10/04/26 07:11:14 bMw2F/9x0
>>781
書きませんでしたが、私がメッセージ的なものだと受け取ったことは、
善悪も好き嫌いも超越したところに愛はあるんだ、ということでした。
私はあの時、ずっと苦手だった家族に対して
なんの劣等感もわだかまりもこだわることができないくらいに疲れきっていて、
そんな心の壁がまったく作れない状態でその家族を素直に愛せたらああなりました。
だから、認めたくないことすらありのままに受け入れてみることはきっと必要だと今も感じます。
ただ、私にとって必要な考え方が他の人にとってはどうかはわかりません。
多分、その人が一番愛を認識しやすい捉え方があるんだと思います。
>>782
他の方も言われてますが、何が誰に必要とされるかはわかりません。
私は、もしかしたら救いのきっかけになるものと救われる人には相性があって、
何によって救われるかは人によって違うのではないかと考えているので、
真も偽も関係なく、きっかけとなる存在はたくさんあって良いのではないかと思います。
この世で悪いとされるものは、まともに考えれば無いに越したことは無いはずですが、
もしも魂があるとすれば、もしも魂に成長する必要があるのだとしたら、
悩みの多い道を選ぶ人は悩む必要があったからなんじゃないかと思いますし、
憎しみや無関心を経験する人も必要があったからなんじゃないかと思います。
そんな経験をさせずとも、愛によって救うこともできるはずとも思いますが、
もしかしたら人によっては、その人自身が心の底から愛する為に、
その準備として絶望が必要なのかもしれないとも思います。
>>786
私は、一人という状態を経験する為、そしてどれだけの人を愛し、許せるかという練習のためだと思います。
自分や好きな存在だけを特別扱いできるのも、生きている今だけだとも思います。
>>799
>悪もふくめて私はこの世界(地球だけではなくもっと大きなものも含めて)は何一つ余計なものはないと思います。
私もその通りだと思います。