09/10/18 20:15:09 ixTqiGch0
東海道新幹線が開業して1年後、
富山の経済人から、東京と新大阪を北陸経由でつなぐ
「北回り新幹線」の構想が提案される。
東海道新幹線の代替路線ということで、
当時の総理大臣佐藤栄作や大蔵省の官僚からも注目を浴びる。
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田中角栄登場。「列島改造論」で日本全国に新幹線を敷くべきと主張。
「上越新幹線」は行き止まりルートで「北陸」よりも採算がとれないと見なされていたが
1時間足らずの鉄道建設審議会において着工が決定。北陸新幹線は後回しになった。
全額国負担で上越新幹線が造られ、後に国鉄の巨額債務として国民の税金で賄われることになる。
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もともと北陸人は鉄道で東京へ行くとき、米原経由で東海道新幹線を利用していたが
上越新幹線開業後、東京まで中途半端に時間短縮されたので
長岡経由で上越新幹線を利用するようになった。
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新潟人は上越新幹線が北陸にも恩恵を与えたと大々的に発表。
これに味を占めた新潟県は、国鉄時代に赤字ローカル線として
建設が中止されていた「北越北線」を第三セクター方式の「ほくほく線」として開業させる。
北陸人を越後湯沢経由で上越新幹線へ誘導させた。
北陸人が東京へ向かうたびに新潟県に金が入るのであった。
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つづく