒介から吸い上げられるだけ力を奪え、という指示を。
姉妹を姉妹とも思わずに、チェスゲームのごとく盤上の手駒を動かして局面を進めていく
雪華綺晶。悪魔のようなこの計画を平然と実行する彼女は、相変わらず眉一つ動かさずに
眼下の光景をぼんやりと見つめていた。



雪華綺晶の指示により媒介から力を過剰に吸収し続ける金糸雀は、それを余すところなく
たけり狂う暴力に変換する。

「最終楽章、破壊のシンフォニー!」

宙に浮いた金糸雀の周囲を取り巻く竜巻は、彼女の近くの木々を手当たり次第に吸い上げ
嵐の中で瞬く間に粉微塵にする。最強の技をいきなり繰り出した金糸雀には、遊ぶつもりも
出し惜しみするつもりもまるでない。一気に勝負をつける気だ。
水銀燈は翼を展開して増大させ青く燃えたぎる羽を無数に射出した。水銀燈とアリスゲームを
愚弄した度し難い妹を矢ぶすまに仕留めてのけることで、怒れる彼女の誅戮を示してみせる。
そのつもりだった。
しかし圧倒的速力の竜巻を前にして、彼女の攻撃はまさに風前の灯だった。
風の壁に羽が触れた瞬間に青い炎は消し飛び、同時に羽も残らず微塵切りにされる。
更なる怒りに昂ぶる水銀燈は、眼前で大量の羽を凝縮し始めた。
通常の数倍の密度の羽から構成されるそれは、彼女の身の丈を数倍する黒槍だった。
その硬度は本物の鉄槍にも匹敵し、全力で飛ばしたときの威力は岩の壁をも穿つ。

「ジャンクになりなさい!!」

怒号と共に風の渦の中心にいる金糸雀めがけて射ち出された槍は、容赦なく標的の胸を
串刺しにする。そう信じていただけに、立て続けに起こった事態に水銀燈は唖然とする。
必殺の勢いで飛ぶ槍は竜巻の中ほどで動きを止め、風の膨大な運動エネルギーに屈して
渦の流れに巻き込まれた。金糸雀の周囲を螺旋状に回る槍は、程なくして中心に近い
位置から2つに折れ、4つに折れ、跡形も残さず切り刻まれる。
風の刃が複雑に絡み合う竜巻の渦中は、もはや超強力なミキサーも同義だ。
捉えた物体のことごとくを八つ裂きにする鏖殺の攻勢防壁。
そんな絶大な風の要塞を前にしても、次々と溢れ出る怒りに血色の瞳をなお赤く染めて、
水銀燈の闘志は微塵も揺らがない。

506:雪華綺晶はここにいる 22/38
08/07/02 02:06:22 Vu3UqG8N
「レンピカッ!!」

みなぎる怒気もあらわに、水銀燈は蒼星石から継いだ人工精霊の名を叫ぶ。
彼女の右手の近くを素早く飛翔する青い瞬きは、一瞬後には水銀燈に庭師の鋏を
握らせていた。
鋏を振りかぶり渾身の斬撃を竜巻に向かって見舞うと、刹那ではあるが中心の金糸雀へと
続く通り道が斬り開かれる。
それぞれに個性的な攻撃手段をもつ薔薇乙女達の中でも、蒼星石の武器である庭師の鋏は
切断にのみ特化している分、その斬撃の威力は凄まじい。
苛烈な破壊力の竜巻も、この鋏の前にはわずかではあるが遅れをとった。
この機を逃すまいと、水銀燈は風の壁に空いた道を全力で飛翔する。その右手には鋏が
携えられたままだ。度重なる屈辱に水銀燈の思考は烈火ので憤怒沸騰している。
手ずから金糸雀を真っ二つにしてやらなければ、もはや彼女の怒りは鎮まらない。

「いけない!」

眼前で繰り広げられる怒濤の攻防劇に、水銀燈の後ろでそれを見ていた真紅はしばし
呆気にとられていたが、水銀燈が金糸雀に斬りかかろうとしているのを見取った彼女は
ハッと我に返った。
金糸雀を庭師の鋏から護るべく、前にかざした右手のひらから薔薇の花びらを大量に放出する。
紅い花弁の奔流は水銀燈の後を追い竜巻にできた通り道に滑り込んだ。
竜巻の渦中に突入した水銀燈は、みるみる塞がっていく風の斬り傷へ続けざまに斬りつける。
彼女とて無謀ではない。鉄の硬さに迫る黒槍が砕け散った時点で、渦の中に捕らわれたら
最後であることは承知している。
金糸雀の周囲の空間は、彼女が滞りなく動作をするために無風である。風の壁を突破した
水銀燈は、ヴァイオリンを演奏し続ける金糸雀に向けて誅殺の鋏を振るった。

「ピチカート!」

「なっ…!?」

こうなることを見越していた金糸雀は、自身の人工精霊へと合図をした。彼女の背後から
敏速に飛び出したピチカートは、的確に水銀燈の右手に衝突して彼女の手から庭師の鋏を
弾き飛ばす。至らない主を補う分、優秀な性能をそなえたピチカートならではの秀逸な動作だ。
金糸雀は周囲を取り巻く竜巻を解除した。鋏を失った水銀燈を確実に仕留めるために、
指向性の衝撃波を至近距離から彼女に叩き込むつもりだ。
水銀燈だけは人間と指輪の契約を交わしていないため、完全に壊してしまうと雪華綺晶は
媒介を手にすることができなくなってしまう。よって彼女だけは殺さぬよう手加減するように、
金糸雀には雪華綺晶よる制限が予め掛けられていた。

「追撃の」

頼みの鋏を失い、反撃も回避も防御もかなわない一瞬に、水銀燈はやけに眼前の光景が
緩慢に見えていることに気がついた。ヴァイオリンの弦に弓の毛を奔らせる金糸雀の動作も、
彼女のまばたきさえもゆっくりと明確に見て取れるが、それにも関わらず水銀燈自身はまるで
機敏に動けない。
暴走状態にある金糸雀の攻撃を至近距離から無防備で直撃。当然ただでは済まないだろう。
スローモーションに見える世界で、そんなことを漫然と考える水銀燈の視界を覆ったのは―
紅い花びらの壁だった。

「カノン!」

凄烈な風の砲撃の前に広がったのは、真紅が放った薔薇の花弁より成る障壁だ。
元は金糸雀を斬撃から護るために放ったそれだが、水銀燈が危険と見るや、真紅はそれを
急遽水銀燈の前に配置したのだ。

