07/10/17 22:52:09 zvlbJpMY0
>>687
お茶の味に対しては家康が宗匠のお茶を飲んだ感想で言及してるな。
ただ、その感想や、ヘチカンのスイカのアレに見れるように、この作品では
味は送り手の心がけで受け取りようが変わるもの、というか、茶人の
ホストしての力量がそのまま味として位置付けられているっぽいね。
究極的には大したものでなくても「心が甘う感じるのでござる」の境地に
持っていけるかどうかに美の到達点を置いてるので、茶の葉の質や淹れ方
で即物的に「味」を追求するのは、ワビサビの魔力で気持良く酔ってる
ところをシラフに引き戻すような野暮な話、ってことになるんじゃないのかな。
まあお茶自身が酒と違って「味」で人に選ばせる部分が強くないってこと
しれないけど。
でもそれも、裏ッ返せばお茶自身に強さがないからこそ茶道という形で
「お茶を美味しいと感じられる境地に相手を導く」ノウハウが生れたとも
いえるわけで、だからこそ「味」ではなく桔梗の味噌汁同様の「美」として
語られてるんだってことなのかもね。