10/03/22 12:47:53 5/uV2Hkw0
>>146に続く平行世界もの
◎阪急電鉄10000/10300系
車籍登録年 2010 特記 現代ロテム社製:made in Korea !
○概説
阪急は、1990年初めのバブル崩壊以後、新車投入を抑制した結果、保有車両の内、経年劣化が深刻化したものが増加し、
大規模な新車置換を迫られた。
経営環境の厳しさから車両投資を抑えるべく、国産よりも格安な韓国製を投入することに決めた。
この新車投入は、車両メーカーから即買い取りではなく、
タックス・ヘイヴン(tax haven)の一つケイマン諸島に本社がある会社とのリース契約に基づくものである。
新車製造会社は、韓国の現代ロテム。
車両形式称号は、神戸・宝塚線系統向けが10000系、京都線・堺筋線直通用が10300系。
主な仕様は、VVVFインバータ制御、車体はステンレス製、台車は9000/9300系に準拠。
車両の意匠に関して、先頭車の形状は韓国鉄道公社321000系電車に準じる:
URLリンク(ja.wikipedia.org)
コストカット追求により、外装は無地のステンレス車体に茶色の帯、内装はJRのE233系に準拠し、窓の遮光幕省略。
が、しかし、「阪急電車はこうあるべし!創業以来変えるべきではない!」の保守派のクレーム対策として、
そういう保守派が好き好んで乗る先頭車だけ、屋根と床下を除いて伝統のマルーン一色で塗りつぶし、
室内も木目調化粧板、柔らかい濃い緑色のシート、さらに日除け鎧戸、と創業以来の伝統を体現。
つまり、編成の中間車はJRのE233系や東急の二代目5000系に酷似するが、先頭車だけ阪急らしさを残している。
2010年度に就役開始。
梅田での就役記念式典では、韓国製なのでチマチョゴリを着衣した宝塚歌劇団の団員や韓流スターに見送られて出発進行。
茶色の丸っこい先頭から早くも“どんぐり”のあだ名が付けられる。
因みにモデルとなった韓国鉄道公社321000系電車は、韓国では朝鮮語と丸っこいを意味する“トングリ”のあだ名が。
10000/10300系は鉄道友の会のローレル賞を授賞する。
だが、2チャンネルなどのネットでは何故か最も叩かれる電車の一つとなってしまった。
152:名無し野電車区
10/03/22 13:46:26 fgRkXhCj0
阪神ならとにかく阪急ではありえないからな
153:名無し野電車区
10/03/22 16:21:07 EJexFWNp0
京王電鉄5030系
京王電鉄が5000系から6000系の過渡期に製造した通勤形電車。
前面は5000系と同じであるが、側面は6000系と同じ両開きドアを採用している。車体長は18m級のまま。
車体は地下鉄乗入れを視野に入れ、裾絞りの無いタイプ。
制御方式は6000系の後期タイプと同じ界磁チョッパ制御を採用。
尚、この車両が映画「耳をすませば」に登場する京王線車両のモデルとなったのは言うまでもない。
都営新宿線開業後から6030系と共に地下鉄乗入れ運用に就いていたが、18m車体が災いし僅か5年で地下鉄乗入れから撤退。
154:名無し野電車区
10/03/22 18:34:19 mWqutZqW0
国鉄クモハ165・モハ164形200番台・クハ164形500番台
急行「佐渡」の落石事故で廃車されたクモハ165・モハ164-3とクハ165-58の補充として153系から改造された車両。
引き通し変更、抑速ブレーキ追加や主電動機取替などを施工し、クモハはモハ153に165系タイプの運転台ブロックを接合した。
また、クハは0番台と異なり500番台を種車としたが、幌枠形状などが純粋165系と異なる。先頭車の塗り分けは165系に揃えられた。
153系として製造されたハザではこの3両だけがJR(東日本)に継承されたが、1990年に3両同時に廃車された。
なお、改造後の配置は終始新潟(→上沼垂)であった。
155:名無し野電車区
10/03/25 00:53:27 X5/n205j0
2010年3月ダイヤ改正で寝台特急北陸は廃止、急行能登が定期運行から撤退した。
北陸は2008年度は通年平均で6割の乗車率であり、廃止となった2009年度は7割に
迫る乗車率であったことから、廃止当初からJRに対する疑問や不満の声があった。
そんな折の2010年夏の参院選で自民党が圧勝し、内閣支持率低下から内閣総辞職、
解散総選挙の結果、自民党が与党に復帰した。高速無料化やこども手当てなどの
問題のある政策の抜本的見直しを行い、来るべき将来の超高齢化社会や温暖化
対策を見据え、公共交通、特に地方の鉄道の維持、利用促進を図るべく、
道路特定財源の一部を鉄道も含めたインフラ維持に充当することとなった。
また、北陸を自ら利用していた石川2区の有力議員の働きかけもあり、
北陸は復活する運びとなり、E585系が製造された。復活した北陸は能登の
安価な座席需要も兼ねるために急行化され、寝台と座席を備える列車となる。
B個室ソロ、A個室シングルDXの合造車サハネE585はE231、E233の増備により
余剰となった、サロ213、212を種車の2階建て構造を生かし、平屋部分に
A個室3室、B個室を27室で定員30名。
クモハE585、モハE584、モハE584-100、クモロハE585はE531の増備で余剰
となった415系1500番台をIGBT-VVVF化した座席普通車で、夜行運転での
居住性向上のためシートピッチを1100mmとし、座面スライド機能付きの
リクライニングシートを備える。好評だった489系能登と同等の減光機能も
有している。クモロハE585のグリーン室は1+2の3列配置としている。
モハE584-100はカーペット車とし簡易パーティションを備える。
多客期には2段ベッドユニットを配置し定員を2倍とすることが可能である。
編成は4M4Tの8両編成である。
運転開始以降、好評を博し多客期には485系NODOKAカーペット車+485系による
北陸91号も運転される。
北陸フリーきっぷによる寝台利用も可能で、2011年度の寝台の乗車率は
通年で7割を超えた。また座席車もツアー扱いのスターライト北陸を
東京~金沢7500円で発売し、好調な乗車率を維持している。
このように、新生北陸とE585系電車は夜行列車の将来のあり方の指針を与えた。
2014年には「あけぼの」置き換え用に本形式を元に完全新製としたE587系の
製造が決定した。
156:名無し野電車区
10/03/25 01:33:54 zeKVHtph0
モヤ582
583系の訓練車。
座席はおろか上段・中段寝台も一部撤去され、ミーティングスペースが設置されている。
157:名無し野電車区
10/03/25 05:04:13 3tgsmICi0
>>151
なお、韓国製のためマルーン塗料の色素にウンコを
用いていることはここだけの秘密である。
158:名無し野電車区
10/03/25 05:20:46 3tgsmICi0
157系ブルーライナー
昭和40年代後半、153系で運行されていた新快速を増発するにあたり
田町の157系を転属させ、ブルーライナー色に塗装変更して使用。
アコモデーションが153系より良く好評であった。
のちの117系がこの157系の前面形状をもとにしていることはいうまでもない。
なお157系はN60体質改善工事を受け現在も紀勢本線で活躍中である。
159:名無し野電車区
10/03/25 12:23:00 F+d+IayiP
特急シーボルト用キハ2000系
これは長崎佐世保間でバスとしのぎを削ってるJR九州長崎支社がシェアを奪うためにJR四国と協力して製作された。
振り子気動車なので、単線かつ曲線が多い大村線も高速走行可能になり長崎佐世保間が一時間台に短縮された。
なお、停車駅は長崎、浦上、大村、川棚、ハウステンボス、早岐、佐世保となる。
諫早通過なのは特急かもめに配慮してのことだ。
160:名無し野電車区
10/03/25 15:59:43 zew7YwVE0
JR北海道キハ61・キハ68
廃車になった183系の足回りを流用した一般形気動車。ワンマン対応。
両運トイレ付きのキハ61と、片運トイレ無しのキハ68が製造された。
種車の違いにより搭載エンジンはDML30HSIとDML30HSJとがあるが、
どちらも出力を440PSに統一してある。
高馬力を生かして峠越えのある路線を中心に活躍中。
最高速度は110km/hだが、キハ40等と併結の場合は95km/hに抑えられる。
161:名無し野電車区
10/03/26 10:17:16 Kw28/WyW0
京阪神急行電鉄1600系(並行世界)
阪急が戦後京都線に導入した国鉄モハ63系。当初車内ではあまりの施工の悪さに導入反対が大勢を占めていたが
稼働車両が少ない状況の中で収容力の大きさは魅力で、自社で出来る限りの改装を行って出場した。
前面は当然非貫通であったが、桜木町事故のあと早々と貫通化改造が行われ、P-6同様の緩衝器付き幌が設置された。
MT-40はP-6に次ぐ大出力のため、時としてP-6に互して急行運用に使われることもあった。
なお当時京都線車両は十三を抜けると宝塚線を利用して梅田まで乗り入れていたが、中津駅付近は車体幅の関係で
そのまま入線できないため、宝塚線中津駅はこの時点で廃止となった。
昭和30年代に車体更新が行われ三段窓の2段窓化および室内の全金属化改造が行われたが、老朽化が激しく
昭和43年までに全車廃車となった。
しかしこの車両の導入により阪急は京都線・神戸線をのちに20m4扉車に統一することになり、のちに
関西初、標準軌初の新津車両製作所製標準車9000系の導入に至るのである。
162:名無し野電車区
10/03/26 15:08:18 ZucZbvBb0
EF210形500・600番台
