07/06/29 00:20:18 SDzQ/YQ60
>>510
マンヴァさんの作品評は>>382、383でいいのかな
> 「ただの好き嫌いであり、一般性に欠ける事とその根拠」
まずマンヴァさん自体が>>373において江川漫画に興味が無いことを告白しており、
江川漫画自体を単純な勧善懲悪図式で分析した評論が他にひとつも無いことから、
マンヴァさんの作品評は一般性に欠けている
>「江川作品をちゃんと読み込めば分かることを見落としており、その読み落としはこれこれこういう内容である事」
完璧超人な主人公が俗悪な悪をバサバサ斬り殺す勧善懲悪な図式と言うが、
まず一度でも江川作品を読んでいればそのような単純な図式が存在しないことに誰もが気付く(敢えて読者受けを狙って設定したタルなどは例外)
何度も述べたが、金剛寺、社長、伯爵、信長などは主人公を啓蒙はしたものの最後まで主人公によって倒されていない
そもそも江川漫画を単純な一つの勧善懲悪図式で分析することに無理がある
BEFREE一つとっても序盤から最後まで何度も構成が変化している
また、自立した個人が立ち向かう事とその結果を書いていないというが、BEFREEにおいてはササニシキとともに生徒達は立ち向かったわけだし、
その30年後もちゃんと描かれている
>「作劇論として書いてある内容は的はずれであり、江川作品は以下に挙げるようなきちんとした理論によって描かれ
個人の自立というテーゼとそれを阻むアンチテーゼの対立というテーマはどの作品にもあると思うが、
その形は主人公が悪を倒すという勧善懲悪な一形式のみで表現されているわけではない。
デッドマンにおいては伯爵が主人公達に自立を諭すと言う形で表現されるているし、日露においては登場人物の殆どが個人の自立の体現者である。
故にマンヴァさんの勧善懲悪作劇論は的外れである