10/03/13 12:38:02 61jNvNJ90
>>493
それは違う。
快適性の更なる追求は6300系投入で実現している。
急行の8連化達成はそれよりも2年後の昭和52年。
ところが最混雑区間(上新庄~淡路)の混雑率は6300系の投入の翌年に20ポイント近くも急減しているから、
急行以下の輸送力には8連化と普通の増結を後回しにしても余力があったということ。
「窮屈で問題ない」と放置冷遇していたのではなく、急行の8連化未達成の状況でもちゃんと効果的な手を打ち、なおかつ輸送力増強の余力があったと言うこと。
片や特急の停車駅(大宮烏丸河原町)は8連化の始まった昭和47年から10年で25%増し(+4万人)と急増している。
茨木市運んでいる積み残しだと茨木市被害妄想厨は叫ぶが、その増加量は10年間で大宮より僅か2000人多いだけ。
つまり特急の8連化は快適性向上と言う見栄やイメージを重視したサービスではなく、純粋に輸送力の増強が必要だったことが判る。
それは6300建造時に10両化も想定に入っていたことからも充分に想像が出来る。