10/02/26 15:36:24 k0nhhzh50
こんなの見つけた!これって有名なの?!
執権上野の専横に耐えかねた、時の帝新宿は、上野の腹心である大宮と内応し、各地に上野打倒の檄を飛ばす。
それにより高崎、宇都宮が決起、横浜、大船が新宿政権下に集い、ここに大宮ー大船間の一大ラインが完成する。
しかしこのラインの完成は、成立当初から多くの問題をはらんでいた。
上野からの脱却を図ろうとした高崎、宇都宮であったが、大宮が密かに思いを寄せる上野の寵臣赤羽の懇願により、
完全に上野を倒す事はできなかった。
それどころか、この騒乱に巻き込まれた大宮の兄浦和が倒れ、まだ幼いさいたま新都心が浦和の次代として立たされる事となった。
また、元来仇敵として互いに反目していた高崎、宇都宮であったが、高崎の甥の新前橋と、宇都宮の弟小山の密通が発覚、
彼らの密通は両毛と表記され、新宿はおろか、横浜、大船にまで知れる事態となった。
その上、この密通に怒った高崎が小田原と同盟、また宇都宮は厨子をけしかけ、高崎・小田原派と宇都宮・厨子派の対立が生じた。
この事態に大船は慌てた。
大船は小田原・厨子を横浜から任されており、横浜を慕っていた。しかしその横浜と、高崎・宇都宮の上官である大宮は、
表面上は穏やかであったが、内情は新宿の寵愛を得ようと嫉妬にまみれていたからである。
頭を抱えた大船は、ついに新宿へ直訴、事態を重く見た新宿は、問題の解決策として、
終着を大船から小田原、厨子へ切り替える事を命じた。
突如大儀を任された小田原・厨子は、互いに反目しつつも、大船への恩義を感じ、均衡を保たざるを得ない状況となった。
これにより、一連の騒乱は収束を見せたが、これを契機として高崎・宇都宮・小田原・厨子の発言力が高まり、
四方から車両本数の増加を唱え、更に新宿がそれに屈する日が来ようとは、大宮、横浜はおろか、
当の大船も予想だにしていなかったのである。