JR東海とJR西日本がEF66の置き換え用に製造したEF210。
寝台特急の牽引に使用される。
500番台がJR東海、600番台がJR西日本の所属。
163:阪和線
10/03/26 20:36:39 OpvdIVG30
>>162
東海は機関車保有してないんだけど。
125系1000番台
121系の老朽化が年々顕著に見られてきたことにより製造した車両
JR西の125系を借り予讃線・土讃線「琴平以北」で試験を実施し
好調だったため導入を決定した。
車体は125系に準じおり腰部はマリンブルーを採用している。
室内も1500系に準じた車内をしているがラッシュ時を考えて
3ドアにしたところがと特徴である。
7000系と連結を対応にしている。付随車の126系も誕生している。
編成数は15両の導入を予定しており126系は2両の製造予定である。
164:名無し野電車区
10/03/26 20:41:46 wQu/cILB0
253系2編成永久連結化
N'EXこと253系は、当初3連を基本に3・6・9連で運転されていたが、利用者の増加により
増結状態での運転が常態化したことから、3連を2本併結した6連を1編成として使用することになった。
改造により中間に閉じ込められたクロ253形は、グリーン個室部分を含め
座席を交換の上普通車化された。
165:名無し野電車区
10/03/26 21:00:49 ZucZbvBb0
ED313
JR東海が製造した313系ベースの電気機関車。
足回りは313系と同一であるが、車体が大幅に短縮されていて走行機器は床上に設置されている。
主に工事用車両の牽引に使用される。
定格出力が740KWしかないため長大編成の客車列車や貨物列車の牽引は不可能。
166:名無し野電車区
10/03/26 21:01:05 lUeIC3yRO
>>153に付け足し
1999年に6000系抵抗制御車が全廃されたが、
5030系は界磁チョッパであったためこの時点では廃車を免れた。
しかし2001年に9000系が登場し廃車が始まり、
翌年の2002年には全廃された。
167:166
10/03/26 21:18:08 lUeIC3yRO
私153じゃないけど、
もし153氏が納得できないことあったら意見下さい。
168:名無し野電車区
10/03/26 21:54:05 XkFt5GqX0
・阪急9700系
基本性能・外観は9300系に準拠している。
運転台は誤操作防止の為、ワンハンドルからツーハンドルに変更された。
特急伝統のツードアが復活し、車内は阪急伝統の木目調の化粧版を随所に使用し
通路は淡いパープルのシートを貼っている。蛍光灯には薄いクリーム色のアクリルカバーを付けて、
車内を暖かい雰囲気にしている。
側窓は天地を950mmとし、太陽光を取り入れやすくしている。
カーテンは西陣織を使用し、地域色を出している。
特筆すべきは転換クロスシートである。
京急で採用されている『ノルウェー・エクネス社』のシートを使用し、
表地は阪急伝統のモスグリーンに宝塚歌劇団の図柄が縫いつけてある。
枕カバーは本革を使用し、優先席には赤カバーをかぶせている。
シートピッチは850mmで、シートの向きは基本的に進行向きになっている。
8両を基本とし、5編成が京都線用に4編成が神戸線用
169:名無し野電車区
10/03/27 01:36:23 G6D5b76P0
京王2010系/5000系ロマンスカー
国鉄への対抗上時間では不利だった京王がサービス向上策として導入。
ドア間に転換クロスシートが4列ずつ設置された。
現在は伊予鉄・富士急などで活躍。
170:名無し野電車区
10/03/27 03:02:13 Qy1jVHfe0
サハネ581-200番台
国鉄でサハネ581にCP増設改造を施工。
床下にC-2000形CPを増設した。
583系はCP容量の関係上12両編成ではサシ581の連結が必須だったが、この改造でサシを連結しなくても12連を組めるようになった。
しかし編成短縮で必要なくなったため1993年に廃車されてしまった。
一部CPを残したまま419系や715系に改造された車両もある。
171:名無し野電車区
10/03/28 00:12:02 LUmGwIVo0
JR西日本117系3800番台
国鉄新快速のパイオニアを短編成化し、山陰本線に導入する計画の犠牲車…もとい救世車である。
4両で走っていた117系を分割し2両にした車両。
1編成は両方の先頭車に、余剰となった
113系5700番台のモーターを取り付けた、至って普通の外観に普通の性能
問題…特徴的なのは方割れの1編成である。西日本お得意の先頭化改造により
福知山・城崎方は113系3800番台顔に京都方は113系顔に変貌した
もちろん、福知山・城崎方にはサンパチボードを装備している。
しかし、223系5500番台登場によりこの改造は1編成のみに行われた。
カラーリングはカフェオレ@國鐵廣島ver.で、手軽に廣島クオリティに出会える。
172:名無し野電車区
10/03/28 08:41:48 ClmZDWuN0
JR北海道 EH500-500
なにをトチ狂ったか、JR東日本に触発されて貨物所有の金太郎を導入し、札幌~東室蘭間の
北斗星、カシオペア、トワイライト、はまなすの牽引に使用することに
塗装はJR東日本のEF510と同じブルトレ塗装、ニックネームはその巨体に似合わない北海道
先住民族アイヌの小人の精霊「コロポックル」とし、ミュージックホーンまで装備した
ファンからは、あまりの暴挙に唖然とされ、じゃがポックルと呼ばれる始末になるも元気に走っている
173:名無し野電車区
10/03/28 14:12:17 cYJSP6dmI
>>161の車輌が山陽電鉄に
山陽電鉄700型元京阪神急行車(63型)
>>161の京阪神急行1600型が昭和40年から廃車開始を嗅ぎつけた山陽電鉄が
同型車700型を保有してた事、一応昭和30年代に更新して全金属車体になってた
事で神戸高速鉄道に入線可能な事から京阪神急行1600系廃車開始と同時に山陽電鉄への
譲渡が始まった編成は基本京阪神急行1600時代とおなじMc-Tcだが前面貫通幌があり
Mc-Mc-TcやMc-Tc-Mc-Tcでも運用され、自社700型も元京阪神急行車に準じた更新を
行った車輌も出現した、しかし自社700型の老朽化と元京阪神急行車の車齢から、
残りは2700型化されたり、元京阪神急行P-6の足回り流用の2800型が登場する遠因になる。
神戸高速鉄道開業後は主に20m車走行可能な阪急神戸線六甲に乗り入れてたが
全金属更新受けても内装は不評だった、山陽電鉄自社未更新車は更新か2700型化で
1968年度迄消滅、更新車や元京阪神急行車は820、850型廃車完了後昭和50年から廃車
始まり昭和55年度に形式消滅。
174:名無し野電車区
10/03/28 15:55:10 0rSxG5hE0
京阪神急行電鉄1700系(並行世界)
阪急では戦後の新標準車体を決定するにあたり、神戸線の車体幅とP-6の車体長を基準とするべきという
旧阪急派と、1600系(即ち旧国鉄63形)の車体寸法を基準に一気に三線の規格改良をすすめるべきだという
京都派に分かれ議論が紛糾した。そこでそれぞれが試作車を製作することとなり、
旧阪急派は810系を製作し、現状でも京都線・神戸線の乗り入れが可能であり、また京都-神戸直通特急を
走らせることが出来るなどそのメリットをアピールした。京都派が製作したのは20m車体に920系以来の大出力形
主電動機を組み合わせた1700系であったが、現状では京都線のみしか走行できなず、圧倒的に不利な立場にあった。
一方宝塚線では未だに1形から500形に至る小型車が主流であり、乗客の不満は頂点に達していた。
その中で1956年、庄内駅にて激怒した乗客が線路を占拠するといういわゆる「庄内事件」が発生する。
この事件をきっかけに阪急は社長判断により急遽宝塚線路線改良と大型化を電光石火で実施、
810系および神戸線600系、900形、920系、800系全車を宝塚線に転属、同時に神戸線も中津駅を暫定廃止し
20m車入線可能とし1700系の大量増備により事実上、標準化議論は京都派の逆転勝利に終わった。
なお宝塚線を追われた小型車群はすべて東岸線(旧京阪電鉄路線)に放逐されたが、
これはまた新たな問題を生むことになる。
175:名無し野電車区
10/03/28 17:29:15 cYJSP6dmI
>>174の並行世界から
京阪神急行電鉄京津軌道線、京阪神急行電鉄能勢線、
800型、920型、900型
京阪神急行電鉄合併後規格型1300系の新車は入線したが、投資は元々新京阪線の
京都線ばかり新車が集中し、規格が低い旧京阪本線は冷遇を囲っていた。
旧京阪沿線からは特急電車運転の希望が殺到し、阪急本社は京阪東岸線の
規格から旧神戸線の規格17mしか入らず、規格大改良には時間を要する事、奈良電鉄や
近鉄奈良樫原線との相互直通を考慮して、まず神戸線920系を転属して車内をクロスシート
にして対応する事にした。本社は固定クロスシートを望んだが元々旧京阪線沿線からは
計画に不評が続出そのため車内は旧京阪線の転換式クロスシートに改装されて。
天満橋~三条の特急電車に使用される事になった、同時に天満橋~淀屋橋
三条~出町卿、四条大宮~河原町~四条の新線も免許された。
京阪神急行電鉄710系(並行世界)
神戸線用810系を京阪東岸線用特急電車運転に車内を転換式クロスシートに
した物なお京阪東岸線は改修された。
176:名無し野電車区
10/03/28 17:32:02 cYJSP6dmI
間違えた京阪神急行電鉄、京阪東岸線用特急だった。
京阪神急行電鉄大津軌道線、能勢軌道線が。
320、380、500、550型だったスマソ
177:anorak?