507:雪華綺晶はここにいる 23/38
08/07/02 02:11:48 Vu3UqG8N
紅く仄光る花の壁は、金糸雀が放った衝撃波を受けてあっけなく砕け散る。
なにぶん今の金糸雀の攻撃はその威力が熾烈に過ぎている。
加えて今の真紅は媒介のジュンから力の恩恵を受けられないという不利な状況にある。
必然障壁の強度は普段のそれよりも弱くなり、鉄壁の防御など望むべくもない。
真紅の機転により水銀燈は必滅の窮地を逃れたものの、壁を貫いた威力の残滓が水銀燈の
総身を打ちのめして彼方へと弾き飛ばす。
その上、彼女の右の翼をボロボロに損壊させていた。
防壁の展開が間に合わず、加護を受け損なった右の翼が衝撃波に直接晒されたのだ。
もしもあの技が直撃していたら、水銀燈を一撃で再起不能に追い込んでいたであろうことは、
彼女の壊れた翼が雄弁に物語っている。
後方の森の中へと弾き飛ばされた水銀燈には、再び金糸雀に立ち向かう様子も見られない。
全身に受けたダメージを前に動くことができず、今の一撃でダウンしてしまったのかもしれない。
水銀燈が飛ばされた方向へこれ見よがしに不敵に笑う金糸雀は、真紅に向き直って
好戦的な笑みを浮かべた。

「さあ真紅。それに雛苺、翠星石。今度は貴女達の番かしら」

敵意に満ちた眼差しを向けられて、真紅は苦々しい面持ちで歯噛みする。

「戦うしか…ないようね」



その頃。
草笛みつは勤務する会社の机に向かい、ファッションデザイナーが起こしたデザイン画を
元にして、机の上に広げられた紙に型紙を引いていた。
いつか独立し自分の洋服店をもちたいみつが夢の先駆けとして選んだパタンナーと
呼ばれる仕事だ。
続けざまの仕事で疲労と集中力の途切れを感じたみつは、背筋を伸ばして腕と首をほぐす。
疲れた心を癒そうと、みつはポケットから携帯電話を取り出して待ち受け画面を表示した。
そこにはみつが自作したドール服を身にまとう金糸雀が映し出されている。
みつが指示した凝ったポーズをとっている金糸雀は、彼女にとって天使のように愛おしい。
しばし待ち受けを見つめてトリップし乾いた心を潤おすと、さきほどまで身体を包んでいた
疲労感が見事にやわらいでいる。仕事を終えて家に帰ったら、今日はどんなことをして
金糸雀と遊ぼうか。そんな幸せな空想に頬を緩め、しばしの休息を終えたみつは、
意気込みも新たに製作中の型紙に向き直る。
すると突然、白色の紙の上に赤い点がいくつも浮かんだことにみつは驚いた。
とっさの異変に目をむくみつをよそに、赤い点はポタポタと音を立てて次々と増えていく。

「う…あ…あれ…?」

事ここに至り、ようやくその異変の正体に彼女は気づいた。彼女の鼻から血が滴り落ちている。
みつは慌てて自分の顔に左手を添える。やおらその手の薬指に嵌められた契約の指輪が
まばゆく輝き始め、ついで燃えるように熱くなった。

「ふぐっ……!?」

みつはうめき声を上げて、たまらず左胸を手で掴む。心臓が狂ったように早鐘を打ち、
そのせいで胸が激しく痛むのだ。
全身に冷や汗が浮かび、視界は焦点を結ばずぼんやりとかすんでいる。
先の鼻血は、異常な動悸によって急上昇した血圧が、鼻の微細な血管を破裂させたことが
原因だった。相変わらず心臓は高鳴り続け、全身は遠泳でも行った後のように疲れてだるい。
たまらず机の上に突っ伏したみつは、ぐらぐらと揺らぐ視界の中に左手の指輪を据えた。
それを見て、みつはぼんやりと金糸雀の言葉を思い出していた。

『みっちゃん。カナが他のローゼンメイデンと戦う時は、みっちゃんの力を
 貸して欲しいのかしら。カナとみっちゃんでアリスゲームを制するのかしら』

508:雪華綺晶はここにいる 24/38
08/07/02 02:15:42 Vu3UqG8N
金糸雀が言うアリスゲームというのも、何かのお遊びだとばかりにみつは思っていたのだが、
熱をもって光る指輪と、全身から力を吸い取られていくような虚脱感に、みつは金糸雀が
本当に姉妹のローゼンメイデンシリーズと戦っているのではないかと疑わざるを得ない。
愛する人形に命をとして力を貢げるのだとしたら――― 一端のドールフリークとして、
何という幸せで理想的な最後だろうか。

「嗚呼…私のカナ…はぁ、はぁ…カナ…私のカナ…ハァ…ハァ」

金糸雀とみつを繋ぐ契約の指輪をいとおしげに撫でさする彼女は、恍惚とした表情で
愛しい金糸雀の名を囁き続ける。動悸で呼吸は乱れ、鼻血を流し続けながら、
みつはうっとりとした顔で金糸雀の名をうわ言のように口にし続けて、最後にはぶくぶくと
泡を吹いて気絶した。
みつの尋常でない様子に気づいた同僚が彼女を病院に担ぎ込んだのは、
みつが気絶してから少し経った後の話である。



戦いの動向は、真紅達3人の誰から見ても絶望的なものだった。
金糸雀が展開している「破壊のシンフォニー」は攻防が一体化した難攻不落の絶技である。
竜巻の中心にいる金糸雀を捕らえようと雛苺が苺わだちを、翠星石が世界樹の茎を
竜巻に向かって伸ばしても、それらは風の壁に触れた瞬間に微塵に切り裂かれてしまうのだ。
高速回転する竜巻の中はもはや削岩機も同然で、圏内に捉えたものを無差別に切り刻む。
術の発動に必要なヴァイオリンを破壊しようと、真紅が薔薇の花を意図的に竜巻の中へ
巻き込ませても、それらの花びらは無数の風の刃の前に原型を保つことができない。
花びらは風の中に入った数瞬後に、残らずすり潰されてしまう。
金糸雀の方もただ防御に徹しているばかりでなく、真紅達を竜巻に巻き込み粉砕しようと
たびたび3人へ突撃する。風の中に捕らわれたら最後の彼女らは、逃げるのでやっとだ。
一髪千鈞を引く回避の連続は、いつ次に失敗し粉々のジャンクにされるか分からない。
疲弊と焦燥で3人は限界に達しつつある。

「真紅……どうしたらいいのです…? このままだとマズいです…!」

「まずいのよ真紅!」

「……………!」

確かに2人の言うとおりだ。真紅達の攻撃は意味を成さず、金糸雀の攻撃は確実に3人の
体力と気力を削ぎ続けている。
このまま戦闘を続けていれば、いずれ竜巻に粉砕されることは明らかだ。
あの技を攻略する方法を考えなくては生還はない。
唯一水銀燈が竜巻の防壁を抜けて中心の金糸雀へと迫ったが、真紅達には壁を斬り裂く
ことが可能な攻撃手段などありはしない。仮に壁を突破できたとしても、傍にはべらせた
人工精霊で侵入者の動きを邪魔し、その隙に至近距離から高威力の攻撃を叩き込まれる。
一見すると攻守共に完璧であるかのように映るが、金糸雀が竜巻の解除から追撃に移るまで
に一瞬のタイムラグがあることを、水銀燈と金糸雀の攻防を後ろで見ていた真紅は知っている。
ならばその隙を衝くことで勝機が見えるはずだ。
そのためには当然、あの破滅的な威力の暴風障壁を突破しなくてはならない。
何とか壁を抜けて金糸雀の前に到達しなくては…。そのためには…。
思案を巡らせる真紅に、ある奇策が舞い降りる。成功するのか失敗するのかどうかも分からない
危険な賭けだが、もうこの手を使う以外にこの窮地を脱する方法はないと真紅は考えた。

