09/05/23 21:18:56 rJmA/pvn
消す為に気づくわけじゃなくて、悲しみという事実に「気づくために気づく」わけで。
怨憎会苦や愛別離苦など、避けられない痛みもある。
妄想や紛らわしや気をそらしたりするのではなく、痛みや悲しみにマインドフルになって
「痛いときは痛い」「苦しい時は苦しい」という事実を受け入れる。
結果悲しみが消えるとしても、「消える」のは無常任せ。他動詞になっているところが味噌。
あるヴィパッサナーの本に「苦しいからといってそれが間違っているわけではない」
と書いてあった。
また、「悲しむものは幸いである、そのものは慰められる」と言う聖書の言葉は、
抑圧なしに気づくことを表現しているとも書いてあった。