10/03/28 19:13:17 7xXHDhJR0
>>121 >>146 >>151 に続く平行世界もの
◎JR西日本121系3000番台一般型電車
車籍登録年 1998― 車種 Mc T'c 特記 車体のみ新製
○概説
当121系3000番台は、1998年の播但線の姫路・寺前区間の電化並びに2004年の加古川線電化用に製造された。
JR西の台所事情を反映して、完全な新製ではなく、車体のみを新製し103系の走行システムの機器類を再利用した車両であり、いわば103系を1M化した車体更新車。
設計の基本コンセプトは国鉄終期(86年度末)に製造されたJR四国の121系に基づく。McT'cを基本編成とする。
車体は、寸法や意匠がJR東日本のE127系100番台に酷似した断面が狭幅で両扉三扉の軽量ステンレス製。先頭車は分割併結対応の貫通型で自動連結器装備。
足回りは、103/105/121系と共通の抵抗制御で金属コイルバネ台車。
車体中央扉を基準に運転室側はオールロングシートで、妻側はセミクロスシート。T'cに洋式トイレ。半自動ドア、ワンマン運転対応。
種車に比べて車体が軽量化されたので運転性能が少し向上。
◎JR西301系3000番台
車籍登録年 1998― 車種 Tc T'c M M'
○1970年代、経営悪化の国鉄にて旧型国電72系電車の一部に対し車体を103/113系のものに取り替えたアコモデーション改良車、略してアコモ改造車が存在した。
歴史は繰り返し、1998年、JR西日本は、老朽化した103系の体質改善策として、103系の足回りを流用し車体のみを新製した車両を投入。
車両形式称号に関しては、103系の新番台とせず、現場での区別明確化の為、103系一族である301系を敢えて付与。
車体は、寸法や意匠がJR東日本の209系に酷似した断面が狭幅で両扉四扉の軽量ステンレス製。先頭車は分割併結対応の貫通型で自動連結器装備。
足回りは従来の103系のままで、抵抗制御のMM'ユニット。車体が軽量化されたので性能が少し向上。
内装は209系に酷似し、ロングシートで、地方への転用を考慮して半自動ドアの準備、クハにはトイレの設置準備。
通勤形は207系の使用意義がない路線に対しは暫定的に当車両を大量増備という当時の方針に基づき、阪和線に大量投入され、昼間103系見かけず程。
因みに沿線の鉄道愛好家達の多くががっかりしたのは言うまでもない。
178:anorak?
10/03/28 19:24:19 7xXHDhJR0
>>177の訂正
>先頭車は分割併結対応の貫通型で自動連結器装備。 ×
↓
先頭車は分割併結対応の貫通型で自動解結装置付連結器装備。 ○
179:名無し野電車区
10/03/28 19:54:47 ZcHWxVab0
EF72
津軽海峡線開業に向け、国鉄が投入した電気機関車。
夜行列車、貨物列車の削減と普通列車の短編成化によって余剰となったEF71を改造して製作されている。
その高出力を生かし、主に旅客列車の牽引を担当したED75改造のED79に対し、貨物列車の牽引を担当した。
最高速度を110km/hに向上させるため歯車比を変更したほか、絶縁性能の強化、青函ATCを搭載している。
民営化はJR貨物に継承され現在も全機が存命であるが、後継機EH500の進出により
活躍の場が狭まり、その雄姿を見ることができるのもあとわずかである。
180:名無し野電車区
10/03/29 00:47:37 T4jkEvKB0
KHINKANSEN
ロテムが開発したKTXの輸出仕様。
名前は King of HI New KoreAn Speed Electric Network の略という。
イメージイラストでは背景の山が富士山だったり、職員服が忍者なのがご愛嬌。
最高時速400kmながら1両1億円の安さが受けて世界50カ国に納品されたが、何故か故障多発。
同社や韓国政府はライバル企業・国の陰謀と主張し、納品国を名誉毀損で逆に訴える事態にまで発展したが、
信頼性のある日仏独やさらに安い中国の高速鉄道車輌に押されて消えていった。
181:名無し野電車区
10/03/29 01:41:37 2t1Mh6Yb0
JR西日本 113系8700番台
國鐵廣島のイメージを一新するために導入。
車体は113系だが三菱製VVVFインバータを搭載し
車体カラーも223系に準じた塗装になっている。
ただ、車体は國鐵なので利用者には分からなかったので
1編成のみ製造。現在はニートしてます。
182:名無し野電車区
10/03/30 23:02:46 fBkUkV5iO
名鉄2800系
2200系や1700系+2300系の一特車の増結用車両。2両編成。
車体は2200系と全く同じ。
内装は車端部がロング、扉間が2列+1列の転クロとなっている。
朝夕の一特車の増結運用が主な仕事だが、日中は、3100系、3150系、3300系、3500系あたりと組んで急行の運用に入ったり、
2両単独で普通の運用に入ることもある。
183:名無し野電車区
10/04/01 11:42:44 F0i7MScdO
名鉄100系(200系216F~)
豊田線及び鶴舞線の輸送力増強を目的に100系7次車を投入。
車体は6750系2次車に準じたデザインに変更され、足回りのVVVFインバータ装置も、モ160形や215Fで採用されていたGTO素子から3100系と同じタイプのIGBT素子(1C1M×4群)に変更。
この車両の投入により100系グループは、
・抵抗制御
・界磁添加励磁制御
・GT0-VVVF
・IGBT-VVVF
…と、実に多種多様な走行装置を搭載することとなる。
184:anorak?
10/04/03 03:47:06 N671wYg50
>>177-178に続くもの
◎国鉄487系電車
製造年 1984-86 車種 Mc M' Tc 特記 客車航送
○概説
1985年、本四架橋の神戸・鳴門ルートを構成する大鳴門橋の開通と共に、国鉄本四淡路線が鳴門・岩屋間で暫定開業、
並びに当路線岩屋駅と山陽線垂水駅を結ぶ鉄道連絡船として神淡連絡船も開業。
宇高や青函とは違い航路が6km弱と短いので利便性を重視して特例として列車に乗客を乗せたままの車両航送を行う事で、
新大阪・徳島直通特急が運行開始。
この直通特急計画にて、弱点となる連絡船と岩屋以南の単線を補う為に高速度・高加減速運転の必要性が生じ、
鳴門と明石海峡区間は津軽と同様の新在共用構想も絡んで、本四淡路線と鳴門線と高徳線池谷・徳島間は交流20KV60Hz電化。
この特急用に製造されたのが、487系である。
485系を土台に客車航送の為に、一に海難事故で乗客が脱出し易い様にと幅1mの片開き引戸の三扉と一段下降窓、
二に船の積載荷重低減に軽量ステンレス製の裾絞りの広幅断面車体、三に船からの電力供給のプラグイン、
四に船内に三両程分割して搭載するので先頭車は185系似の貫通型で自動解結装置などの特別仕様になる。
M'にパンタグラフ搭載したMM'ユニットの抵抗制御、冷房は集中式。
重量バランスの観点から編成内のトイレと洗面所をTcに集約、小用と洋式各々二つと洗面所一つ、車販準備室も。
三扉なので後年の721系の様に三つのデッキと二つの客室、簡易リクライニングシート。
(McM'Tc)*2の六両編成で新大阪と徳島を結ぶ特急として就役。
客車航送の際、二分割され、DE10で船内に押し込む、船とのプラグインまで車内は冷暖房停止と非常灯。
船の車両甲板にホームが設置され客車内と船内の出入りが自由。
間合い運用で徳島都市圏の通勤列車にも、三扉が遺憾なく発揮。
87年、本四淡路線及び神淡連絡船並びに487系はJR四国に承継。
当初は他の交通機関に対し優位に立っていたが、98年の明石海峡大橋開通後の高速バスとの激戦に苦戦し、
遅くて欠航し易い鉄道連絡船という脆弱性が顕著に、特急の大半は三両に減車されローカル運用が増加。
後に神戸市と淡路島を結ぶ海底トンネル開通による輸送体系の変化に伴い特急運用から引退し一般用に格下。
列車に乗ったまま船で運ばれる―これこそ鉄道連絡船だと言える情景も思い出に。
185:anorak?