「雛苺! 翠星石!」

真紅の凛とした掛け声に、2人が振り返って彼女を見る。

「私達3人の力を一つにすれば…金糸雀を止められるはずよ!」

真紅は2人を呼び寄せ、手短に作戦内容を説明した。

509:雪華綺晶はここにいる 25/38
08/07/02 02:19:24 Vu3UqG8N



竜巻の中心部でヴァイオリンを奏で続ける金糸雀は、不可解なものを渦の中に見咎めた。
紅い色をした円形の物体である。それは風の流れに屈する様子も見せず、一定の位置を
保ったまま自分の居る方向へ近づいてきている。
不審に思った彼女は、謎の異物を粉砕せんと今まで以上の出力で竜巻の回転速度を
上げるが、紅い円は多少揺らぎこそしたものの、相変わらず金糸雀の元へと進んでいる。

「……!?」

戦いが始まってからずっと浮かんでいた余裕の笑みが、この時初めて金糸雀の顔から消えた。



それは死と隣り合わせの危険極まりない作戦だった。
真紅は今、自身の周囲に薔薇の花弁を展開して竜巻の中を進んでいる。媒介から力を
供給されない今の彼女は、半減した力の全てを防御のみに集中させていた。
薔薇の壁は無数の風の刃に晒され、次々と切り刻まれ、崩れ、はぎ取られていく。
真紅は絶え間なく壁に花びらを供給し続け、破壊され続ける障壁を修復し再生させ続ける。
真紅の全精力を賭した連続再生は、破壊のペースに辛うじて追いつき、再生と破壊は
危うい均衡を保っていた。
真紅は防衛に徹しているので、狂風の中を金糸雀に向かって進む余力などあるはずもない。
なのになぜ真紅が金糸雀との距離を詰め続けられるのかといえば、真紅は今、翠星石が
猛スピードで前進させる世界樹の茎の上に乗っているからだ。
真紅は金糸雀まで至るための移動手段として、翠星石の力を借りた。
翠星石も真紅と同様に、高速で茎を前に進めることだけに全力を割いている。
1秒でも真紅の負担を軽減するためだ。
茎のどこが切断されても、真紅は竜巻に巻き込まれてしまう。
よって真紅は茎の根元から先端までを、鞘のように花びらの壁で覆っていた。
残る問題は作戦の要となる真紅が立つ足場の悪さだ。
真紅の周りは暴風に包まれ、その上高速移動する世界樹の茎に乗っていたとあっては、
いつ振り落とされるか分からない。彼女は今、究極的に不安定な場所にいるのだ。
その問題を解消するためには、雛苺の力が必要だった。
今真紅の足首、膝、腰および胸には雛苺の苺わだちが絡みつき、わだちの先を茎と縛って
結ぶことで、真紅の姿勢と位置を固定させていた。
この方法により真紅は安定した体勢と足場を確保することができ、防壁の維持と再生に
専念することができた。
真紅の防御力と翠星石の突進力と雛苺の固定力。
その三つを一つに合わせたこの作戦は、ついに竜巻の壁を突破するに至る。

「雛苺!」

「うぃ!」

真紅の合図に雛苺は彼女を縛る苺わだちをほどいた。竜巻の中心は無風であり、
そこに飛び込んだ真紅は花びらの壁を解除する。その途端、彼女を運んでいた茎は
絡み合う風の刃に巻き込まれ粉々にされる。

「ピチカート!」

「ホーリエ!」

真紅と金糸雀の声はほぼ同時だった。真紅にピチカートが飛び掛り、それを防ごうと
真紅の背後から紅い瞬きが素早く飛翔し、2つの人工精霊はぶつかり合って動きを止める。

510:雪華綺晶はここにいる 26/38
08/07/02 02:22:35 Vu3UqG8N
「くっ…!」

竜巻を解除した金糸雀は目前の真紅に必殺の一撃を見舞おうとするが、その動作の
切り替えには一瞬の隙がある。間髪入れずに金糸雀との間合いを詰めた真紅は、
ヴァイオリンの弦に弓の毛を添えようとする彼女の右手を先んじて掴み上げた。
これでもうヴァイオリンを弾くことはできない。勝利を確信した真紅は残る右手で決着を
つけようとするが、その刹那、焦りの色もあらわだった金糸雀の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
左手のみでヴァイオリン本体を数回転させた彼女は、素早く人差し指で弦をはじく。

「反撃のパルティータ!」

「!?」

ヴァイオリン本体から放たれた衝撃波は真紅を弾き飛ばし、彼女の勝機を奪い去った。
その場しのぎの非力なカウンター技であっても、媒介から力を限界まで吸い上げている
今の金糸雀のそれは、真紅に強烈なダメージを与えて余りある。
金糸雀は余裕の笑みを浮かべ直し、弦に弓の毛を添えて攻撃体勢を整えた。

「追撃の」

水銀燈に放ったときの、優に2倍以上のパワーがヴァイオリンに充溢していく。
水銀燈とは違い、媒介がいる真紅には手加減が無用だ。粉々にしてしまって構わない。
思いがけない反撃とその威力に、真紅はとっさの防御壁を展開することができなかった。
金糸雀の必滅の一撃は、至近距離から直撃必至だ。

「カノ……!?」

あと一歩というところで金糸雀の両腕を硬直させるのは、両腕を締め上げる黒い羽。
金糸雀は弦の弓の毛を奔らせることができず、追撃を繰り出すことができない。
この機を逃すまいとダメージに軋む身体も顧みずに彼女の背後に回り込んだ真紅は、
両手を握り合わせて振りかぶる。

「目を覚ましなさい!」

真紅の渾身の打擲は金糸雀のうなじにクリーンヒットし、彼女を地面まで弾き飛ばした。
地面に倒れた金糸雀には、起きて真紅達に反撃する様子も見られない。
真紅の一撃で気絶したらしい。
そうしてようやく一髪千鈞を引く戦いは終局を迎えた。

「目を覚ましなさいとか言いながら…眠らせてるですぅ」

宙に浮かんだまま金糸雀を見下ろす真紅と、うつ伏せになったまま動かない金糸雀を
見て、翠星石はそんな皮肉をため息交じりで呟きながら胸を撫で下ろした。
真紅も何とか金糸雀を止められた事に安堵の息を漏らしていたが、そんな時に、倒れ付す
金糸雀に向かって止めを刺そうとする黒い影を見咎めた。水銀燈である。

