10/02/01 23:09:46 y44S9kWx0
>>769 768だけど、唯識と云う概念があって、自分にはそれがしっくり来るよ。
それとは直接、関係の無い話だけれど、誰かが神秘体験をしたとするよね。
その体験の中で、神の使いかと思うほどの神々しい存在にあったとする。
その現象を起こさせているのは、何かと云うところなんだよね。結局、心と云う装置は
色んな信号を受け取る無線のような受信機だと思うよ。何か信号を受け取っても、何か雑言を
聞いても、それほど影響されない人も居れば、発信者以上に振れを起こす人も居る。
じゃ、何がその差を生んでいるかと言うと、感応される似た心を秘めているかと言う事なんだと思う。
そして、その同調される心は、時折、神秘体験と云う幻も生むのだと思うよ。果たして
神や神の使い的な存在が居るかどうかは証明が出来ない限り、信じてしまう事も偏ってるし、嘘だと言う事も同様。
でも、もし、タイプの違う人間と神の使いとを同じカテゴリで考えた場合、やはり認識した時点では、確かに存在し、
また、認識出来なくなった時点で(思い出せなくなった時点で)、その存在は居ないのと同じ、と言う風に考えている。