10/04/12 17:59:21 hzCHK0t40
まず、江戸時代はあくまで各大名が各々の領地を「国」として治めていたのを
徳川家がTOPにたって纏め上げた後の時代であって、それ以前の戦国時代
も各国ではきちんと制度ができあがっていたことや、歴史なんかで習ったと思うけど
武士や公家などの職種は鎌倉・室町、ひいては平安時代からあって、江戸時代より
前だからといって別にカオスな世紀末世界だったわけじゃないというのはお判りだと
思う。
あとね、インドのカーストと違って日本の身分ってやつは上下移動が意外と可能だったり
するのよ。なぜならばインドのカーストは「生まれ」で決定されるのでその後の生活とかで
替わるということはない(インドの特殊な不可触賤民に関してはこのかぎりではないけどね。
トランスジェンダーの巫女的カーストとか)けども、日本においては士農工商間の移動は
経済的な理由やコネ的な理由をクリアすれば可能だったのはいろいろな事例が明らかに
なっているよ(決して簡単というわけではないれどもね)。
先にあげてある豊臣秀吉なんかはこの経済的理由とコネの面をクリアしてさらに自らの才覚
があったということなのでしょうね。
またこの士農工商という言葉自体も良く誤解されているけれども「身分の貴賎の順番」とか
そういう意味ではなくて「世の中には大きく士と農と工と商の4つの職業に分かれる」という風に
並べられているにすぎなかったのを、戦後の同和教育などの一環で「士農工商エタ非人」と
書いて、さも職業貴賎のランクをといたヘイトスピーチとして広めていったという経過がある
から江戸時代になってエタ・非人のカーストが定められた・・ではなくて江戸時代までにあった
士農工商に含まれない職業を生業にしていた人たちのなかでエタや非人といわれる人たちが
いたというのが正しいのではないかな。