07/06/27 01:59:00 LgbfT4HA0
>>382 (続き)
江川は、そういう現実的で繊細なドラマ性を廃して、勧善懲悪の単純化された図式でシナリオを進める。
馬鹿なキャラは徹底して馬鹿として描き、悪党はわかりやすいほどに悪党だ。
だから、江川の作品の中の娯楽性は、江川が馬鹿にしている読み飛ばしの安易な娯楽作品そのものの図式
を持っている。
けど、その図式で 「奥深いメッセージ」 を送ろうというのは、どう考えても難しい。
これが、「江川自身が、江川の言いたいようなメッセージを読み取れる読者を遠ざけている」 という事。
で、その、メッセージ、テーマの決着の付け方。
これも、江川はきちんと描いていない。
「個人の自立」 というテーマを掲げて、それに対してのアンチテーゼとして、例えば管理社会や学歴主義を
描いたり、全体主義的な洗脳組織や、人類補完計画で全ての人類をどろどろに溶かして一体化させようという
計画を持つ秘密結社を描こいたりはするけれど、そこに対して 「自立した個人として立ち向かう事」 と 「その結
果」 に関しては、正面から描いては居ない。
例えば 『BE FREE!』 にしたって、あれは自立した個人とかそういうモノじゃない、いつまでも年をしとらない超
人になっちゃっているから、もう個人の話とかじゃ無くなっている。
『LASTMAN』 にしても、最後は人間社会そのものが無くなってしまうわけだけど、結局はただ単純に、「生き残っ
た人たちはみんな自立した個人なので、シヤワセに暮らしましたとさ」 という〆め方でしかない。