09/06/12 23:10:24 kk5aXncg
こういう話題は歓迎されないかもしれませんが、認知療法はアナキズムは支持
しない、とは書いてたんですが、客観的事実といわゆる世間の常識 OR お上の
言う常識が離れてる場合、あるいは自分自身の経験、確信に反する場合、
そういう倫理の中に迷信が混ざってる場合、どう対処すべきなのか迷いがあります。
自分の中でその辺のジレンマがすごくストレスになっていることに気づきました。
ひとつの例として、たとえば嘘をつくこと、マリファナや麻薬の問題、浮気や不倫や買
春の問題、あるいは親のコネや裏口入学や賄賂や整形手術などなど、まぁ実社会
では隠しながらも、実際のところ、横行しています。
また個人的には正直、悪いとは思いません。個人の問題、その組織の
問題だと思ってます。
しかしそういう自分の意見でさえ、公言することがはばかられる。ましてや自分が
過去にしていた場合、その経験を話すことが非常にリスクがともなう。
だからといって、マリファナを危ないとは思えないし買春が悪いこととも思えない。
(とはいえ私自身したことはないですが)
自分の本心と、外部から押し付けられる倫理という名の迷信の対立がどうしようも
なくストレスになっています。こういう事態の場合、認知療法は世の倫理には
百パーセント従えというスタンスなのでしょうか?自分の考え方を無理やりにで
も変えて世にあわせろという考え方でしょうか?