10/02/12 12:17:03 S4K0xYYP
>>894
>>896
激しく同意。
障害に限らず、病気、人種、民族、宗教、などにも共通することだけど、理解と偏見は表裏一体のもの。
「理解」と言ってる連中は、とどのつまり(自分が有利になるための)周囲からの無条件譲歩を引き出したいだけなんだと思う。
たとえば
A:「アタシ○○という障害で、片付けができないの。」
B:「あらAさん。それは可哀想に。わかったわ。アタシが代わりに片付けてあげる」
こんな展開を妄想してるように思えるのだが。
実際は、
A:「アタシ○○という障害で、片付けができないの。」
B:「あらAさん。それは可哀想に。わかったわ。アタシが代わりに片付けてあげる。そのかわり△△はアナタがやってね」
ってな具合が関の山だと思われ。ならば、無理に障害なんて持ち出さなくても
A:「アタシ片付けが苦手なの。お願い、代わりにやってくれない?」
B:「あらAさん。そんなの虫がよすぎない?」
A:「かわりに△△はアタシがやるから。ダメ?」
B:「しょうがないわねぇ。わかったわ。そのかわり△△はキッチリやってね」
でもよいわけで。
無理に理解は必要ないんじゃないか?と思える。