10/02/02 13:13:03 KleQH2mt0
此の巻は雨の巻ぞ、次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、
事分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。
役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民 皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、
待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、分けあってやれよ、手握りてやれよ。
石もの云ふぞ、十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。神の仕組の世に出でにけり、
あなさやけ、あな面白や、
五つの色の七変はり八変はり九(ここ)の十々(たりたり)て
百千万(ももちよろず)の神の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のかミ。
※日月神示は各々の魂相応のものとして読み取れる仕組みになっています。
「意味を集めた言葉」「意味を重ねた言葉」を多く使っているからです。
ですから、どこまで「分けれるか」によって意味が異なるのです。
礼拝に必要な部分だけ意味を分けます。
>先づキ整へて
そのまま「気を整える」です。
ただし、キは「呼気」と「霊気」の事を指します。
呼気は肉体の気、霊気は精神の気、とでも言いましょうか。
整う(平静)、上がってもいない、下がってもいない状態です。
「間」「平」の状態です、肉体的にも精神的にもリラックスしてください。
>暫し目つむり心開き一拝二拝八拍手せよ
「閉じる」と「開く」は対になっていますね。
よって、
目が「閉じる」と、心が「開く」
目を「開ける」と、心が「閉じる」
となります。
すると「心開く」の真意が深く伝わってきます。
正確には「半閉じ」「半開き」ですが、これは以前述べた「意識の半クラッチ」です。
所謂瞑想状態と言った方が早いかもしれません。
瞑想のように、視覚以外にも可能な限り五感を閉じる(遮断)と、より心が開く(あの世に近づく)でしょう。
完全に閉じると涅槃に至ります。