09/01/22 23:20:58 KgpllerX0
歴史の話をすれば山陽電鉄の輸送量のピークは1971年
1972年に山陽新幹線岡山開業に伴う新快速の大増発。1973年に第二神明の4車線化、
第一次オイルショックによる沿線工場の人員削減も追い打ちをかけて、1975年にはピークから20%以上の減になった。
1971年といえば国鉄のマルセイが失敗し、これ以降国鉄の職員は「ありがとうございました」すらいえなくなった。
順法ストも繰り返され、翌年からはマスコミの国鉄叩きが本格化。
こういうときに、国鉄への乗客の逸走を招き、それまでの輸送量を今日まで回復できていない山陽電車って・・・