「雛…」

真紅の声に先んじて、地面から伸びる幾多の苺わだちが水銀燈を迅速に締め上げる。
苛立ちもあらわな水銀燈の形相を向けられても、雛苺は両手を開いて前にかざしたまま
引こうとしない。弱虫な雛苺にはらしくない、勇気と決意に満ちた行動だった。

「水銀燈…! 金糸雀はもういじめちゃめーっ、なのよ…!」

戯言を言うなとばかりに嘲笑を浮かべた水銀燈は、レンピカを呼び寄せて庭師の鋏を
取り出すと、瞬時に苺わだちを切断して自由となる。

511:雪華綺晶はここにいる 27/38
08/07/02 02:25:34 Vu3UqG8N
そうして再び金糸雀に飛び掛ろうとする彼女の前には、真紅と翠星石が立ちはだかっていた。

「どうして私を止めるの!? これだけ馬鹿にされて貴女悔しくないの?
 穢れた罠でアリスゲームを貶めたその子には、当然の最後だわ!」

鋏の切っ先を鼻先に突きつけられても、真紅はまるで揺らがない。
翠星石も怯えた様子はあるが、ほぼ同様だ。

「す…水銀燈…! オマエがやる気なら、翠星石達が相手になるですよ!
 その鋏も、レンピカも蒼星石のローザミスティカも取り返してやるです!」

『我慢しなさい。翠星石』

懸命に声を張り上げる翠星石に、真紅が小声でそっと囁いた。

『私達はnのフィールド内で力を使いすぎた。その上あの子とまで戦ったら、
 力を使い果たして螺子が切れてしまうわ。そうなったら全滅よ。
 気持ちは分かるけど、ここは引くべきだわ』

「うう……。チクショウ…チクショウ…ですぅ…」

涙目で歯を食いしばる翠星石。交渉においては相手に弱みを見せてはいけないように、
真紅は凛然と水銀燈を真っ向から見据えた。

「金糸雀は、私達が連れ帰ってよく言い聞かせるわ。
 それに、この子の様子は普通じゃなかった。
 謎のドールが絡んでいる可能性もあるの」

「言い聞かせる…? 謎のドール…? また訳の分からないことを…。
 まともだとは思ったけど、やっぱり貴女イカレちゃったんじゃなぁい?
 まだそんなおかしな格好をしてるし」

挑発する水銀燈は、真紅がいまだ身に付ける帽子と探偵ケープをふたたびあざ笑う。
これには真紅も怒りが噴出しかかったが、今彼女と戦ったところで、先に真紅自身が
話した理由からデメリットの方がはるかに大きい。それを冷静にわきまえている彼女は、
内心でたぎる怒りをぐっとこらえた。

「………何とでも言いなさい…。それより貴女こそいいの?
 その壊れた右の翼…私達3人を前に、足かせにならなければいいのだけれど」

「………ッ」

これには水銀燈も閉口するしかなかった。翼から羽を射出して相手を矢ぶすまに仕留める、
という戦法を主として採る彼女からすれば、片翼になった今は戦力が半減したことに等しい。
1対3という状況だけでも厳しいのに、その上力が半分になった今となっては、水銀燈の
勝利はほとんど望めないことになる。

「……まぁいいわ。私も今日は疲れちゃったし、特別に見逃してあげる。
 その子が起きたら伝えて頂戴。またこんな下らない真似をしたら、
 今度こそ水銀燈がジャンクにしにいく、って」

いくら好戦的な水銀燈でも、勝ち目のない戦いに自分から臨むほど無謀ではない。
アリスゲームを制してアリスに至り、ローゼンに逢うという悲願をもつ彼女からすれば、
戦略にはできる限り磐石を期する必要がある。
状況から撤退が必要だと判断した水銀燈は理性で強引に溜飲を下げた。
肩をすくめながらそんな事を嘯いて、レンピカに庭師の鋏を消させた後、
真紅達に背中を向ける。

512:雪華綺晶はここにいる 28/38
08/07/02 02:27:43 Vu3UqG8N
そうして空に飛び立とうとした時に、真紅が彼女に声を掛けた。

「水銀燈。助けてくれてありがとう。
 あの時貴女が金糸雀を止めてくれなかったら、私はきっとやられていたわ」

「…………」

真紅はうっすらと笑みを浮かべて水銀燈にそう伝えた。
彼女は忘れもしない。金糸雀の致命的な追撃を受けざるをえないと思われた瞬間、
彼女の腕を締め上げた黒い羽を。そのおかけで真紅は今もこうして立っていられるのだ。

「……何勘違いしてるの? 貴女に借りをつくるなんて冗談じゃないの。
 借りを返しただけよ。助けたなんて思わないで」

水銀燈は真紅に振り返りもせず、抑えた声でそう切り返した。
真紅も彼女と同様に、金糸雀の一撃から水銀燈の窮地を救っている。自身を愚弄した
金糸雀の狼藉を阻止し、同時に真紅を絶体絶命の危機から救い出すことが、彼女に
とって受けた屈辱をすすぐ上で最も効率が良いと判断したのだろう。その算段の裏に
どんな思惑が潜んでいるのかは分からないが…。
素気無く空へと舞っていく水銀燈の後姿を見て、真紅はそっと微笑んだ。
そして地に倒れ伏したままの金糸雀へと向き直り、事後処理に取り掛かることにした。



倒れた金糸雀を囲む真紅、雛苺、翠星石の3人。それを人知れず樹上から俯瞰する
白い薔薇乙女が一人。戦いの動向を見守っていた雪華綺晶だ。
気絶している金糸雀は、物理的に動作を停止している。こうなると雪華綺晶が得意とする
心理操作を及ぼすこともできず、したがって金糸雀を自害させることも叶わない。
これから彼女は、真紅達に事件についての様々な尋問を受けることだろう。
自身の意図や能力が露呈する事を快く思わない彼女は、金糸雀の雪華綺晶に関する
記憶の全てを抹消し、逆探知を不可能にするために傀儡の操り糸を惜しみなく切り捨てた。
それっきり雪華綺晶は、無関心もあらわに金糸雀には一瞥もよこさない。
用済みの金糸雀などよりも、よほど注目すべき薔薇乙女がいるからだ。
彼女の仕掛けた巧妙な罠はあと一息というところで失敗した。終わってみれば、
アリスゲームから敗退した薔薇乙女は一人もいない始末だ。
敗因を挙げるとするならば、真紅の秀逸な機転、といったところだろうか。
伊達に薔薇乙女の大半を束ねているわけではないようだ。その実力は確かなものである。
雪華綺晶の金色の瞳は、他の薔薇乙女には目もくれず、真紅だけを凝視していた。
その目には愛情の色を湛えて余りある。その瞳の奥にどんな忌まわしい心情が
巣食っていようと、傍目には姉を慕う妹の優しい眼差しにしか見えないだろう。
今回の"実験"から、力をもって正面からぶつかる正攻法は得策でないということが判明した。
煩雑ではあるが、気配をさとられない雪華綺晶の特性を生かした暗躍に打って出て、
他の薔薇乙女達の隙を衝き彼女らの媒介を密やかに奪い取ることが必要だ。
そのためには、現実に影響を及ぼすための実体がどうしても要る。
彼女はnのフィールドでしか存在できない、虚ろで儚い亡霊のような存在でしかないからだ。
世界と薔薇乙女に対して確かな作用を与えることができる、実体の身体。
それを得るために、計画の一つとして姉妹の誰かを"喰う"ことにしよう。
雪華綺晶が見下ろす4人の薔薇乙女のうち、一際弱小で思慮に欠けるうってつけのカモ。
真紅の隣で疲労のあまりへたり込む雛苺は、雪華綺晶の向けるおぞましい視線に
気づけるはずもなかった。
そして真紅。雪華綺晶がアリスに至る上での最大の難関が彼女であり、同時にアリスゲーム
攻略の要となる存在だ。

