09/04/06 13:05:04 4kpeMc12
仏教と精神療法の例
仏教で「二の矢を受けず」という言葉がある。
弟子がブッダに質問する。「仏教を学び体得しても、やはり人は死ぬし、病気にもなる。いったい何のためになるのか?」と。
ブッダは答える。「二の矢を受けず」。
死や病気の苦しみ(一次の苦しみ=一本目の矢)は治せない
が、「死ぬことへの恐怖」や「どうして私だけがこんな病気に」など、
死についての苦しみ、病気についての苦しみ(二次の苦しみ=二本
目の矢)については仏教でなんとかなる。
キリスト教関係でも、「なぜわたしだけが苦しむのか」という訳書が
あった(岩波の文庫版)。
仏教では毒矢のたとえもある。
毒矢を打たれた人に向かって、毒の性質や矢を打った人間が
誰であるかなどを詮索しても仕方がない。とりあえず矢を抜いて
毒を抜かなければならない。
人生の問題も同じようなものだ。なぜと考えるよりまず、毒矢を
抜きなさい。
どちらも精神療法に使えるお話。
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