10/04/03 03:55:03 N671wYg50
>>184に続く平行世界もの
◎国鉄/JR沖縄021系電車
製造年 1986-90 車種 クモハ021(Mc) クハ020(T'c) 特記 三相交流600V側方接触式集電
○概説
1986年秋の国鉄最後の全国規模のダイヤ改正で国鉄沖縄本線が地方交通線として開業。規格は軌間1067mmの在来線。
経路は、海洋博公園~運天港~名護~許田~沖縄自動車道沿い~石川~具志川田場~コザ~沖縄県総合運動公園~沖縄自動車道沿い~
~琉球大~宜野湾嘉数~浦添牧港~国道58号沿い~那覇旭橋~那覇空港。なお、モノレールとは旭橋と空港で連絡。
運天港と鹿児島駅桟橋を結ぶ国鉄の鉄道連絡船を介して内地とレールが繋がる。
米軍基地の存在とそれによる民間建造物の密集で鉄道用地が確保困難な為、国鉄としては異例の道路直上高架と地下線の比率が高い。
加えて起伏の富んだ地形なので急勾配が多い厳しい線形となり、動力車に高い粘着性能を要求されるので交流電化。
台風銀座で高架に隣接する建物からの飛来物の付着から米軍ヘリの引っ掛けまでと架線事故を避ける為に、従来の単相交流20KVの架線集電方式では無く、
三相交流600V60Hz側面接触式を採用。線路に平行して地上から車両床下の位置に三本の給電線を張り、床下に装備した集電装置で電気を得る。
即ち、ゆりかも等のAGTに酷似。
当路線用に021系が製造された。
設計と意匠は同時期の213系に準拠し、接客装備も転換クロスシート。Tc'に洋式トイレ。
走行システムは713系ベースのサイリスタ位相制御、回生ブレーキ。Mcの床下に集電層装置を装備し、屋根にパンタ無し。
従来の国電車両形式の規則では三桁目は七か八だが、電化方式の特異性を強調する為に敢えて零とし次の21世紀にも因んだ。
McT'cが基本編成で、自動解結装の為の電気連結器を備え需要に応じて二両単位で増結。
側面(側方)接触式の制約で最高速度は100km/h。
従来の単相交流20KVに比べて600Vと低電圧で三相なので、従来の交流電車に比べて機器が簡素化されて安価だが、
変電所の数は増えてしまいインフラは従来よりもコスト増。
就役後、青春18切符シーズンでは鉄道連絡船接続列車は最大六両で運行される。
87年4月の国鉄分割民営化で沖縄本島路線と連絡船と共にJR沖縄に承継される。会社シンボルカラーは寒緋桜に因みピンク。
現在も活躍中。
186:名無し野電車区
10/04/03 04:18:25 VM8c1ECF0
JR北海道H1系新幹線車両
北海道新幹線新函館-札幌間は、建設費抑制のため史上初の非電化新幹線となった
(これにより、JR東日本の車両は新函館までしか乗り入れ出来なくなった)。そのため開
発されたのが本形式である。
車体は基本的にE5系に準じた構造となっており、オールM編成となっている。最大の特
徴は、気動車用としては究極と言える大馬力ディーゼル機関(H-DMP48HZ、水平対抗
16気筒・1600馬力)及び発電機2基と1基あたり400kwのモーター(1両に4基)、そして
屋根上に並べられた大容量リチウムイオン蓄電池により、駅停車や発車・減速時には
アイドルストップするシリーズハイブリッド電気式気動車であるのと同時に、フランスのB
81500型やB82500型を技術的参考とした、1編成中1基(予備1基)のパンタグラフを装
備する事で、新函館以南の電化区間では完全にエンジンを切って電車として走行する
事によって、NOxやPM、そして何より燃料である軽油の消費を抑える事に成功している
(電化区間でも、停電等といった非常時には、エンジンや蓄電池の電気で自走可能であ
り、またパンタグラフを介した架線からの電気でも蓄電池への充電も可能である)。
車両数は1編成辺り10両で、東日本のE3系やE5系との併結も可能である。
187:名無し野電車区
10/04/03 04:28:27 VM8c1ECF0
>>186の続き&訂正(誤:東日本のE3系やE5系との併結も可能である。→正:東日本のE3系やE6系との併結も可能である。)
最高速度は360km/h、営業最高速度は320km/hで、東京-札幌間を最速列車で4時間で結ぶ。
E5系同様、床下の機器や台車はカバーで覆われ、連結部は全周幌で覆われている。
排気管は床下のカバーから覗く様な構造となっているが、停車中及び発進時はアイドルストップ
している事で、熱気や悪臭を帯びた排気ガスがホームに篭るような事にはまずならない。
188:名無し野電車区
10/04/03 13:53:55 EqEgk6Us0
113系5000番台JR東日本仕様
JR東日本でJR西日本に対抗して東海道線や横須賀線の113系に110キロ対応化改造を施工。
JR西日本と全く同一の改造方法で、尚且つ番号も同じ+5000なので重複は起こっていない。
これにより走行性能が211系とほぼ互角となり、スピードアップが実現。
当初は京急に対抗するべく115キロ運転も検討されたが乗り心地が劣悪となってしまうため見送られた。
のちに110キロ運転を必要としない房総地区に転用された際に全車100キロ対応に戻され、番号が元に戻ってしまった。
189:名無し野電車区
10/04/03 15:00:00 D8Zd8n9Z0
日光鉄道
江戸時代後期、江戸から徳川家康公ゆかりの地日光への往還を容易にするために、オランダ経由で
持ち込まれた鉄道レールをもとに、幕府が作った鉄道
天下太平が続き、商人などの裕福層が生まれる一方、幕府財政はひっ迫していた
そこで老中のひとりが日光参りを目的とした交通機関の整備を思いつき、レールの供出、工事などを
諸藩に命じ、完成後は幕府がこれを経営することにより利益をあげることとなった
軌間は5尺(約1.5メートル)の複線、動力方式は馬が曳く馬車鉄道であるが、区間運行では人力で押す
ところもあった
お伊勢参りや富士山信仰などで、庶民も旅行の楽しさを知っていたため、金さえあれば座って行ける
ということで、既に徒歩旅行が困難になったお年寄りまでもが押し掛けることとなり、大変な盛況となった
また、東北方面の大名の参勤交代にも使われ、途中の宿泊が少なくなったことから経費削減となるため
歓迎された(のちに、大名行列列車の場合は特別料金が設定されたが、それでも本陣宿泊に比べて
安上がりになるように設定された)
その後、日本橋を起点として各街道沿いに建設され、明治維新までに西は小田原から北は高崎、白河、水戸
まで伸び、横浜に上陸したペリーは開国要求の大統領親書を持って江戸まで馬車鉄道で行ったのは教科書
でもおなじみの話である
現在、日本の鉄道がヨーロッパと同じ軌間であるのは、この鉄道が原点になっている
190:名無し野電車区
10/04/03 15:44:18 ht4I5VzC0
北海道新幹線(根室延長用)H100系、H200系
北海道新幹線の根室延長に際して開発された耐寒耐雪仕様の新幹線。
>>186のH1系をベースとしているが、いずれも貨客兼用仕様となっている。
とくにH200はもともと貨物新幹線として開発されたが、のちに旅客専用に改造。この際内装を地元の工務店が
担当したことから話題になった。またさらにDMVでもあり、8両編成全車が分割してバスとしても使えるようになっている。
こういう経緯からかつてこの地域を走っていた鉄道にちなんで「銀龍」という愛称がつけられた。
ちなみにH100系は
191:名無し野電車区
10/04/03 15:45:13 ht4I5VzC0
ちなみにH100系は同じくDMVではあるがこちらは旅客専用である。
なお列車愛称は「ちどり」。
192:186-187
10/04/03 16:30:04 VM8c1ECF0
>>190-191
>DMVでもあり、8両編成全車が分割してバスとしても使えるようになっている。
妄想スレでツッコミ入れるのも野暮な話だが、漏れの妄想車両をベースにすると、全長25m以上・全幅3.3m以上の超巨大バスになっちまうぞw
193:名無し野電車区
10/04/03 17:08:25 ht4I5VzC0
>>192
一応連接バスということになってますw
鉄道車両としての時は幌固定にして一両ということでw
194:名無し野電車区
10/04/03 19:39:40 EqEgk6Us0
東武2000系支線区用
東武鉄道で地下鉄乗り入れ運用から退いた2000系を支線用に転用したもの。
2両編成と4両編成があり、塗装も8000系と同一のジャスミンホワイト+ブルーの濃淡に変更された。
同時に冷房化も行われているが床下にMGを搭載するスペースが無く止む無く1500V直接駆動タイプを搭載した。
また限流値が下げられて加速度が2.5km/h/sになっている。
宇都宮線や小泉線などの支線区で活躍したが1998年に廃車された。
195:186-187
10/04/04 01:51:54 5o6K/40R0
JR北海道H2系新幹線車両
北海道新幹線は、札幌から先の旭川や根室等への延伸がフル規格やスーパー特急規格の新線で
の建設が検討されたが、費用対効果は望めないとして断念された。次にフリーゲージトレイン
が検討されたが、まだ技術的に極寒・豪雪地帯での実用化の段階に至っていないとして断念さ
れ、線形改良(曲線半径の拡大やカント量の調整、更に区間内全ての平面交差道路の立体交差
化)と三線軌条化によるミニ新幹線方式が採用される事になり、まずは函館本線札幌-旭川間
が線形改良と三線軌条化がなされる事となった。
