10/04/01 01:14:32 f838tCqL0
ふと、こういう思考も出来ます。
人間淘汰の時期として、篩にかける下準備に、そぐわぬものから心を殺し
社会を揺さぶり、動いたものから殺していこう。的な流れも生まれているのでは?
生死は善悪で測れませんし、なにより、人間の善悪と理の善悪が一致するはずもなく
そもそもの善悪観念は、人間が作り出したものですしね。必要なのですが
それが全てに生かされて居ると言うのこそ、錯覚なのですよね。
精神世界云々以前に、自然界では、殺生に悪は存在しません。
殺すか殺されるかの場面と喰うか食われるか、に占められているからこそ
野生の勘とも言うべき能力もあり、各々に進化とした特徴的身体能力もあるのですよね。
総体的に大局に物事を見れば、人間の価値観が人間のみに適応されている現実に
気付きそうなものなのですけれど・・・。ヒントはこんな離溢れているのに
見様ともしないのは、それはもしかしたら罪なのかもしれませんね。
業と言い換えた方が分かりやすいかもしれませんね。
よき事がよき事を生み出すとは限らず、悪しきが邪とも限らず、聖が浄とも限らず。
なれば、自己と言うものをより強固に求め固め守り進め、歩むしかないですよね。
自分で自分の見出した道を。
ま、やはり、シンプルに生きるという結論に至る訳なのですよねw