09/11/16 22:11:26 発信元:118.4.248.132
『週刊現代』 1995年5月20日号
独走スクープ テレビ・新聞では分からない前代未聞の不可解な「オウム事件」の真相
麻原 オウムの「末期」
第3部 連続追及「村井秀夫刺殺事件」にも関与か
麻原を消せ!!警察も手を出せない「闇の組織」の正体 伊勢暁史
オウム真理教が熊本県波野村で国土法違反のかどで警察の強制捜査を受けた直後の’91年
10月20日、東京・西武池袋線練馬駅北口近くにある練馬文化センターで「真の自由と平等を求め
る市民の会」と題した集会が持たれた。
この集会の主催者は「反天皇制全国個人共闘(秋の嵐)」と「不当捜索押収連絡会」、それと
「オウム真理教」だったが、実態はオウムが開催を呼びかけたオウム主導の集会である。
(中略)
この集会でパネラーを務めたメンバーのなかに「A」という人物がいた。
A氏は赤軍派の活動家と親しい関係にあったが、’84年ごろから神奈川県内で水商売の道に
入った。そして、’87年の暮れにスナックを開店する。
(中略)
当時、一部のマスコミは「A氏が北朝鮮工作員とコペンハーゲンで接触」などと書き立てた。
これに対してA氏は名誉毀損の裁判をいくつも起こす。それらの裁判はA氏の勝訴で終わった
が、昨年、横浜地裁、東京高裁で下された判決文では、いずれもA氏が北朝鮮工作員と接触
していたとされる点に関しては事実と認定されているのだ。
(中略)
・・・・ある公安関係者が、こういう。
「A氏の経営するスナックには50人以上の現職の自衛官や防衛大学生、防大職員までが出入り
していた」
警察はA氏の周辺にいると見られた北朝鮮工作員と、A氏のスナックに出入りする多数の自衛官
の存在に危機感を感じ、別件で立件したというのである。