05/12/27 20:16:35 0
物心ついた時、すでに家には多額の借金があった。
日々の暮らしはとても貧しく辛いものだった。しかし、不幸せではなかった。
お金はなかったが、そこには家族の温もりと、そして絶えることのない笑顔があった。
両親はいつも自分に言った。「どんなに辛く悲しい時でも、決して笑顔を忘れてはいけないよ」と。
食べるものが無くてひもじい時も、貧乏が原因で友達に苛められた時も、
両親に言われたとおり笑ってみると不思議とどこからか元気が湧いてきた。
ああ、笑顔ってなんてすごいんだろう。幼心に思った。
両親が亡くなったのは六才の時であった。
ガスによる一家心中だった。自分だけが生き残った。何が起こったのかよく分からなかった。
眠りについた両親の最期の顔には、安らかな笑顔が浮かんでいた。
葬式では泣かなかった。思いっきり笑ってみたら、親戚のおばさんに怒られた。
間もなくして伯父の家に引き取られることになった。
新しい家では伯父の妻と娘に執拗に苛められた。虐待もしょっちゅうであった。
唯一、伯父だけが優しくしてくれた。伯父と、両親が残したあの言葉だけが心の支えだった。
赤く腫れ上がった傷が痛んでも、心ない言葉を浴びせられても、笑顔だけは忘れなかった。
十才の春、伯父が離婚し、伯父と自分の二人暮らしが始まった。
平和な日々がやっと訪れたと思った。しかしそれは刹那なものであった。
それは夏の暑い日のことであった。納屋で伯父にレイプされた。
そしてそれから五年間、納屋に監禁され、性的暴行は毎日のように続いた。
終わらない悪夢を見ているような、地獄の日々であった。
そんな中でも、両親の言葉を想い出し、笑うことでどうにか自我を保っていた。
大丈夫…。笑っていれば…私は大丈夫…。だから、笑わなくちゃ…。
十五才の春、近所の人の通報により伯父は逮捕され、私はようやく解放された。
しかし精神的外傷により、私はそのとき既に言葉の大半を失っていた。
人に話しかけられても、せいぜい一、二種類の短い言葉で受け答えするのがやっとだった。
長年に渡り無理に笑顔を作っていたせいで、顔の筋肉は完全に硬直し、笑顔しか作れなくなっていた。
言葉と表情を失った私は絶望に暮れ、現実を誤魔化すために酒にひたすら溺れた。
そんな時、私はあの人と出会った。
老婦人「…アンタ、顔は笑ってるのに眼はまるで死んだ魚みたいだねぇ…。
そうだ…あたしんトコ来な。いい仕事を紹介してやるよ…!」
そんな事情があるアリシアさん