07/03/08 23:03:58 0
まだこの時代の女の子たちにとっては性というものが恐れと色濃く結びついていて、
処女喪失ということと絡んですごく大きなハードルだったんです。
それはやっぱりルンルンで乗り越えられるものではなくて、
ためらいと恐れを感じながらちょっとづつ乗り越えていくみたいな、
そういう文脈だったんだと思います。
だからレイプというのは、“そういうこと”がその先にあるんだよという、いわば露払い。
主人公にやがてくる「性」というものを認識させるために描かれている。
それは好きなひと本人によってである場合もあるし、そうではなくて別の男からの脅かしである場合もあるんだけど、
そういう、やがて入っていくべき性の世界の前哨戦というか露払いというか、それがレイプ表現として表れてくるわけです。
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90年になって高校生のセックスがやっと当たり前のことになるんですよ。高校生がセックスを当然のこととしてしはじめるっていうのが90年からある。
だから、そこを境に、性に対する恐れやためらいをよびさますためのレイプシーンはがくっと減りましたね。
95年くらいから、だんだん変わってきてるんです。だから、昔は性といえばレイプ表現が出てきていたというのはつくづく世代的なものだったんだなあと。
女がマゾなんじゃなくて、性的になるためには「私が求めたんじゃないわ」という“言いわけ”を必要とする世代のセクシュアルファンタジーが求めたのが、
レイプ表現であり、マゾヒズム表現だったんですよね。
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