10/01/24 13:01:56 /+uBhpxv
>>197
トリビア(無駄知識)程度に補足。
>MBDは小さな中枢神経損傷によって起こるという仮説からスタートした概念なのですが、
>MBD児達に明確な中枢神経損傷が認められないことから診断名としては用いられないようになったようです
>代わりに中枢神経損傷を仮定しないADHDという行為レベルでの診断をするようになったようです
MBDの代わりに用いられたのはADHDではなくADD。これが現代まで厄介な問題を引きずる原因となってます。
ADDが定義されたのはDSM3。DSM3では同時に人格障害が定義されました。
人格障害の定義により、ただの性格の歪みであるとしていたものが精神疾患となりました。
このとき、人格障害に該当する患者たち(主に境界性や自己愛性。以下同様)はこの新病名を猛烈に拒否します。(人格障害者は往々にして自身を人格障害だと認めたがりません)
そのとき非常に都合がよい病名としてADDがクローズアップされたのです。
ADDの定義は極めて曖昧で、基本的に不注意さえあればよく、患者が演技すれば簡単に病名が得られました。
人格障害者たちに都合がよかったのは、自分が行った都合が悪いことを全てADDのせいにすることができたことです。(境界性は責めていた自己を救う福音として、自己愛性は自己正当化のはけ口として)
また人格障害よりADDのほうが他人聞きも良いうえ、自分の好きな風に周囲をひっかき回してうまくいけば自分のおかげ。問題が起きれば誰かのせい。自分が責められればADDのせい。とでき、決して自分のせいではなくする鉄壁のバリアとして使用できたのです。
ADDは全米(の人格障害者たちの間)で大流行しました。
APAは慌ててDSM3を改定します。ADDは廃止し、不注意に加え多動衝動を伴うことを原則とするADHDとしたのです。
これに大反発したのが、既にADDと診断を受けていたひとたちです。(この中には多数の人格障害者が含まれています)
ちょうどADA法(アメリカ障害者法)の成立の影響もあり、ADDの廃止は彼らの各種既得権が剥奪されることをも意味します。
人格障害者にとって神的に都合がよく、ADA法で優遇措置をも受けられるADDという病名。絶対にADDを手放したくないという声が多数上がりました。今でもアメリカではADDと名乗り、ADDの権利擁護を訴える人が多いのです。