07/06/29 01:10:29 uUGLOJTl0
>>527
まず、興味がないのは、僕が江川作品を格別面白いと感じていないからで、何故面白く感じないか、
が貴店としてあるのはその通り。
けれども、(好意的な)興味を持っていない作品評だから 「一般性を欠く」 というのは間違っているよ。
だとするならば逆に、(好意的な)興味を持っている作品評は一般性があるのか? という事になる。
それとついさっき同じ事を書いたのでここは手短にするけれど、僕が書いたのは、「江川作品は勧善
懲悪である」 では無く、「江川作品は (本人が主張する様な) 低俗で通俗的な勧善懲悪の物語で使
われる様な (ウケをとりやすい) 手法を多用している」 という事。
つまり、君が 「的はずれであり、間違っている」 と指摘している事を、僕は主張していない。
金剛寺などの、いわば主人公の「敵」に当たるキャラクターが最終的に倒されていない事は、江川作品
が勧善懲悪に代表される 「安易な手法」 で 「ドラマ性を廃した」 作劇ではない、という事にはならない。
この部分に対して、ちょっと余談ながら補則する。
島本和彦の作劇論がわかりやすいので意訳して引用すると、少年漫画の王道的な手法は 「父子の
対立」 なのだそうな。
主人公は子供であり、未熟で、成長途上にある。しかしエネルギーがあり、未来を見ていて、理想や志、
何らかの信念を持っている。
対する 「敵」 は、父親にあたる。もちろんこれは、血縁関係として父親である、という意味ではない。
つまり、主人公より先に行っていて、社会的、経済的、またはその作品世界的な価値基準において確
固たる基盤を持っているか、強い支配力がある。そして 「正しい」。
基盤を持っているという事は、つまり過去の成功をを現しているし、成功しているからこそ、正しい。
つまり、ドラマ作りの王道敵手法である 「父子の対立」 は、「過去から連なる正しさ」 を、「未来をも求
める正しさ」 で打ち破ろうとする物語、という事でもある。