10/02/12 12:34:15 hUys3eBy
ASは感情と考えがほとんど分離していない。
だから感情が先に来る定型人とは合わない。
感情と考えが同一なので理屈が感情表現でもあり、だから感情表現のみの平易なコミュニケーションを不得意とし、文も定型から見ると回りくどく冗長なものになる。
ASはセントラルコヒーレンスのロック範囲が広い。
だから言葉の韻だけの関連性のような些細な関連性を辿るような話の展開をする事がよくある。
しかしこの性質は、従来の定型人の狭い関連付け編集能力では成し得ない発見をする可能性を強く秘めている。
ASと定型人とで話が噛み合わない原因のひとつは、どこまでを関連性として認識しているかの深度の差異からくる定型人の関連性のロストによるもの。
支離滅裂に聞こえる場合もあるが、よく考えると実はローマ保守派のように物凄く柔軟に物事を取り入れ正解を導いている事が少なくない。
ASは決して“内的規範w”うんぬんの問題ではない。
そこの部分は、定型は感情で納得させられれば比較的容易に考えを変えられるが、考えと感情がほとんど分離していないASでは
定型流の感情主体での説き伏せを受けると考えを根底から否定された不快感や抵抗感を強く募らせる性質であったり、
感情という曖昧なものよりビジュアルであったり言語であったり、自分なりの感覚として明確なもので動いている性質から、変化には具体的な再プログラムを要し
その負担感や抵抗感から変化に激しく抵抗する性質の違いである。
(だから理屈やビジュアルで合理性を説明される方が格段に適応がよい。)
最終的に自分の声に従うか(内的規範)外の声に従うか(外的規範)は全く個人の問題でありASそのものには何も関係ない。
ただし、“定型人がASを分析した場合はそういう見え方になる”が。
その点でも朝鮮猿こと“巫山戯為奴 ◆X49...FUZA”はエセペルガーと言える。
だから日本自閉症協会の某県青年AS当事者の会とその親一同とそれに関わる専門家一同はお前が大嫌いなんだ。
叩き連中は言うに及ばず。