10/03/26 11:34:14 eJK5wpHo0
>>401
1994年に日立市内に21,000人いた日立グループ従業員は、2003年には13,000人にまで減りました。
洗濯機の生産は多賀事業所から上海に移転するなど、海外流失が著しいです。
1991年には60億円あった法人税が2003年にはたった20億円になってます。
まだ工場閉鎖という状態にはなってません。それは大甕にある日立物流と日立情報システムが頑張っているからです。
それでも日立市は人口20万人を切り、下請け工場の閉鎖が相次ぎました。
日立ライフが造成した宅地と事業所を結ぶ日立電鉄は2005年に廃線となりました。
新規採用を20年近く抑制してるのでこのままだと高齢者と派遣・バイトだけの街になってしまいそうです。
これがシャッター商店街となった日立市の現実です。日立市は豊田市とは違うのです。
なお、ひたちなか市は鉄道事業とエレベーター事業が元気なのでまだ大丈夫です。