「真紅。私の大事な紅薔薇のお姉さま」

513:雪華綺晶はここにいる 29/38
08/07/02 02:29:16 Vu3UqG8N
やわらかな微笑を浮かべ、陶然とその名を呼んだ雪華綺晶は音もなくその場から消失した。



「金糸雀…。金糸雀…。起きなさい。金糸雀」

闇の中から、誰かが名前を呼んでいた。過酷な運動に身体は軋みを上げ、まだまだ彼女は
休息を必要としていたが、無遠慮な呼び声に意識は覚醒を迫られる。
金糸雀がすっと目を開けると、そこに見えたものは自分の前に並ぶ真紅と雛苺と翠星石と…
自分を無表情に見つめる金色の瞳が一つ。その目の隣に咲く薔薇の花と、白い長髪。
刹那、金糸雀の脳裏に去来する雪華綺晶との遭遇の記憶。
鏡の中に引きずり込まれ、玩弄され、唇を奪われて覗き込んだ瞳の奥に垣間見えた
身の毛立つ歪んだ心。
おぞましい恐怖の体験が高速で回想され、金糸雀はたまらず悲鳴の声を上げた。
しかし恐慌も長くは続かない。その場にいた誰よりも金糸雀の悲鳴に驚いたのは、他ならぬ
彼女自身だからだ。一瞬後には雪華綺晶に関する記憶の輪郭は薄れ、煙のように形を
失い、跡形もなく霧散していた。
なぜ自分が悲鳴を上げたのか理由が分からずにきょとんとする金糸雀は、悲鳴を喚起したと
思われる人物の風貌をよく確認し、それが既知の知り合いであることに気がついた。

「う…あ…あれ…? バラバラ、かしら…?」

「何をそんなに驚いているの?
 薔薇水晶には貴女も何度か会っているでしょう?」

真紅の指摘にも、金糸雀はしばしの間反応することができない。それほどまでに彼女は
誰かに似ていた。それが誰で、自分とどういう関係なのかはまるで思い出せないが…。
金糸雀の斜め前で淑やかに座る人形は、その名を薔薇水晶という。
金色の瞳をもち、左目には紫色の薔薇をあしらった眼帯をつけている。純白の長髪に
紫水晶の髪飾りを添え、薔薇の花弁を想起させる意匠のドレスをまとう寡黙なドールだ。
彼女の創造者である人形師は、ローゼンの弟子を自称する槐という青年だ。
槐はジュンの住む街に工房を構え、ドールショップ「Enju Doll」を営業している。
ローゼンメイデンを凌駕する至高の少女人形を創ることを目的としているが、その活動は
人形創作のみで、アリスゲームに関与したりローザミスティカを奪ったりすることはない。
槐の紹介でジュンの家に住む薔薇乙女達と薔薇水晶は知り合った。
互いはその存在の種類や意義が似ているため仲が良いのだ。
薔薇乙女を超える人形を創るために、真紅達の外見や言動、雰囲気や魅力などを探る
ための調査を槐から仰せつかっているのか、薔薇水晶は時々ジュンの家に遊びに来ている。
nのフィールドから金糸雀を連れて帰還した真紅達は、金糸雀との戦闘で受けたダメージや
体力の消耗を媒介のジュンから力を受けることで回復させていた。
その最中に偶然、薔薇水晶がジュンの家を訪れたのだ。
薔薇水晶の姿を見て思うところがあった真紅は、自分達が回復し金糸雀に尋問を始めるまで
ジュンの家に留まるように頼み、それを彼女は事も無げに了承した。
時刻は19時を過ぎ、すっかり暗くなった頃にようやく真紅達は完全に回復した。
一息ついた彼女達は、未だ眠ったままの金糸雀を起こし、質問を始めることにしたのだ。

「え…? あれ…? カナ、どうして動けないのかしら?
 …し、縛られてるのかしら…!?」

「ごめんねぇ金糸雀ー。でもげんこうはんたいほ、なのよ」

金糸雀の手首と足首には、雛苺の苺わだちが絡み付いて縛り上げ、身動きを封じている。
朗らかに笑う雛苺は、幼児ならではの無邪気さと残酷さが同居しているようで
金糸雀にはその無垢な笑顔がどこか恐ろしい。


514:雪華綺晶はここにいる 30/38
08/07/02 03:01:41 Vu3UqG8N
「金糸雀…。オマエは今、籠の鳥ですぅ。
 生かすも殺すも翠星石達次第なのです。
 翠星石達に働いた狼藉の数々…よもや忘れたとは
 言わさん…ですよ…?」

翠星石の瞳には、意地悪な嗜虐の色など灯っていない。そこにあるのは、掛け値なしの
怒りの感情だけだ。暗く冷たい眼差しを向けられて、まるで身に覚えのない金糸雀は
どう対応していいのかすら分からない。
困惑もあらわな金糸雀を見て、さらに突っかかろうとする翠星石。
彼女を鶴の一声で黙らせた真紅は、無感情な声と表情で金糸雀に問う。

「金糸雀。はじめに聞くわ。アレは貴女が自分の意思で起こしたことなの?
 それとも誰かに指示されてやったことなの?」

「あ、アレ…? 一体何を言ってるのかしら、真紅?」

「とぼけるつもりかですぅ! このチビカナ! オマエのせいで翠星石達が
 どれだけ危ない目に…」

真紅は翠星石の眼前に腕をかざして無言で制すると、まるでこうなることを可能性の
一つとして想定していたかのように、淡々と金糸雀を捕らえた経緯を説明した。
鏡に現れた犯人を追ってnのフィールド内を探索していたら突如金糸雀が出現したこと。
金糸雀と戦闘を強いられたが危ないところで勝利し、気絶させた彼女をここまで運んだこと。
それを聞く金糸雀は驚きもあらわで、その表情や仕草はごく自然であるように真紅は思った。
記憶喪失を装って自分の起こした凶行を誤魔化しているようには思えない。
そもそも真紅達に友好的だった金糸雀が急に豹変し、姉妹達を葬ろうとすることの方が
不自然なのだ。
金糸雀が言うには、全く身に覚えがないらしい。
昼にジュンの部屋に遊びに来たが、それからの記憶が今まで綺麗に抜け落ちているという。
それを聞いた真紅は頷いて、次の質問に移った。