車体の基本構造は東日本のE6系をベースとし、メカニズムは>>186-187のH1系をベースとして
いるが、車体がミニ新幹線規格であるため、1両辺り、エンジンは小型化したH-DMJ30HZ(水平
対抗10気筒1000馬力)2基と発電機2基、モーターは300kwが4基、1編成(5両編成)中にパンタ
グラフが2基(1基は予備用)である。
営業最高速度は、札幌以南の新幹線区間では320km/h、函館本線では145km/hである。
列車名は「ライラック」が復活。運用は新函館-旭川の往復列車が大多数だが、1日1往復のみ、
札幌にてH1系6両編成仕様の列車(新函館以南乗り入れ用のH1系は東日本のE5系と全く同一のス
ーパーグリーン車付きの10両編成だが、この他札幌-新函館間往復用にスーパーグリーン車の
無い6両編成仕様も存在する)と併結、大宮・上野・東京方面まで運転する列車もある。
なお、「スーパーカムイ」「スーパー宗谷」は新幹線連絡・補完列車として当面は存続はするも
のの、「スーパーカムイ」は大幅減便となり、余剰となる785系電車はH2系就役と共に全廃とな
っている。
196:名無し野電車区
10/04/04 13:45:18 UVcNufTL0
>>195
國鐵廣島「廃車にするならウチにくれ」
197:名無し野電車区
10/04/04 14:31:32 SOJ2Ghwj0
>>195
JR北海道 H3系新幹線
初の非電化新幹線である北海道新幹線のうち、新函館~札幌間の各駅停車用として
整備された形式
同区間は平行在来線の旅客営業を廃止し、JR貨物に移管されたため、新八雲、長万部、
倶知安、小樽相互の乗車は特例として乗車券のみでの乗車が可能になった
また、乗車時間が新函館~札幌間でも最大45分程度であり、通勤通学客が主体になると
いうこともあり、これまた新幹線初の通勤型車両の登場となった
4両編成で、片側3ドア、車内はセミクロスシートでドア付近はロングシートに吊革がつく
朝6時に新函館と札幌を相互に発車し、ラッシュ時は15分間隔で運行され、最終列車も23時に
新函館と札幌を相互に発車する
この列車の登場により、函館、長万部、倶知安地区が札幌の通勤圏内になり、たとえば函館支店勤務
から札幌本社への転勤も、引っ越しを伴わないものになったり、上記地域のほか豊浦・洞爺あたりまでが
通学圏内になったため、札幌圏内の学校への通学も可能になり、市内に下宿するより安くすむと好評である
(当の学生たちは、あこがれの札幌での独り暮らしをする理由が見つからなくて不評ではあったが・・・)
また、リタイヤ後の生活場所に、温泉付き住宅の販売を開始した倶知安が人気となり、退職後でも気軽に札幌へ
買い物や通院、孫に会いにに行けるというのが受けている
198:anorak?
10/04/04 18:38:53 XOfiHkwD0
>>185に続く平行世界もの
◎JR東海371系1000番台
製造年 2004 車種 クモハ/モハ/371(Mc/M) サハ/クハ370(T'/Tc') 特記 小田急EXEと併結
○概説
1991年、伝説の不動産バブル好況の絶頂期、特急あさぎり号は誕生した。これに投入された車両は当時の世相を反映したものであった。
後のバブル崩壊以後、特急あさぎり号の御殿場線内での利用客は低迷し、グリーン車二両込みの七両では過剰になる。
そこで、グリーン車の連結を取り止めオールモノクラス化し、七両から四両に短縮して
新宿・秦野間は小田原・箱根湯本発着の30000形使用の六両編成の列車と併結させる事が決まった。
これにより、小田急側では20000形電車の編成から二階建て車両二両と平屋の付随車の計三両の付随車が外されオールMの四両編成化と
30000形との併結協調運転可能しめる改造が施された。
JR東海では、新たに新車を投入する事にした。それが371系1000番台である。
1991年製造のオリジナルの371系0番台とは、塗装も含む車体の意匠について、後述の点以外は、ほぼ踏襲。
違いは、アルミ製、先頭車が373系似の貫通型であること、乗降用扉が引戸など。
走行システムが313系ベースで、1M方式、回生失効用の発電ブレーキも装備。
小田急30000形との併結協調運転可能、但し幌は繋げない。JR線内では313/371-0/373系との併結協調運転可能。
編成は、Tc'MT'Mc→新宿。
中間車のMとT'はブロック化された車端を運転台に交換可能、いわば先頭車改造準備構造になっている。
T'とTc'にトイレと洗面所、車椅子などの障碍者対応のものもある。
車両形式称号はたった四両の特殊車なので新しく起こさず371系を襲名。
2004年の冬に就役開始。小田急線からバブルの象徴である二階建て車両が消えた。
なお、オリジナルの371系0番台は、小田急直通装備を撤去し、JR各社の直流電化路線及びJRの電車の直通が在る第三セクター鉄道の多くで
走行出来るように保安装置を中心に改造され、2005年の愛知万博では、
JR東日本・東海・愛知環状鉄道経由の東京発万博八草駅(現八草駅)経由名古屋行きの夜行列車に就役し、
万博終了後は東京と御殿場線を東海道線経由で結ぶ臨時列車、団臨、多種多様に使われ、
二階建て込みの七両編成全車健在。
199:名無し野電車区
10/04/05 19:45:55 XGpkVYkr0
キロ85系700番台
JR東海が1995年に製造したキハ85系ベースのジョイフルトレインで、「リゾートライナーⅡ」という愛称がある。
足回りはキハ85系ベースであるが、車体は鋼製である。
キハ85系一般車との混結も可能。
3両編成で、編成はキロ85-701+キロ84-701+キロ85-702。
200:名無し野電車区
10/04/06 07:18:53 ro5syQh30
E233系7000番台
JR東日本が東京メトロ15000系に対抗して作ったE233系2000番台ベースのワイドドア車。
ドア幅が1800mmに拡大された。
201:ミウナ
10/04/07 13:34:37 PtmC5Juz0
301系片町線仕様型
1974年に投入された301系で大阪環状線から転属された101系とともに
投入された。当時京福連絡線構想があり、地下鉄となる関係で
103系でなく地下鉄用の301系を投入されたものと思われる。
東西線の301系の番号の続きの7両編成となっている。なお長尾~木津
間の電化に考慮し、木津方を3両とした4+3としている。またサハ301型
が新形式で冷房はAU75B準備工事のみ施工して落成している。
1989年に長尾~木津間電化工事終了に伴ってこの車両が木津までの快速で、
101系と103系は松井山手までの普通で使用された。冷房工事は全線電化完了
時までにすべて施工された。なお吹田だけでは賄いきれず一部松任や後藤で
改造されている。207系投入開始後も分割可能で非常口もあったことから1997年の
東西線開業時も103系は撤退した中でも使用された。しかし宝塚線での
スピードの出なさが仇となり、快速運転できず神戸線の直通でしか使えない
弱点を露呈。そこへ2005年の福知山線の事故が追い討ちとなり、321系へ
取替えを決断。バラバラにされた上で基本4両は奈良線および関西線へ、
付属3両は岡山に転属された。アルミ車両で前代未聞のN40工事や40N工事
まで施工したものまであり、塗装は登場当時は朱色だったが東西線開業後
2004年に113系らと同じアーバンネット塗装になっていた。
7両編成5本が淀川電車区に配備されていた。なお昭和55年に103系1200番台の
投入(サハ103-1200も含む)も計画されたが財政事情が悪化されており、
製造されずに終わった。
202:名無し野電車区
10/04/08 12:01:10 ZOJ5kUCs0
南海8000系(史実と異なる)
南海が大阪市営堺筋線乗り入れ用に、昭和42年から高野線に投入した車両。
軌間は1067mmだが車体は大阪市営標準規格に倣って18900mm長、3扉となった。
車体はフルステンレスで、前面は南海6000系、側面は東急7000系に類するものだった。
なお冷房装置は設置されていない。
台車はパイオニア台車を履いており、乗り心地には難があった。
機器は日立製抵抗制御で、1C8M2両1単位の全電動車方式で、開業当初は6連を組んでいた。
平成元年から更新工事と冷房化が行われ、8連化された。現在も8連化のため余剰となった車両と、
水間鉄道に転出したもの以外は現役である。
南海8100系
前述8000系の増備車として、昭和51年以降に建造されたもの。
基本スペックは8000系と共通であるが、台車がS型ミンデンに変更された他、側窓が1段下降式となった。
冷房車としては造られなかったが、準備工事がなされており、クーラーキセもあったため、偽冷房車として叩かれることに。
南海8200系
平成元年以降の堺筋線8連化に対応して、不足車両を補うために投入された。
機器は同時に計画された2000系と共通の日立GTOインバータとされたが、台車は2000系と異なりミンデンとされた。
車体は従来のものよりビードが少ないものとなった。
203:名無し野電車区
10/04/08 13:27:41 +4jxXl0ZO
>>201
1974年当時の片町線は5両編成だった。
204:名無し野電車区
10/04/08 15:08:59 uuAGhiN/O
JR東海113系 110km/h対応車
民営化当初は名鉄との対抗は無かったが
そのうち対抗するようになった。
この時に新快速用として311系が導入。また普通列車用として211系が増備されていた。
