09/05/25 20:40:40 lZQEhdoY0
>>302です。
>>309
昭和50年頃の記憶(私が小学生の頃)ではすでに荷物車(合造車)は連結されていなく
オハフ61+オハ61×4+オハフ61の6連でした(盛カマ所属)
その後スハフ42やらオハ46、オハ47に置き換わり、5両に減車され終焉を迎えたのでした
冬場は客車から立ち上るSGの白い蒸気が印象的だった...
でも43系の客車に置き換わったときは子供ながらに喜んだ記憶がありました
(東北本線系はオハ35やスハフ42が早くから走っていたから)
オハ61系に乗ったときは背ずりが木製でニス塗りだった記憶があった気がしてます。
オハフ61は東北本線の客レにも使用されていたようでしたが、あのイコライザー台車で
90km/h程度で吹っ飛ばして走るからものすごい乗り心地だったらしい。
>>312
釜石製鐵所の社線が撤去された今では無理で妄想でしかない考えですが
今釜石港の公共埠頭からトヨタ自動車の積み出しや積み卸しをやっていて
国道283号はキャリアカーが毎日頻繁に走っています。
昔だったら車運車で鉄道輸送という手もあったのでしょうが...
新しい仙人峠道路も出来て冬場の走行環境もよくなった今、ローカル線の
貨物輸送の復活はゼロなんだろうなぁ、おまけに景気が悪くて
キャリアカーで運ぶ回数も減っているようだし
昔の釜石線の貨物列車はDD51が10両程度の雑多な貨車を引くローカル色色濃い編成でした。
車掌車も「ヨ」ではなく長らく「ワフ」でしたし。
ただ釜石製鉄所へ鉱石を運ぶホキ編成は独特でしたが。