「金糸雀。薔薇水晶の姿に何か感じるものはある?
 今日、彼女と会ったり話したような感じはしない?」

金糸雀は斜め前に座る薔薇水晶を凝視するが、彼女を見つめ返す無感情な薔薇水晶の
顔からは何も思い出せない。ただかすかに不快感らしきものを覚えるだけだ。
かすかな記憶と感情の残滓は、それらをかき集めても明確な言葉で説明ができない。
無表情な薔薇水晶は何を考えているか分からず、どこか捉えどころがないように思えるが、
その金色の瞳には紛れも無い確固とした意思と理性が宿っている。
どこかで自分は、それと似たような目を見たことがあるのではないか?
澄んだ金の瞳に宿る、慈愛と憎悪。理性と狂気。秩序と混沌。歓喜と悲哀。
対立し相克する感情が同居する、矛盾に満ちた不可思議な眼差し。
薔薇水晶と似ているようでいて、決定的に一線を画す不気味な視線。
それをいつかどこかで向けられたような気がするが、単なる気のせいのような感じもして、
確かなことはまるで分からない。

「分からない…かしら…。でも、何だか不思議な感じはする、かしら」

「…………」

そんな答えに、真紅はあごに手を添えて黙考する。
くんくん変身セットこそもう身に着けていないが、今の彼女には少しだけだが探偵じみた
雰囲気が漂っていた。

「……私は前に、ジュンの心の領海で薔薇水晶によく似た白いドールに
 会ったことがあるの」

515:雪華綺晶はここにいる 31/38
08/07/02 03:04:57 Vu3UqG8N
「僕の心の中で……!?」

それまで少女人形達のやりとりを静観していたジュンも、これには驚きの声を上げた。
自分の心の中に正体不明の存在が徘徊していると聞かされて黙っていられるほど、
彼の神経は太くない。
静かに頷いた真紅は、白いドールと出遭ったいきさつを話し始める。

「ジュンの無意識の海に、その子は突然現れた。
 外見は薔薇水晶にそっくりで、全体的に白色が強いドールだったわ。
 あの時、ジュンの領海には他の多くの世界からの海流が流れ込んでいた。
 その海流に乗ってどこかから現れたのね、きっと…。
 その子は私に見つかると、その場からふっと消え去ったの。
 まるで幽霊か何かのように」

真紅は事実を事実のまま話しているだけなのだが、怪談じみたその内容は場の空気を
重くする。臆病な翠星石に至っては震えを隠せない様子だ。意外にもホラーに対して
強い耐性をもつ雛苺はきょとんとしていたが。

「じゃ、じゃあまさか…昼間、鏡の中に現れたというのも…」

「その白い子の可能性が高いわね。水銀燈ではなかったのだし。
 薔薇水晶。念のために聞くけれど、貴女じゃない…わね?」

「はい」

真紅の問いに、薔薇水晶は鷹揚に頷いた。

「わたしは昼間、お父様の工房に控えていたので」

真紅とて下手人が薔薇水晶などと本気で疑っているわけではない。白いドールと薔薇水晶は
驚くほど似ているが、細かなところで確かな差異がある。白いドールが右の眼窩から白薔薇を
生やし純白のドレスに桃色がかった白い長髪という姿なのに対し、薔薇水晶は左目に眼帯を
添えて紫色のドレスをまとう紫がかった白い長髪という格好だ。
真紅は白いドールの姿を一瞬しか目視することができなかったが、それでも彼女が薔薇水晶で
ないことはそれらの差異と雰囲気の違いから明らかだ。
考えられる可能性の一つを確実に潰すことで真相に至る道をより堅固にするために、真紅は
彼女に確認したのだ。

「薔薇水晶でもないのなら…その白いヤツは一体何なのです……?
 ま、まさか…のりが言っていたみたいに、ほ、本物の幽霊が……」

怯えた翠星石は、誰に問うともなく震えた声でそう訴える。今にも泣き出そうかという声だ。

「………ドッペルゲンガー…なのかもな。
 薔薇水晶の」

「ど…どっぺる……? 何ですそれ…?」

「生霊のことだよ。生きている人間の分身の幽霊で、外見がそっくりなんだ。
 自分のドッペルゲンガーを見た人間は、近いうちに死ぬって言われてる。
 ここにいる薔薇水晶の影みたいなものか」

「や、やめるですジュン! このバカチビ人間! 怖いこと言うなですぅ!」

机の椅子に座るジュンのすねを翠星石は思い切り蹴り上げ、ジュンは悲鳴を上げて悶絶する。

516:雪華綺晶はここにいる 32/38
08/07/02 03:09:01 Vu3UqG8N
怒りに目をむくジュンと、そんなことにはまるでかかわらずに頭を抱えて震える翠星石。
今までの状況と彼女なりの推理からある事実を確信した真紅は、逡巡の後、話そうとする。
真紅とて認めたくのない由々しい内容の推測だ。ならばいっそう姉妹には打ち明けたくない。
真紅がこれから口にする内容は、ただ彼女達の不安を煽る禍言でしかないのだから。

「その白いドールはきっと、貴女達ローゼンメイデンの姉妹の一人でしょう」

真紅に先んじて声を上げたのは、意外にも薔薇水晶だった。
真紅の躊躇を見取ったのか、それとも彼女自身思うところがあったのか、低く落ち着いた
薔薇水晶の声色は、いつにも増してなお重い。
寡黙な薔薇水晶には珍しい発言に、ジュンと翠星石の喧嘩によってやや浮ついていた
空気が再び緊張感を帯びる。

「お父様は、ローゼンメイデンの一人を模してわたしを創ったと仰っていました。
 その白いドールの姿がわたしに似ているのなら、それはわたしの原作となった
 ローゼンメイデンなのでしょう」

自らの出自の由縁を淡々と話した薔薇水晶は別段変わった様子も見られない。
その無感情だった瞳が、ただかすかに憂いの色に滲むだけだ。
その微少な変化に気づいたのは彼女の顔をじっと見つめていた真紅だけだった。
薔薇水晶の生まれた理由を今初めて知った真紅の胸に、痛ましい感情が広がっていく。
コピーはオリジナルを越えることはできない。いかにそれが出色の出来であったとしても、
模造は模造でしかない。原作を真似ている時点で、それは唯一性と独創性を欠いた
追従でしかないからだ。
ジュンが謎の白いドールを薔薇水晶のドッペルゲンガーうんぬんと言った事は、期せずして
薔薇水晶への痛烈な皮肉となってしまった。厳粛にその存在価値をオリジナルの下位に
位置づけられる彼女は、言わばオリジナルが日の光を浴びて輝いた結果、その足元に
形作られる地面を這う暗い影でしかない。
白いドールが薔薇水晶の影ではなくてその逆なのだ。
薔薇水晶のオリジナルが現れた以上、そのコピーである彼女の立場はどうなるのか。
真紅の胸を不憫の情で締め上げるのは、世界に2つとない薔薇乙女の第5ドールという
自負からくる優越感の裏返しなどではない。創造者によって一方的に運命と存在理由を
背負わされる人形の悲痛を、真紅だけでなく、薔薇水晶もまた彼女とは違う形で
胸に抱えていることを知ったからだ。