最高速度100km/hの113系は中央線運用になる事になっていたが、西日本が110km/h対応改造をしていた事を見て、速度向上を行った。
改造後は110km/h対応となった。
この改造は2000番台のみ行われ、0番台や1000番台は行われなかった。
改造車は海カキと静シスに配置された。静シス配置車両は東京直通対応である。
99年、313系が導入されたが海カキ車・静シス車とも置換は行われずにそのまま残った。
そして06年から07年にかけて、海カキ車・静シス車に新313系が導入され、廃車された。
205:名無し野電車区
10/04/08 18:16:45 LC+ywXnTO
東急6050系
目黒線八両化と相鉄乗り入れ開始に伴い登場した新系列車両。
5080系をベースに改良を加え、大井町線急行用6000系ほどではないが前面が鋭いデザインに変更されている。
ドアチャイムやLCD案内は従来の5000シリーズと同じ。
制御装置は5080系や6000系に準じたは東芝製VVVFを搭載。
5080系は中間車新造、3000系は既存車のみで組み替えを実施し八両され、
6050系と共に相鉄に乗り入れる予定。
相鉄12000系
東急乗り入れ用として登場した新系列車両、
運転台のみ東急6050系ベースでドア位置は目黒線のホームドアに合わせてあるが、
車内設備等は11000系ベースである。
制御装置は11000系に準じた三菱製VVVFを搭載。
206:名無し野電車区
10/04/09 04:00:30 U1hhrBqnO
東葉高速鉄道3000系
私鉄ワーストの混雑率を誇る東京メトロ東西線に関して国土交通省の指導により、
15000系及びE233系7000番台(>>200)と共に作られた東京メトロ15000系の
東葉高速仕様車。帯色はオレンジ帯となっているのとATS-Pがない以外は
15000系と同じである。
10両編成3本が作られたが引き換えに2000系3本がメトロにトレードされた。
トレードされた2000系は05-044~046Fとなった。
東京メトロ18000系
5000に6ドア車を投入した東急電鉄に対抗して東西線同様15000系の
半蔵門線型を投入してワイドドアで混雑緩和を狙うべく投入したもの。
207:名無し野電車区
10/04/09 05:32:09 lcbSfJnvO
ガイシュツかもしれないが
185系新宿⇔東武日光直通特急用
魔改造しながらも老朽化ならびにスペーシアと比較して設備の陳腐化も指摘されてきた485系ならびに183系の
後継として余剰となった田町の185系に白羽の矢が立てられ内外ともに改装の上投入(何故か窓はそのままw)。
塗装も当然、485系に準じた白にブラウン&オレンジのラインだが、何度やっても…おや、誰か来たようだ
208:名無し野電車区
10/04/10 00:31:32 Q/H/RlIS0
ここのスレで785系保留車の白鳥転用とか見たような気がしたが
リアル車両が出てきたのか
209:名無し野電車区
10/04/10 17:17:07 ONTzLGl5O
>>206
半蔵門にワイド入れたら東急から苦情来るぞ。
210:名無し野電車区
10/04/10 17:51:09 T4c55KL00
架空なんだから実現可能なら何でもありだろ
211:名無し野電車区
10/04/10 18:04:41 mgismkZQ0
国鉄 12系
昭和44年に大阪万博の波動輸送用に登場した12系客車であったが、その後旧型客車で運用
されていた夜行急行群の体質改善のために投入されることとなり、昭和49年から本格的な
定期列車として必要な車種が整備されていった
オロ12:当時標準だった急行用グリーン車とほぼ同じ設計で、1段降下窓2連窓、乗務員室がつけられた
オロ12-100:グリーン車を2両連結する車輛のために乗務員室を撤去して定員を4名増やした車輛
オハシ12:半室ビュッフェの普通車で、当時標準だった急行用ビュッフェに準じた構造となっている。
オハネ13:B寝台車で、オハネ14とほぼ同じ車体であるが乗務員室がない分、寝台定員が3名増えている
オハネフ13:オハネ13の緩急車
オロネ12:A寝台車で、オロネ14とほぼ同じ車体
スハフ12-300:電源を持たない寝台車の連結のために編成電源容量を増加した普通車で最大12両の給電が可能
これらの車輛の登場により、各地の夜行急行の体質改善が一気に進むことになった
212:名無し野電車区
10/04/10 22:36:57 SAcXpPQFO
国鉄EF61形0番台(史実とは異)
信越線新潟電化に備え、1962-64年に25両製造。
EF60形二次量産形やEF70形をベースとした。
上越・信越線で運用するため耐寒耐雪構造とし、運転室前面につらら切りを設けた。
1964年製造の19号機以降は前照灯を2基にした。
全機高崎第二・長岡第二機関区に配属され、EF58を宇都宮・宮原・下関機関区に転属させた他、客車列車における清水越え区間の補機を削減した。(このためEF16形の29-31号機はEF15形に復元された)
終始上野・隅田川~新潟間で運用され、1971-73年に全機がSG→EG転換工事を施工。1974-75年に長岡二区所属機に元空気溜管を増設して、1982年にEF64-1000に移行するまで寝台特急「北陸」牽引に当たった。
EF64-1000の増備・運用統一により一部が休車されたが、東海道・山陽線荷物列車牽引のEF58形の老朽代替として全機が1982-83年に下関運転所に転属。
1986年11月に全運用を退き、動態保存前提で高崎に戻った7号機以外は翌87年2-3月に全廃された。
7号機はJR東日本に継承され、高崎運転所所属で関東地区の臨客牽引に当たっている。
213:名無し野電車区
10/04/11 00:58:50 c1svqsXc0
JR西日本221系1000番台
JR西日本では、225系の投入が開始されたが、
事故対策が盛り込まれたことゆえに、
同系は極力新快速に回すこととなったため、
221系がトコロテン式にアーバン外延や北近畿・中国地方に
回されることとなった。
そこで、過去の各近郊型の地方左遷同様、221系でも例外なく
先頭車が不足したのに加え、
線区によっては、先頭車の通り抜けが必要な
ところが生じたため、もとの貫通路や妻面を生かした形で、
先頭車改造が行われた。
早い話、サンパチのJR型版だが、さすがに雨どいむき出しとはならず、
213系の先頭車改造に近いデザインとなっている。
なお、もともと中間車は鋼体が微妙に短いところ、
鋼体を大幅に弄らずに運転台スペースを確保したため、
運転台直後のドアは幅1mの片開きドアに変更され、
JR四国6000系に似たサイドビューとなっている。
214:名無し野電車区
10/04/11 01:08:11 670pPS6nO
>>211
オハネフ13が重複形式
215:名無し野電車区
10/04/11 01:15:25 c1svqsXc0
>>119にフォロー兼ねて
321系1700番台
学研都市線全区間7連化以後、中間に封じ込まれて遊んでいる207系の先頭車を活用するため、
321系の中間車のみ増備する方式がとられることとなったが、
207系は貫通路が中心からずれている独特のスタイルのため、
通常の中間貫通路である321系とはそのままでは合わなくなる。
そのため、321系増備車のうち一部を207系の貫通路にあわせた
特殊仕様車が登場し、これが1700番台として分類された。
のちに同年代の車両同士でチンイツ編成が組めるよう、
207系にあわせた貫通路部分を先頭車改造準備工事済みで製造しているのが特徴である。
いわば阪急の運転台撤去車の逆版だが、125系の中間ドアのように
乗務員ドアをあらかじめはめ殺してある。
なお、このシリーズの321系は、編成中に321系同士でまとめて組成されることとなっており、
207系の中間車を間に挟むことはしない。
(かつての50系客車と雑形客車の関係同様)
216:名無し野電車区
10/04/11 09:42:34 J966YuNsO
JR東日本215系(史実とはやや異なる)
1990年頃、JR各社で221系、311系、721系、811系といった転換クロスを装備した車両が続々と登場。
JR東日本管内の特に首都圏では混雑が激しく、当初は導入に難色を示していたものの、
「通勤ライナーや行楽用の快速運用に限定すれば問題無い」と判断。
こうして215系の製造が決まった。
足回りは、211系と同様の界磁展開励磁制御を採用。4M3Tの7両編成とし、加速度2.5を確保する一方で最高速度120km/hでの運転にも対応。
車体は正面貫通型とし、1号車と7号車はハイデッカー構造、2~6号車は2階建てで、4号車はグリーン車である(早い話、実在する215系の7両バージョンに近い)。
普通車は転換クロスシート、グリーン車はリクライニングシートを採用。
また、耐寒耐雪構造とし、半自動ドアの機能も備える。よって、東日本管内の直流区間ならば、殆どの線区で走行できる。
7両×8本の計56両を製造。
快速アクティーや湘南ライナーでは2本繋いだ14両で運用される。
後になって、立ち客の事を考慮し、平屋部分に吊り革が設置された。
基本的には行楽客らを中心に好評ではあるが、2扉であるが故に、アクティーの運用では乗降に時間がかかり気味。
その分、走行性能で何とか定時運転を確保しているのが現状である。
余談だが、一時期、伊豆方面の臨時特急にも使われた事があり、ボロカスに叩かれた事も・・・。
