09/07/28 05:52:03 YdTMJm3C0
「奥」というのは、字義的には、「最後」「最も深くて神秘的な所」「末尾」を
意味しており、そうした空間的意味のほかに、心理的な意味もある。
こうした「奥」の特性を「最後に到達した極点であり、そこに到達するプロセス
にもドラマや儀式性があり、見えざる中心である」と説く専門家もいるほどだ。
その具体例として、東京の要人は、人車鉄道時代や、そのさらに以前の陸路未開の
時代から、保養や会談のために、遥々、熱海に訪れ、そこに極点と安堵を求めていた。
当時の交通事情を考えると、その道程は長いものであったが、そこに到達するプロセスに
ドラマと悦びを求めながら、熱海に足を運んだ。
それはいわば一種の「儀式」と化し、経済・交通が発達するにつれ、多くの東京人に
共有されるようになっていった。
「特急踊り子」「東海道グリーン」を利用した熱海への小旅行などは、近代化された現在
におけるその良き「名残」である。いや、名残というより、継承され続けている、儀式的な
伝統というべきだろうか。
独りまったりと小酒とつまみを片手に車窓を眺めながら、あるいは複数人で会話を愉しみ
ながら、そこに喜びや儀式を求め、到達点に安堵を求め、日々の疲れを癒す。
それは、東京方から見て「こちら側」と言える西限たる地である「熱海」であるからこそ、
成り立つのであり、残念ながら、熱海と違って修善寺にはそうした「奥」としての性格を
感じ取ることはできない。
熱海と修善寺の違いは、名古屋方から見れば、浜名湖と寸又峡の違い、大阪方から見れば、
白浜と芦原温泉の違いに相当する。