10/03/20 16:10:03 iM3f+xTU0
>>175
>>161のネタレスの>>174にマジレスというのは滑稽だが…
対岸のスレでも、似た話題が出た時に脊髄反射のように書き込んでいるね。
6300系だが、関西新空港連絡特急ができるまでの繋ぎだったとのことだし、
1989年に急行10分間隔実施で、その時のリソースを活かしつつ変化に対応していた。
90年代前半に、6300系運用の当時の急行に何度か乗って、別に大きな問題はなかったが、
2000年以降はずいぶん叩かれていたのが興味深かったが。
他方で、京阪は変化を読んでいなかった。
京都市中心部の開発はもともと制限があるし、京阪自らも樟葉の開発をしていたから、
80年代後半には、その後の変化は予測できた(京阪エリアにいたらわかる)。
というか、経営者のポジションであれば、それを踏まえて経営判断していかないといけない。
それができなかったから、当時の考えの経営陣が退陣させられて、
特急樟葉・枚方市停車と動いていったのだろう。
もっとも、過去の成功体験に縛られてしまって、考えを改めたり、
過去とは異なる手法を進めていくのが難しかったのもあるのだろうが。