09/06/12 09:59:43 RKwnAtPp0
>>536です。>>539様の完答に感謝します。
今から見れば不思議な事も多くて④なんか、2地区で軌道線を持ってる南海が鉄道線(と新設軌道)
主体の同業他社と比べ見かけの数字が低くなるのは当然なんですけど、新聞ではぼろくそ言われて
ました。和軌も70年時点でワンマン化とかしていれば数字は一遍に好転していたと思いますが、
合理化は意地でも呑めないのが時代なんでしょうな。上町線のワンマン計画も5年早かったらどう
なっていた事やら。⑤も時代を痛感します。
軌道線の客減らしを進める一方で鉄道線で受け入れ対応をしていたかというと真逆でして、当時は
泉北の開通と東線の廃止とかもあって本線も高野線も普通車各停の利便性は極端に劣化して今日に
至る。だからあんまり高速鉄道とかいう印象もありませんな。通勤客の足がどんどん長くなって
いった時期なので仕方ない面もありますけど。だったら近距離客を軌道線に流せばと今日の感覚で
は思うのだけれど、当時は通勤地獄(死語か)が延々続くと思われていた世の中で、近場の定期客は
地下鉄でもマイカー相乗り通勤(これも死語か)でも流出大歓迎な雰囲気でした。
70年代、貨物と軌道は完全に粛清対象で、90周年記念史では問題児みたいな言われ方してますなw
前時代の罰ゲームのままで今の阪堺電軌はよく健闘してるとも思います。ええかげん復旧しろよと思い
ますけど、川勝時代の足カセは外部からの力でないと外せないものかもわかりませんな。
>>541は>>543様の言う通り
出向(南海在籍)のベテランが多かった頃、結果的にそういう状態の人が何人か居た話に尾ヒレがついただけ。
それも解消してだいぶ経つと思います。今の若い運転士さんはみんなプロパですな。駅に
求人が出た時に見てごらんなさい。みんなようがんばってはると思いますわ。