07/01/29 23:07:41 AyNPjEeX0
「絵が下手だ」 という事と、「他人の意見や言葉を聞いているようで聞いてない」 という二つの山田評は、ある意味同根なんじゃ
ないかと思う。
『ナニワ金融道』 の作者、故青木雄二がエッセイで書いていた事なのだけれども、アシスタントを雇うときに彼は、試験として
「今日ここに来るまでの通りを描いてくれ」 と言うのだそうだ。(正確には違ったかもしれない)
何故か、というと、青木は 「手先の技術」 では無く、「観察力」 を重視して採用をするためだ、と言っている。
線画どれだけきれいに引けるか、処理にこなれているか、という意味の巧さは、青木は求めない。
その人間が、ただ街を歩くという行為の中で、どれだけ周囲に注意を配っているか、周りのこと、人のことを見ているかという、
資質を、アシスタントに求めている、と。
これはこれで、考え方として筋は通っている。どれだけ手先の技を磨いても、観察力や注意力が無ければ、アシスタントとして
「絵を作る」 事は巧くならない。
青木雄二も山田玲司も、世間的には下手と評価されるだろうし、確かに手先の技術は拙い。
けれども、周囲に対しての観察力、そういう事への意識、という点では、どうも真逆にいる気がする。
山田玲司の下手さは、技術だけの問題ではなく、自分の外側の世界そのものへの興味の無さに起因しているのでは無いか、と。
そして同じ様に、対談している相手そのものに、あまり興味がない。
対話していて反論も意見も対話もないのは、目の前にいる相手そのものよりも、自分の中にある相手のイメージしか見ていない。
自分の中のイメージとの対談だから、そこでの会話に齟齬は無いし、自分の理屈を代弁してくれる言葉しか拾い上げないし、今
は居ない手塚治虫も必ず激励してくれる。
絵にしても物の考え方にしても、兎に角自分自身、自分の中から出てき来る物以外、徹底して興味がないのが、山田玲司という
人間のど真ん中なのではないか、的な事を前にも書いた気がするけれどまぁいいや、覚えてないし!