10/03/12 01:06:43 lfuNZnY9
別にケンカ売りに来たわけじゃねえんで、冷静に聞いてくれよ。
俺はバーンズの訳されたモンは3冊ほど、繰り返し繰り返し読んだ上で思うんだが、あれは過剰に評価されすぎだろう。
俺もかつては認知の歪みを御題目のように唱えてた。
人との会話やネットでのやりとりにに「べき」という言葉の使用を避けるコトに執着していた。
一丁前に「あなたの認知の歪みは~~~」とかぬかしてたんだ。
今思えば、あれこそが凝り固まった「認知の歪み」そのものだった。
俺以外にも思い当たる奴も少しはいるんじゃないか。
エリスは狡猾に適切な条件下では「べき」の使用を認めているんだが、論理療法系はバーンズみたいな簡易的な、かつなんとなく楽しそうなツールを示さないんだな。
ただ、イレイショナル・ビリーフを一義的な「べき思考」に収斂させるため、どうもバーンズより(かなり)深く効くように思う。
エリスの文章は読むだけでもバーンズより根源的な位相で作用するようだ。
だが、やっぱバラエティーに富んだツールがないんでとっつきにくい。
ちなみに論理療法という名称が使われているが、いわゆる論理学とはあまり関係がない。
さらに現代論理学とは殆どかかわりがない。
あえて、提案したい。
しばしバーンズから離れてはどうだろう。
このスレは「認知の歪み」にとらわれた「認知の歪み」の再生産に満ちていないか。
例えばマイケンバウムについての言及が少ないのもバーンズに偏りすぎなのも大きな理由じゃないのかね。
テロ被害、レイプ被害といったキツイケースまでに真摯に向き合う彼の仕事は日本では過小評価されすぎじゃないのかね。