10/04/27 18:43:40 kxJJoAbW0
>>978
昔日本に来てたらしい渡来人っていうのは、
その呉から渡ってきた人々なんじゃないかなあと思ってる。
あと昔の書き込みでこんなのが
50 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
魏略に「倭人自ら太伯の後と称す」とある。太伯とは呉の開祖で、周の文王の兄。
倭王武の上奏文では、三司を開府したとあるが、これは周の職制のこと。
日本を「東方姫氏の国」とも言うが、「姫」氏は周王の姓。
そんなこんなで、林羅山などは皇室の姓が「姫」氏であった可能性を指摘した。
【2001.12.23毎日新聞 天皇陛下御誕生日の合同インタビュー記事】
「私自身としては,桓武天皇(在位781-806年)の生母が百済の武寧王の
子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招聘されるようになりました。
また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。 」
URLリンク(inoues.net)
百済王は倭人との混血を繰り返しており事実上倭人。
ちなみに百済と現在の韓国人とは文化的にも遺伝的にも無縁の異民族。
→韓国人は百済など周辺民族が残した文化遺産を、さも自分の文化であると詐称し、
日本に教えてあげたと日本を見下す小中華思想に染まって歴史を捏造妄想している、
単に最後に流れてきた、日本人の直系とは全く異なる民族。