09/10/13 22:08:41 Uu5Og0d60
>>301
電化前において、常磐線が本線より圧倒的優位にあった証拠が「白河」にあると思う(^ω^)
当時の本線経由の列車は、優等列車も含めほとんどが白河で機関車交換を余儀なくされた。
(軌道強化が白河までで止まっていたこと、白河から北に勾配区間が存在するなどの理由)
一方の常磐線は、昭和30年代初頭から、上野-仙台間機関車付け替え無しのロングラン運転が
実施され、輸送コスト(燃料の消費率)面で勝負にならないほど本線に差がつけていた。
それは、国鉄の管理局が白河で分断されていた本線と、
ほぼ全線が水戸局1局に集約されていた常磐線の違いが運用面にも現れたのではなかろうか?(^ω^)
(だから、東京以北初の特急はつかりの運転に際しては、白河まで管轄だった仙台鉄道管理局が
徹底的に本線経由を主張したのにもかかわらず、常磐線優位は動かなかった)