10/02/11 00:53:30 0uT/Q0EC
>>97
なまじっかコミュニケーションが濃くなると神経を使う場合がありますね。
何を話したらいいのかわからない場面を充分に思い浮かべてみて、
「私には耐えられない。」とお考えのようでしたら、
「『しかし』、言葉に詰まっても、私は幸福になるコトが出来る。」
「『しかし』、言葉に詰まっても、私には責められるいわれはない。」
「『しかし』、言葉に詰まっても、気持ちのこもった挨拶は出来る。」
など、御自分に合う文章に変えられてはどうでしょうか。
気のきかぬ返事で済みません。
以前読みましたA・エリスの受け売りですが、「べき思考」には『しかし、~』がありません。
私の知る範囲では、論理療法には認知療法のような認知の歪みリストがなく、全ての情緒的混乱は「べき思考」に還元されると考えているようです。
私自身は、間に敏感な事は恐らく日本の精神文化であって、多少苦痛に感じるのも悪くないと思っています。