10/04/13 23:32:21 発信元:59.135.38.168
また、規制という名のブラックホールに吸引されて、トンネルを抜けると、一面、白銀のシベリアだった…。ちょっとだけ、ふざけました。ごめんなさい。
世界や宇宙に直接、穴が空いている訳ではなく、世界と世界、宇宙と宇宙は繋がっているのだ。
♪ブラックアンドホワイト♪バット、ユーアーオンリーワンディスカラー♪というわけですね
それが何の役に立つかだとか、それで何が出来るかと言われれば、それまでではあるのだがという理論は数多くあるが、そういう訳でも、話でも無いという事なのだ。
メカニズムを知って、応用する事によって、生まれる物があり、反して出来上がる物がある。
つまりは正物質と反物質、応用された産物と対応にあたる。
例え話をするなら、もしメカニズムを知らずにして、出る物も得られないのだとしたら、その状況に陥った時に対処が不可能であるか。
知る所を知る事によって、応用できるのであれば、その状況や窮地に直面した時に、対応が可能であるかという問題なのだ。
簡潔に纏めれば、我々の生活や水準というものは、知る所を知る事、メカニズムの解明と応用と対応にあたり、その次第であるのだ。
釘が一本有るのか、足りないのか。又は風邪の時に薬が有るか、無いかという差の積み重ねである。有益であるか否かとはその通りである。
そして、また先人達の恩恵(メカニズムの解明と応用と対応、身の回りに有るものは殆どである)を受けながら、
現在は生活の維持や、利用、更には豊かさを追求しながらも、それが何になるのかと否定しつつ、水準の維持に努めようとしているパラドックスなのだ。
更に言えば、発展と進化には、まさに反する因子も寄り添っている側面がある。何にでもあるかもしれない。
それに伴って、(余)過分や負の産物、要因が影や闇、暗黒面のようにクリープ(忍び寄る)している。それは主観的な事情に過ぎないという側面もまた然りである。
(つづく)