「真紅」

真紅の悲しげな顔を見て、薔薇水晶は無表情のまま声を掛けた。

「わたしは自分がローゼンメイデンの模造であっても構わない。
 ただお父様の望むがままに。
 それがわたしの願いであり、わたしが在る理由なのですから」

一文字だった唇の両端が、ほんのわずかに釣り上がる。それは本当に淡い、薔薇水晶の
微笑みだった。
愚直なまでに創造者に忠実であろうとする薔薇水晶は、たとえその出自に思うところは
あっても父親である槐を深く愛し、その身の器に誇りをもっている。
それに対して真紅は、アリスを生み出すためのアリスゲームをローゼンの意向に反する形で
終わらせようとしている。果たして自分は度し難い逆徒なのか。そんな皮肉に我知らず
苦笑した真紅は、厳粛な面持ちでそっと薔薇水晶に頭を下げた。

「御免なさい。失敬だったわね」

「いいえ」

気にせず話を進めて欲しい、という薔薇水晶の意を酌んだ真紅は、彼女の配慮に甘えて
自分の意見を述べることにした。

517:雪華綺晶はここにいる 33/38
08/07/02 03:13:18 Vu3UqG8N
「私も薔薇水晶と同じことを考えていたわ。
 昼間鏡の中に現れた白いドールは、薔薇乙女の第7ドールだと思うの」

「だ、第7……?」

「ヒナたちの妹…なの?」

「ほ、本当なのかしら…? 真紅…」

翠星石と雛苺と金糸雀が驚いて声を上げ、真紅を不安げな面持ちで見つめる。
真紅は今まで、この推測を彼女達に伝えなかった。事件の下手人を捕まえにいく時にも
言葉をにごし、容疑者は水銀燈もしくは"不審なドール"程度にしか説明しなかったのだ。
それは確信ももたず、いたずらに彼女達を怖がらせてはいけないという真紅の配慮だった。
第1ドールの水銀燈から第7ドールの全てが同時に目覚めているということは、アリスゲームが
本当に開始したということに他ならないからだ。姉妹と戦うことを厭う彼女達からすれば、
それは最も忌まわしい事態だろう。
困惑もあらわな翠星石と金糸雀、きょとんとしている雛苺の視線を受けて真紅は先を続ける。

「私ももしかしたらとは思っていたけれど、薔薇水晶の証言から
 確信したわ。今日起こった事件の首謀者は第7ドールよ」

「ど、どういうことです…!? 説明するです、真紅!」

「水銀燈も鏡に現れた姉妹の誰かを追ってnのフィールドへ来たと言っていた。
 私達と状況が同じだわ。
 私達は水銀燈と同じように、第7ドールにnのフィールドまで誘い込まれた」

「……つまり翠星石達も水銀燈も…踊らされたってことです…?」

「ふぇ…ダイナナはすごいのよー」

「そして私達3人と水銀燈が集まったところで金糸雀…貴女が現れた」

「うっ……そんなこと言われても、カナ、覚えてないのかしら…」

「ここからは私の推測よ。
 金糸雀。貴女は第7ドールに接触し、操られていた可能性が高い」

「カナが…!? 第7ドールに…!?」

「そうよ。私達4人を一箇所に集めていたのが第7ドールなら、
 その後の展開も第7ドールによる計画のうち、と考えるのが自然だわ。
 貴女は今日、ジュンの家を訪れた後に第7ドールに捕まって
 何かの方法で操り人形にされたのよ。
 そして私達と水銀燈を倒すための手駒にされた」

「そっ、そんなはずはないかしら! よりにもよって薔薇乙女一の
 策士のカナが敵の罠にはまるなんて…」

「金糸雀…。オマエ、少し黙れ。……ですぅ…」

「は、ハイ…かしら…」

名誉毀損とばかりに反論しわめき立てる金糸雀の頬を、翠星石が乱暴に掴む。
未だ縛られて身動きの取れない彼女は、怒りに暗く燃える翠星石の眼差しを至近距離から
突きつけられて気圧され、言われたとおりにするしかない。
真相がどうあれ金糸雀に痛めつけられたという事実に、翠星石はまだ怒っているのだ。

518:雪華綺晶はここにいる 34/38
08/07/02 03:17:55 Vu3UqG8N
「危ない戦いだったけれど、私達は何とか勝つことができた。
 もしも負けていたら、私達4人はもちろん用済みの金糸雀も
 第7ドールの手でローザミスティカを奪われていたはずよ。
 本当に危なかった。最悪の場合、今日中に薔薇乙女は
 第7ドール以外全滅していたはずだから」

そんな真紅の言葉に、翠星石と雛苺は背筋を凍らせる。
彼女達からすれば、ささいな事件を解決するために遊びで探偵ごっこを楽しんでいただけだが、
彼女達が関わった事件にはそんな破滅的で悪辣な罠が潜んでいたというのか。

「捕まえた金糸雀から第7ドールのことを探れないかと思ったけれど、
 金糸雀の記憶は消されている。
 第7ドールと薔薇水晶の姿は似ているから、彼女を見て何か思い出すかと
 期待したのだけれど…。
 でも金糸雀は薔薇水晶を見たときに、明らかに混乱していたわ。
 記憶の消去は完璧じゃない。金糸雀は確実に第7ドールに何かをされている」

「何か気味が悪いのかしら…。
 何かをされて、何も覚えていないなんてあんまりかしら…」

「なーにをのん気なことをほざいてるですオバカナ!
 オマエの頭の中に! 謎を解く鍵が入っているのです!
 さっさと思い出しやがれですぅ!」

「うぐぐっ…や、やめるのかしら翠星石…!
 し、真紅…! カナはもう暴れたりしないから
 自由にして欲しいのかしら…!」

「あら。そういえばそうだったわね。
 すっかり忘れていたわ」

真紅は雛苺に指示し、金糸雀を縛っていた苺わだちを解かせた。
真紅が金糸雀の身体を拘束させていたのは、まだ金糸雀が操られている可能性が
あったからだ。これまでの会話と金糸雀の様子から彼女が正常であることを確認した真紅は
金糸雀を解放することにした。
しかし場合によってはまだ第7ドールの支配下にあった方が良かったかも知れない。
金糸雀が気絶している間に、何かされた形跡はないか、何かの力の影響下にないかと
真紅は彼女を入念に調べた。
あわよくば金糸雀を操る糸をたどり、下手人まで至ることはできないかと期待したのだが、
結局金糸雀を操った犯人の手がかりは何も得られなかった。