217:名無し野電車区
10/04/11 15:10:35 PAYOqPSC0
651系5000番台
JR東日本がジョイフルトレイン「NO.DO.KA」の置換え用として、
後継車の投入によって余剰となった651系に機器更新改造を施工したもの。
車体の耐寒耐雪構造強化のほか、主変圧器更新(50/60Hz両用化)、制御装置のVVVFインバータ化、
主整流装置のPWMコンバータ化、その他電気機器の更新などが行われた。
また、クハ651の床下にはディーゼル発電機を搭載し、非電化区間への乗り入れを可能としている。
愛称は「シルフィード」とされたが、一部ファンからは「スーパーシルフ」の名で親しまれている。
引き続き、各地の485系改造車置換えのため改造工事がおこなわれる予定。
218:名無し野電車区
10/04/11 15:51:34 IRr5af9yO
651系3000番台
同じくJR東日本が長野支社のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」の代替として
>>217同様に651系から作られた。
7両編成でお座敷と座席とにチェンジできる構造になっており、全部の車が
グリーン車となった。
4号車サロ651-3001はラウンジカーで非電化用ディーゼル発電機もここに設置。
補助電源SIVとコンプレッサーは廃車された209系から流用し、前面と
車内のテレビも市販の43型液晶テレビ(シャープ製)を使っている。
塗装はグリーン系となったが、シャープ製テレビを使っていることから
「世界の亀山電車」だの「アクオス電車」だの呼ばれたりフリーザならぬ
セルの名前まである。
219:名無し野電車区
10/04/11 16:35:11 AgKDoQk30
EF65-550番台(通称EF65PN。NはNewのN)
老朽化が著しかったEF65Pの置換用機関車。
東海道山陽線のブルトレ牽引専用機ということで、
総括重連および耐寒耐雪装備は不要と判断され、
PFではなく、0番台ベースでの新製となった。
外観的にはパンタグラフがPS22Bになったことと、
クハ481-200番台と同サイズのロール式マークを
装備していることが特徴である。 これによって、
機関区での重いヘッドマーク交換作業が不要に
なり、現場からは歓迎されたが、一部撮り鉄からは
ブーイング(あんだ、ぴーえぬかよ)の声があがった。
EF66への置換で黄金時代は短かったが、現在も
特急色のまま、田端・宮原・新鶴見・岡山で活躍中。
220:anorak?
10/04/11 18:00:03 ZPnGh5I40
>>198に続く平行世界もの
◎JR東海385系電車
製造年 2000- 車種 クモハ384(Mc2) モハ385(M1) クハ384(T'c) 特記 車体傾斜制御装置
○概説
国鉄は、東海地震に備えて1978年に大規模地震対策特別措置法が制定されたのを機に東海道線の迂回路整備に着手した。
スレリンク(rail板:549-550番)
飯田線と共に当時未成線であった中津川線(中津川~飯田)も東海道の迂回路に組み込まれたことで、
1980年代の国鉄経営再建の一環としての新線建設の凍結対象から外され、建設が継続され、
86年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正に合わせて飯中線の路線名で地方交通線として開業し、
名古屋都市圏と飯田等の伊那地区間が短縮された。
が、しかし、国鉄が破綻寸前という厳しい状況を反映して飯田線は改良されずに放置され、高速道路に対する競争力は無かった。
87年にJR東海に承継されてから90年代末になってようやく飯田線飯田以北の高速化工事が着手された。
ただ費用対効果の観点から383系と同様の振り子式車両の投入を前提としたものではなく、
JR北海道のキハ201/261系で実現した車体傾斜制御装置付き車両で以てコスト削減した。
よって、383系に比べると曲線通過速度は劣るが、381系並の短縮効果を目標としている。
その特急用に新造されたのが385系である。
当車両の台車は383系の自己操舵機能付きの台車から振り子装置に代わり車体傾斜制御装置を装備したものだと差し支えない。
走行システムは313系3000番台に準じ、車体と内装の意匠は383系に準じつつ社会情勢の変化に適合。
貫通型の先頭車で、M1にシングルアーム型のパンタグラフを搭載。Mc2の運転台側の台車は主電動機が省略されて実質0.5M。
Mc2とT'cにトイレ・洗面所、T'cに車販準備室と障碍者対応トイレ。Mc2M1T'cの三両一編成を基本単位とし需要に応じて増結。
2000年に量産先行車が登場し、長期試験に供与。
高速化事業が完了した2001年に、中央西線、飯中線、飯田線、中央東線を経由して新宿と伊那地区と名古屋を結ぶ特急に就役。
全区間で車体傾斜装置を稼働。
以上で高速道路と高速バスに対して何とか互角に戦える様になったが・・・。
221:名無し野電車区
10/04/12 16:50:46 RDYZHqqu0
JR東日本16系客車
サロ210,211をSL列車用客車に改造したもの。6連2本が高タカに配置。
6連で「SLみなかみ」、4連に短縮して「SL碓氷」が定番だが、D51498
およびC6120とともに東日本管内をドサ回りしている。
スハフ16-1~4 ディーゼル発電セット搭載、車掌室付き
オハ16-1~6 便洗面所付き
オハ16-101,102 車販準備室付き
222:名無し野電車区
10/04/12 17:18:24 9KWZ5KB+O
京成電鉄3700型3871~3881F 北総鉄道7800型7821F
平成13年に製造された3700型最終型。前面は3700型と同じだが車体が
後にベールを脱ぐ新3000型と同じ日車ブロック構体式となり、冷房も集中式となった。
側面のみ行き先表示もLED式となる。
IGBT制御式の試作ヘッド的な意味合いもあり、3871Fは東洋電機製を3881Fは
三菱電機製を7821Fは富士電機製を搭載した。
(当初空港Bルート専用特急用の動きを置いて日立製も検討されたが採用されず)
なお7821Fは元々3891Fで計画されたが、新3000型1編成が8両編成
となり北総鉄道に変更した。また130Km/h対応したブレーキに初めから作られた。
2009年に制御装置の東洋電機製に交換されたが3881Fのみは三菱電機製で残されている。
223:名無し野電車区
10/04/13 21:58:45 LRXOTBNu0
関東鉄道キハ2100形気動車(史実とは異なる)
関東鉄道は地磁気観測所への影響の懸念から、常総線に於いて非電化のまま増大する沿線の通勤需要に応えるべく運行密度の増加や長編成化を行ってきたものの、
国鉄からの譲渡車であるキハ300系列及びキハ20形の改造車である0形では加減速能力の低さから特に運行密度の増加に於いて限界に近づいていた。
このため、通勤電車並の加減速能力を有する気動車により運行密度をさらに引き上げる計画が浮上。
また、水海道以北の単線区間は比較的線形が良好なため、最高速度の向上により運転時間の短縮も検討され、高速性能の強化も要求項目に組み込まれた。
このために開発された、関東鉄道久々の新造車両がキハ2100形である。
新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で1993年から1996年にかけて2両15編成(計30両)が製造された。
車体は鋼製20m級(2116F以降の後期車はステンレス製)。通勤ラッシュ時の乗降時間を短縮するため、気動車ながら片側4ドアとなっている。
座席はロングシート、車椅子スペースも確保されている。
冷房装置は21000KCalの集約分散型を2台搭載。各ドア上にはLED式の案内装置も搭載された。
電車並みの加速能力を実現するため、主機関はDMF13HZをベースに定格出力を当時としては最大の485PSまで増強させたDMF13HZ-A-KTを一両辺り2台搭載。
変速機の直結段は4段までとなっている。また最終段のギア比も高速向けに設定されている。
台車はDT50系列を元に高速安定性を強化したKT-DT50。高速走行に備え、ヨーダンパを装備。制動力の強化のため、基礎ブレーキ装置は油圧式の車輪ディスクブレーキとなった。
起動加速度は地下鉄用電車に匹敵する3.3km/h/s、最高運転速度は135km/h(設計最高速度160km/h)の高性能気動車である。
この車両の登場により、常総線では朝夕ラッシュ時の5分ヘッドでの運行を実現させた。
224:名無し野電車区
10/04/15 21:09:02 qkm4ZqDl0
キハ47形7100番台
トロッコ列車「奥出雲おろち号」の車両老朽化に伴い、置換え用として登場した。
キハ47-7101(トロッコ車両)+キハ47-7102(普通車)の2両編成を組む。
機関車牽引時代より若干の性能向上が図られたほか、
観光シーズンは新見まで直通するダイヤとなり、利便性の向上が図られている。
225:名無し野電車区
10/04/16 18:02:49 gH8Vh63uO
221系5000番台
225系投入に伴い221系を転属する事となったが、他所では8連固定は使い辛く、先頭車化改造される予定だった。
また快速は全て223系にする予定だったが、データイムに223系を遊ばせておくのも勿体無いという事になり、一部の221系を12連固定130キロ運転対応に改造し、ラッシュ時限定で運用される事になった。
