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1979年春より6ヵ月間、口裂け女の噂が全国の小学生を中心に広まった。
この噂はやがて大人をも巻き込み、パトカーの出動騒ぎ(福島県郡山/神奈川県平塚)や、
連絡簿に注意事項として記入されたり(東京)、集団下校が行われたりした(北海道釧路)。
この口裂け女の出現方法は、白いコートを着て大きなマスクをした女が現われ、「私、きれい」と聞く。
「ブス」と答えると、大きな鎌を振りかざして襲いかかる。口裂け女は100mを6秒で走る脚力をもつ。
など言われていた。
噂の内容は、服装や武器、弱点などや生い立ちにもおよび、各地で微妙に違う点もある。この噂の伝播経路
の調査では、1978年12月岐阜県一帯から始まり、1979年6月までに全国に広まった。伝播経路の一つとして
調査した岐阜県美濃加茂市は、かつて中仙道の宿場町・太田宿を中心に近郊の村が合併した町。タウン誌
「西美濃わが街」編集部 山田賢二氏によると、周辺は水害の多いところで、それぞれの村落をいかにして
守るかという「輪中」というのが生まれた。輪中内の住民同士は、強烈な仲間意識があり、情報交換を活発に
行っていた。強い情報流通力が噂を支えるための下地となっている。この噂は少なくとも20年前位からあり、
病院からでてさまよっている女の人の姿から想像した人もいるらしい。
岐阜県の八百津町に出現したという噂もあり、民俗研究家 玉木進氏によると、その当時、母親が塾に通わせ
ることを競争していた。富のない人が通わせようとしても通わせることができない。親から子供にそのような話
をすると、子供が恐ろしがって塾に行かないようになる。そういう口実の中に、親がしむけて言ったとも考えられ
る。