「その第7ドール…自分からは姿を現さず、自分の正体に繋がる
 手がかりも残さず消していく。
 かなり周到で用心深いドールですね」

ゆるんだ空気を締め直そうという配慮からか、そんなことを淡々と話す薔薇水晶に、
真紅も真剣な面持ちを取り戻して頷いた。

「そうね。まるで実体が掴めないわ。
 姉妹の身体を乗っ取って戦わせて、その正体は誰にも分からない…。
 本当に幽霊のよう。のりは先見の明をもっていたようね」

「そんなもんアイツにあるわけないよ。ただの偶然だろ」

「何もしてねーくせに偉そうなこと言うなですチビ人間。
 第7を見つけたのりの方がオマエよりずっと役に立つのです」

519:雪華綺晶はここにいる 35/38
08/07/02 03:21:00 Vu3UqG8N
「なっ何だとー!? お前達の手当てをするのに、
 今日僕がどれだけ力を吸い取られたか…」

「そんなの媒介として当然の務めですぅ。
 むしろ翠星石に力を貢げて光栄に思えですぅ」

再びいがみ合い場の空気を乱す翠星石とジュンを軽くたしなめて、真紅は第7ドールに
対する総括を話し始めた。

「金糸雀を操って私達を襲わせたり、足取りや正体を掴ませないところから
 かなり狡猾で慎重な妹よ。罠の内容も悪質に過ぎるわ。
 正面から攻めてこないで姉妹を罠に陥れようとする分、
 好戦的な水銀燈よりもよっぽど危険でたちの悪い薔薇乙女だと考えていいわね。
 その正体も能力もほとんど不明だけれど、分かっている範囲では
 姉妹の身体を乗っ取る力をもっていて、外見が薔薇水晶に似ていること。
 それと鏡の中に現れるらしいから不用意に大鏡には近寄らないこと」

真紅の分析と留意点に、その場の薔薇乙女達は頷きを返す。
雛苺はその中でも特に幼稚で思慮に欠けるので、真紅は彼女には念を押して注意をした。
そんな折、ドアをノックする音が部屋に響く。

「ジュンくーん、それにみんな~。お夕飯ですよー」

ドアを開けて笑顔を覗かせるのりに、雛苺がはしゃいで両手を挙げる。雛苺の後に
金糸雀がそろそろと続き、翠星石に睨まれてばつが悪そうな表情を見せていた。

「わたしはそろそろ帰ります」

そう一人呟いて立ち上がる薔薇水晶に、真紅が微笑んで声を掛ける。

「たまには夕飯を一緒にどうかしら?
 のりの料理はなかなかのものよ。
 貴女にも事件の解決を手伝ってもらったのだから、
 せめてお礼くらいはさせて欲しいもの」

「…………」

薔薇水晶は逡巡していたのか、しばしの沈黙の後、こくりと頷いた。



「今日は薔薇水晶ちゃんも食べていってくれるのねぇ。お姉ちゃん嬉しいわぁ」

のりの爛漫とした笑顔を向けられて、薔薇水晶は無表情のままかすかにうつむく。
どうもそれが彼女の照れの仕草であるらしい。
テーブルの上には真紅、雛苺、翠星石、金糸雀、薔薇水晶、のりの分の料理を載せた
皿が並べられている。ジュンはこういった団らんの空気は苦手なので、テーブルから
離れたソファーに座ってテレビ番組を観賞していた。
メインの料理は定番の花丸ハンバーグで、ソースのかかったハンバーグの上に花を模した
形の目玉焼きが乗せられている。その端にはパセリとニンジンも添えられ色合いも豊かだ。

「みっちゃんにはかなわないけど、ノリノリのご飯もけっこういけるのかしら」

「…ケチつけてないで黙って食べるです」

翠星石の睨みにも耐性ができたようで、金糸雀は相変わらずの様子でハンバーグを
ほお張っている。

520:雪華綺晶はここにいる 36/38
08/07/02 04:03:03 Vu3UqG8N
香り立つ花丸ハンバーグを前にしても、翠星石の瞳にはかすかな憂いが灯っている。
今日、珍しく水銀燈に遭遇した彼女は、蒼星石のローザミスティカを彼女から取り返す
チャンスがあった。しかし金糸雀の妨害のせいで水銀燈には逃げられ、結局悲願を
果たすことはできなかったのだ。
今日の事件が第7ドールが仕組んだことだとしても、翠星石からすれば蒼星石の復活を
叶えられなかったことを悔やむ気持ちがいつまでも残る。
しかしものは考え方次第だ。水銀燈に出会う機会はいつかまた訪れるだろう。
その時こそローザミスティカを奪還し、蒼星石を元に戻せばいいのだ。

「(蒼星石…翠星石がいつか元通りにするですからね…!)」

胸の内で誓いを改めた翠星石は、蒼星石と一緒に食卓を囲む日が訪れることを夢見て
ハンバーグにナイフとフォークを添えた。

「お味はいかが? 薔薇水晶」

「おいしい」

真紅の問いかけに、薔薇水晶は黙々と口に運んでいたハンバーグをそう評した。
彼女は朴訥でお世辞が言えるほど器用ではない。本当に美味しいと思っているのだろう。

「あらあら。嬉しいわぁ薔薇水晶ちゃん。お姉ちゃん頑張った甲斐があるわ」

「のりの花丸ハンバーグはもうさいこうなんだから!」

朗らかな笑みを送るのりと雛苺に、薔薇水晶は無表情な顔を少しだけゆるめて、
そっと笑顔を浮かべた。
そんな食卓の光景を見て、真紅は想いに耽る。
第7ドールが現れたということはアリスゲームが本当に始まったということだ。
得体の知れない白い妹の悪辣な罠に嵌められて危険な目に遭ったが、結果としては今日も
こうして安らかな夕食を皆で迎えることが出来ている。
第7ドールが画策しようと、真紅が姉妹を守るのだ。真紅には優しい姉妹達がついていて
くれている。皆で結束すれば、何を恐れることがあるだろうか。
それに水銀燈。好戦的なのは相変わらずだが、真紅を絶体絶命の窮地から救ってくれた。
アリスゲームに対する姿勢の違いから相容れず、2人の間には深いみぞがあると真紅は
思っていた。しかしそのみぞが今日少しだけ埋まったように彼女は感じた。
いつの日か、水銀燈とも理解し合えるかもしれない。
そんな幸せな想像に、真紅は優しい笑みを浮かべた。

微笑む真紅をジッと見つめる瞳が一つある。
それは薔薇乙女たちが囲むテーブルの傍の、食器棚の中からの視線だった。逆さにされた
硝子のコップの一つに金色の瞳が悪趣味な模様のように浮き上がり、誰にも知られることなく
真紅と、姉妹達を静かに観察している。
その瞳には優しげな色が宿っているが、暗がりに浮かぶ炯々と光る金色の目は、
まるで闇の中から息を潜めて獲物を狙う、肉食獣のそれであるかのようにも映る。
慈愛に満ちた禍々しい眼差しは、誰にも見咎められる事無くいつまでも真紅達を捉えていた。





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