09/06/10 23:36:47 UmuRDOKS
>>750
ふむふむ。
オイラはそこを「自己否定につながりやすい」という意味で解釈したいですな。
裁判に喩えて考えてみましょうかね。
自動思考――検察官――ネガティブな要因ばかり挙げて被告人を攻撃する
反証事例――弁護人――ポジティブな要因ばかり挙げて被告人を正当化する
合理思考――裁判官――両方の意見を踏まえて、公平でバランスのとれた結論を出す
一見すると弁護人の主張は「被告人の自己否定」に繋がるようには思えないわけですが
これが案外クセモノなんですな。
具体例を挙げてみませう。
自動思考――検察官――「私は会話が下手だし、仕事も失敗ばかりだ。ゆえに私は劣等である」
反証事例――弁護人――「私は料理が上手だし、投資も成功ばかりだ。ゆえに私は優秀である」
反証事例を合理思考にしてしまう、つまりこの場合だと「私は優秀である」ということを合理思考にしてしまうと
「自分が優秀でない場合」に対応できなくなるんだぬ。
少しでもネガティブな状況に陥ると「やっぱり検察官が正しかったのでは…?」となりやすい。
結果として自己否定に舞い戻るケースが増えてしまうんですね。
………
早い話、「ポジティブ思考はスキーマに対する過剰補償を強める」ということですな。
最終結論をポジティブ思考で乗り切ろうとすると
そのポジティブ思考自体が「生きるためのルール」となって本人を苦しめてしまうわけです。