09/10/13 02:15:10 JebNET+t0
>>299
この地域の歴史をある程度専門的に調べたことのある立場で言うと、
前近代の東海道において、関ヶ原・鈴鹿以東&箱根以西での最大の難所は、
やっぱり薩埵山(薩埵峠)だと思うよ。
大井川や天竜川は古代や中世の状況を見ても、さほど大きな交通の妨げには
なっていない。
小夜の中山や、あるいは高草山(日本坂トンネル付近)なんかも
難所といえば難所だが、薩埵峠ほどではない。
薩埵峠は南北朝期と戦国期の2度にわたって大きな合戦の舞台と
なっていることでも有名(要は交通を遮断し大軍の通行を妨害しやすい)。
また室町~戦国期に駿府を本拠地にした今川氏が、遠江・三河方面へは割と
スムーズに勢力拡大していくのに対し、薩埵峠より東の富士郡・駿東郡への
支配はなかなか安定しないことも、薩埵峠がかなり大きなネックに
なっていることを物語っている。