09/05/06 21:49:07 M8ImWtbe0
>>309
東山線開通にともなう千種駅移転当時はまだ非電化だったので、そこまで重要な存在ではなかったんじゃないかと思う。
当時はむしろ名鉄バスが春日井方面の輸送の主体だったらしい(生まれてないので聞いた話)。
電化後高蔵寺NTの開発で通勤客が急増したことで、徐々に都市型ダイヤへの姿と変わった。
だが、国鉄時代なのでそれも緩慢としたペースで、JR移行直前にようやくある程度の形になった。
高蔵寺が起爆剤になって春日井勝川地区も中央線を本格的に使うようになり、多治見方面へとベッドタウンも伸びた。
その頃は名古屋市内の用務で中央線使うなどあり得ないことで、ほとんど地下鉄や市バスだった。
本格的に市内輸送への足がかりを掴んだのは、実質的にはナゴヤドームの完成により当初輸送の主役になったことがきっかけだった。
ここで都心部短絡線としての中央線の役割がようやく認識され、この用途での利用が増えていった。
だがバブル崩壊直後で高蔵寺多治見方面の利用者が減少しつつある状況に目を奪われ、快速をCL置換えという判断を東海はしてしまい、輸送力整備を怠った。
やっと現実にダイヤが追いついたのが昨年春の改正。
路線をめぐる状況の変化に気が付くのが、東海は遅い感じがする。
短距離だから儲からないだろうぐらいの感覚だったのかな。
某中年にならって長文書いてみたw