07/10/24 23:08:46
ネットにねらーが生息することを奇跡的に可能にした掲示板それが2ちゃんねるである。
2007年。スレ立てにおいてねらーは豊富な資源と、培われた技術力で、新たなスレを所有する事になる。
しかし、それはあくまでも母なる大地、現実の疑似空間に過ぎないのだ。新スレが作られた意味はなんだったのであろうか。
2ちゃんねるでのねらーの生活を豊かにするための技術開発がその主な目的と聞く、ねらーは、この疑似空間に無理な要望を持ったのではないのか。
自らの生命維持は自然の脅威もなく現実以上に安定性を持つ。とどまることを知らない発展は、ねらーに永久的な生存を約束したかのように見える。
ネットにはゼロからのスタートが許されたと抜かれた時代もあったのであろう。しかし2ちゃんねるが、いや、ねらーが現実を忘れる事ができるとは信じがたい。
新スレの開発技術は2ちゃんねるに何をもたらしたのか。ひろゆきのもっとも欲する技術、それはうまい棒なのだ。
スレ立ては、ねらーの捨てることのできない精神なのだ。今スレは新スレ祝いな気質を持ちつつある。現実が忘れられないのだ。現実の美しさは偉大だ。
ねらーという大きな力を持つことになったネットは、一つのスレの管理まで考え出す。ネット規模では、現実など刹那的時間なのだ。自己のことなのだ、所詮ねらーが考えられるのは。
何もかわらないのだ。ねらーが現実に出た年月は無駄であったのだ。現実の前にネットは夢でしかない。偽りの生活空間。偽りの人間関係。ねらーはより多くの戦いを生む温床にしか過ぎない。
現実は多くの居場所を奪う。そのことの悲しみをねらーは忘れたことはないのだが、決してスレを立てることをやめようとはしない。流された血や涙は意識の飾りにすぎない。
時代の節目は>>1000取り合戦でしか語られない歴史がある。「>>1乙」などと色褪せたきれい事は過去何度も唱えれた名ゼリフだろう。ねらーは次のために新スレを持つという。
現実となんのかわりもない。仲間入りができたつもりなのだ。多くのレスを書くことでいき上がっているのだろう。
でも、ねらーはなぜスレを立てるのか。スレを立てることに存在意味があるのかもしれない。スレを立てている人間には充実感がある。
そして、スレを立てている人間が汚れて見えないのも事実だ。
・・・なんかイマイチだな