10/06/19 15:01:47 h/suZzbS
>>461
外見は完全自己完結の生命体のアスペには、環境である他人はストレッサー。
定型は、人寂しくなると、他人を求める欲求があるけれど、アスペはない。
自分を肯定する気持ちよくしてくれる環境として、他人を求めることはあるけど。
だから、マイルールを少しでも修正する必要がある場合は、ストレスを感じる。
その結果、まず、フラッシュバック的に、ストレス源をなくす行動をとる。
つまり、まず、自分はただしい、自分のマイルールは修正する必要はないことを確認する。
そして、その後じゃないと、フラッシュバックが邪魔して、議論に入れないのがつらい。
4~5才の子供がいけないことをしたとき、雨が降って予定の行動ができないときに、
その理由を説明し、納得させることが必要なときがある。
こういうときに、子供にアタマごしにダメとか、遊園地に行けなくなったとかいってもだめ。
泣き止まない子に、そうだよね、行きたかったんだよねって気持ちをまず、再肯定する必要がある。
こどもは、自分がそうしたかった、行きたかったって気持ちをわかってもらうのが先なんだよ。
その、気持ちの肯定儀式をしてからじゃないと、叱るのも、できない理由を納得させるのも難しい。
子供は自分の気持ちのフラッシュバックを整理するのが先で、それをまず肯定しないと、
次に進めない子がたまにいる。大人もね。
だから、社会経験不足、自閉傾向の人との会話はまず、この自己肯定のステップが必要。
人は誰でも、自分の中の葛藤というストレスをまず整理しないと次にいけない。
でも、自閉傾向の人は、このステップがオープンすぎる、というか隠さない。
だから、自閉を知らない人は、異質感をうけたり、自己中とレッテルを貼る。
でも、ムリがないよ、ここを責めても、アスペどうしでも同じ問題になるからね。
問題は、自分のフラッシュバックを治めるのに、アスペの場合は社会常識という縛りがないこと。
つまり、善意も悪意も不在で、機械的に使える手はなんでも使ってしまうから、定型は混乱する。
定型がそのあたりを理解して、自己肯定の儀式を受け入れると、またアスペのマイルールは増長する。
つまり、アスペのマイルールを肥大させることなしに、自己肯定の儀式を受け入れる手法がないんだよね。