07/08/03 02:06:29
>>123
いや神経で動かすんだから当然双方向だろう。ただし彼等は任意で通信するということだ。
痛みというのは痛点からきた信号を脳が痛みとして認識して「痛い」と感じるわけだが、
彼等のボディは自分のものではなく、また人間部分が無意識の反射行動をしないことから、
正確に元の脳と同じ働きをしているわけでもない。どういうことかというと、
人間部分が動く時は全て、彼等が動かす意志を持って動かしているということだ。
我々人間は痛点から来た信号を脳が痛みと判断して体に反射行動をとらせる。つまり痛みを感じる。
彼等は痛点から来た信号を「痛点から信号がきている」と読み取るだけなのだ。
我々がラジコンぶつけて破損したら、それを見てダメージがあったと認識したり
爆発音を聞いて破壊が行われたと認識するように、彼等は神経を使って体の状態や
情報を「見ている」だけなのだと思う。
(人間は状況判断に視覚を多用するので、彼等の感覚を正確に例えることはできないが)
当然彼等は全ての神経を自由に使えるので、触覚も「見れる」し味覚も「見れる」。
しかし物を触った感覚が彼等の本体に感じるのではなく、あくまで情報を読むという形だ。
彼等が本当に「感じる」のは本体に火をつけられたり薬品ぶっかけられた時だけだろう。
こう考えれば彼等が「操縦」という表現をつかうこと、痛覚の全くないような振る舞いをすること、
それでいて人間部分の感覚をすべて持っているらしいこと、全てが辻褄が合うのではなかろうか。
痛がりやという表現は「人間はダメージを受けると痛がる」と知識でしっているだけでも十分だ。