10/04/22 18:16:23 HRIzeo7T0
世代を越え、時代を越えて愛され、盛況する熱海。
ただ、こうした"土地に対する愛"は世代や時代を越えようとも、地域を越えることはできない。
なぜなら、"山"や"地域性"が"愛"を妨げるからであり、熱海にしても、現に"丹那"という峻厳な
壁が西方からの愛を妨げており、当局もそれを自覚したうえで専ら同族である関東人を観光事業
の対象とし、その中での奥座敷性が元来の豊富な観光資源とマッチして世代・時代を越えた"愛"
を生み出し、継続的な"盛況"をもたらしているのである。
そうしてもたらされる量的実績から、熱海は全国一般的に"1流地"とみなされているのであるが、
それに対し、壁の向こう側にある沼津・修善寺などの場合は、当地に存在する豊富な観光資源
それだけを見ると、たしかに世代や時代を越えた愛が成立するに足る魅力ある素晴らしい土地
ではあるものの、関東人から見ると単なる"3流地"にほかならない。
勿論これらの土地は"カッペ"で溢れるという現在の地域性から、残念ながら、地理的に連続した
名古屋・静岡から見ても3流地としか言いようがなく、これぞまさに閉塞された地方都市である
がゆえの宝の持ち腐れ、非常に狭い範囲でのみしか世代や時代を越えた愛を獲得できない典型と
いえるだろう。
なお、南方の"宇佐美"の壁も、"丹那"や"箱根""足柄"ほどではないが、 感覚上大きな壁
となっており、伊東は所詮"2流地" というのが大方の関東人の認識である。
つまり、土地の盛況と各地域での"奥座敷"としての相応性は密接不可分であり、それが
1流・2流・3流という一般的評価を決定的に分けているのである。
関東人から時代・世代を越えて愛される熱海は1流。
中京人から時代・世代を越えて愛される木曽も1流。
狭い範囲(地元民かそれプラスα)にしか愛されない沼津・会津は3流。