なお、編成中間には簡易運転台が設置され、検査の際は6連に分けて検査される。
226:名無し野電車区
10/04/17 09:39:36 t5Z/GgXQ0
211系きのくにシーサイドII
引退したきのくにシーサイドに代わり岡山のスーパーサルーンゆめじを改造した車両。
従来は3連であったが吹田で長期保留のクロ212-2を中間車改造した車両を組み込み4連とした。
編成はクモハ211-7001(クモロ211-1)+モハ210-7001(モロ210-1)+サハ211-7001(クロ212-2)+クハ212-7001(クロ212-1001)
全車普通車格下げしサハ211-7001はフリースペースとし立ち見可能な他イベント用スペースとして使用される。
塗装はオーシャングリーンとなった他先頭車はATS-Pを搭載した。
改造は吹田工場で行い日根野電車区へ配置されている。
紀勢本線で運行されているが他路線への貸出もされている。
227:名無し野電車区
10/04/17 11:03:19 zqqrg8JPO
221系7000番台
呉線向けに改造された221系である。4両に短縮化の上で側面窓の拡大と
オールロングシート化された。
軍港の街呉に相応しく塗装は旧日本海軍の軍艦色となっている。
4両編成8本が広島に配備されたが編成番号ではなく旧日本海軍の戦艦の名前になっている。
1 大和
2 武蔵
3 長門
4 陸奥
5 山城
6 扶桑
7 日向
8 三笠
228:名無し野電車区
10/04/17 18:26:27 W6Exn7Ie0
○JR東日本 E257系1000・1200番台 直流特急型電車
・2009~
○「遜色特急」185系の置換え向けの新系列特急電車
1981年から製造され、東海道線「踊り子」や上越方面の特急運用に就いていた国鉄185系。
特急として見劣りするアコモデーションはJR化後にリニューアルされ、そこそこの水準に引き上げられたが、電力を大量に消費する抵抗制御の機器、開閉式の窓からくる騒音、
バリアフリー設備の不備……と、ハード面から見てもソフト面から見ても、もはや特急運用どころかローカル運用にも時代遅れなのは火を見るよりも明らかな状況だった。
そこでJR東日本が重い腰を上げ投入したのがこのE257系1000・1200番台である。
番台区分は185系と同様に、田町車両センター所属の1000番台と、高崎車両センター所属の1200番台の2種が製造された。1200番台は185系200番台と同様、耐寒耐雪装備強化設計。
車体はE257系以来、JR東日本特急車ではお馴染みの日立A-Trainシステムを採用した軽量アルミハニカム構造。
制御装置も日立製作所製のSC90形VVVFインバータ制御を採用。これはE233系3000番台と同一である。
編成は0番台が10両(6M4T)と5両(2M3T)、200番台が7両(4M3T)。
モーターはE259系同様のMT75B形を採用し、台車にはヨーダンパを装備。また加速度を2.5km/h/sとして、高崎線内での連続停車に配慮した。
スペック的には130km/h走行も可能だが、最高速度は一般車と同じ120km/hに抑えられている。
前面デザインは中央本線向けの0番台の貫通タイプとほぼ同様、側面も塗色を除いて同車とほぼ同一。
前面の愛称表示器、側面の種別・行先表示器はフルカラーLEDに設計変更された。なお、塗装は185系を踏襲し、3色ブロック塗装を側面中央に配置した。
アコモデーションは特急型相応の回転型クロスシートを製造当初から採用し、シートピッチも普通車960mm、グリーン車1160mmに拡大。
電動車いすも利用可能な大型トイレや女性専用の化粧室、多目的室、売店等が設置された。
この投入により185系各番台は撤退。利用者からは新車とあって好評を得ている。
……が、一部ファンの間では単にE233の足まわりにE257の車体を載せただけではないかと揶揄され、結局「遜色特急」ならぬ「優等一般車」という渾名が付けられたとかられないとか。
229:名無し野電車区
10/04/17 18:51:57 TxJpg/hn0
>>228
さらには奇しくも時を同じくして、東北・高崎線系統には>>55のE261系急行型電車も投入されたため・・・
230:名無し野電車区
10/04/17 19:08:22 AK1UN00a0
>>228
仮に安物でも185系より全然イイ
231:名無し野電車区
10/04/17 19:26:41 mtFa17AM0
これはガチで出るかも
JR西日本 207系5000/5500/6000/6500/7000番台
4.25軍団の要望により103系性能(最高時速95km/h),にデチューンした207系
JR西日本は4.25軍団の要望を受け入れて、ATSP導入、207系の外装、内装を変える等の対策を行っていたが、
根本的な解決にはならないとの批判を浴びた。
そこで、207系の最高速度そのものをカットすることになった。
103系の宝塚線転属、207系の阪和線送りも検討されたが、東西線内での性能が不足するために見送られた。
さらに、207系のインバータ音が事故を思い起こさせるとの理由で、床下を完全に防音した上で、
103系のモーター音が放送される装置が搭載されたw
232:名無し野電車区
10/04/18 02:34:42 +OkyqNpk0
多分にIFが含まれてるネタ
名古屋鉄道 1600系空港特急仕様&モ2180
中部国際空港の旅客は順調に伸びており、名鉄は2000系ミュースカイの3次車2編成の増備
および従来車の全4両化を行ったが、それでも近いうちに需要が逼迫することが予想された。
そこで、多分に試作的要素が強く、小所帯故に持て余し気味であった1600系に白羽の矢を立て、
LCD車内案内表示機、荷物置場の設置等2000系に準ずる車内リニューアルを施し、
中間に新製した電動車を組み込んだ上で空港特急運用に投入することになった。
新製された中間電動車は2000系4連化用のモ2150とほぼ同一の仕様であるが、
引き通し等は1600系に合わせてあり、30番を付加してモ2180としている。
全編成に車体傾斜装置を搭載(第1編成のみ元から設置、その他編成は準備工事のみであった)し、
2000系と同一ダイヤでの走行が可能であるが、
ドア位置が2000系と異なりホームドア設置の中部国際空港駅専用ホームに入れないこと、
2000系の自動連結装置に対応しておらず、幌連結が出来ないことから、
運用は分けられている。
中部国際空港 ← ク1600+サ1650+モ2180+モ1700 → 岐阜・新鵜沼
URLリンク(www5f.biglobe.ne.jp)
(模型板フリーランススレと2重投稿になりますがご容赦ください)
233:anorak?
10/04/18 13:15:09 ZNs3mOax0
>>220に続く平行世界もの
◎国鉄キハ185系700番台
製造年 1986 特記 電車牽引
○概説
国鉄分割民営化を翌年に控えた1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で福知山・山陰線の宝塚・城崎間が電化開業。
計画当初は特急用に381系を新造投入予定であったが、国鉄が破綻寸前という厳しい状況を反映して、
全国的な特急の短編成化で捻出された485系で賄う方針に変更されてしまった。
しかも特急と昼行急行全てが特急電車化されることで電化対象外の路線への直通が打ち切れ乗り換えを強いられることに。
これには電化に大きく期待して支援した地元を失望させ、営業サイドからもクレームが出た。
そこで、新型の特急気動車を投入し、それを電化区間(新大阪~城崎)おいては無動力状態で485系(現183系700/800番台)に牽引させ、
非電化区間では単独で自走させることが急遽決まった。
電車と気動車の協調運転に関して国鉄では試験は実施したが実用化されていなかったので、電車で無動力の気動車を牽引する方式に。
その新車がキハ185系700番台である。
同時期に四国向けに製造されたキハ185系0番台をベースに後述の485系電車による牽引の為の特殊仕様を有する。
連結器を電車と同じ密着連結器に、電車牽引時にはブレーキが協調可能しめる装備、また耐寒耐雪装備など。
車種は便所・洗面所付のキハ185形700番台のみで、急きょだったのでわずか三両しか製造されず。JR発足間近の87年3月に就役開始。
それは天橋立などの当時の非電化路線直通の臨時特急であり、電化区間では485系の4M2Tの六両編成の後ろに当車二両編成が連結された。
87年4月のJR西日本の承継以後、当車増備されず、代わってキハ65改造のエーデル車が。
96年以後の北近畿地域の電化区間拡大に伴って電車牽引運用が終了。
キハ58/40系などの一般形気動車との併結協調運転の為の改造が実施され、広島地区に移転し、キハ58と組んで急行みよし号に就役。
冷房用電源を持たないキハ58との混結の為にキハ185-700の車内に電源室が設置された。
後年みよしは快速に格下げされても使用継続。現在に至る。
234:anorak?
10/04/18 13:27:24 ZNs3mOax0
>>233の訂正
>連結器を電車と同じ密着連結器に、電車牽引時にはブレーキが協調可能しめる装備、また耐寒耐雪装備など。 ×
↓
連結器を電車と同じ密着連結器に、電車牽引時にはブレーキが協調可能しめる及び電車を電源車とする電力受給装備、また耐寒耐雪装備など。 ○