08/12/07 13:51:00 eon26jQ6
神は、環境破壊をしてまで、数々の犠牲をしてまで、人間を育て上げました。
それには意味があります。ある目的があります。それはいいません。
しかし、人はその神の意思とは
逆方向にうごいてしまいました。金をつくり、弱肉強食のため、あらそい、
我よしというふうに進みました。神がもとめているのは、精神性のはったつ
です。そのように、促すということを決めているようです。
ですから、これからは、心によきことを思うか、悪しきことをおもうかが
簡単に現実に到来するので、自分との戦いになります。
だから、神経症は不利であると感じているのです。神を感じるには、
神を喜ばせればいいと思います。それは、掃除、感謝、笑いです。
見えないものの存在にとっては、病気をなおすことも、金をあたえることも
そんな難しいことではないのです。
ですが、これが難しい、そんなものがあるはずがない、と人間は思うからです。
そんなことしているなら、努力をしたほうがよい金儲けしたほうがよいと、人間は思うからです。
ですが、良心をそだてあげたものだけに、その褒美をやるということを
神は決めているようです。だから、効率的でない行動をとるひとは
尊いし、ありえないほどの幸福を得ることも可能なのです。
効率的でもいいんです。それでも、毎日募金すると金もちになるよ
、毎日トイレ掃除をすると病気が治るよといわれても、
信じられないでしょう。継続できるかどうかで
これからは決まると思います。よい縁が目の前に到来します。
自分は、だけど、それができません。だからこそ、神経症は難しい
し、幸福になるのは難しいのです。