10/01/30 09:43:53 hDansrJ/0
>>666
昨日は途中で寝てしまい失礼した。
無が有になるについては、以下のような方式で述べる。
「無」とはテーブルであり、「有」とは料理であると考える。
そして、神という給仕がいる。
→無というテーブルの上に、有という料理を「載せていく」=満たしていく
「無」とはキャンバスであり、「有」とは絵の具であると考える。
そして、神という画家があいる。
→無というキャンバスの上に、有という絵の具を「塗っていく」=満たしていく
「無」とはコップであり、「有」とは水であると考える。
そして、神という注ぎ手がいる。
→無というコップの中に、有と言う水を「注いでいく」=満たしていく
「何も無い」から「何かが存在できる」
相反する極は相互に補完し合う。
その様を空気と水の狭間に現れた水面に例える。
水面とは、空気と水の狭間にあるものであり、水面をつまみあげる事はできない。
では、水面とは空気なのか?水なのか?
水であれば、水だけで存在できるか?否。
空気であれば、空気だけで存在できるか?否。
どちらが一方だけでは水面は存在できず、相反する極がお互いに補完し合う事で「水面」という真理・境地が観れる様である。
これは、善悪、男女、陰陽、全ての相反する属性にあてはまる。
「有無」とは「産む」事。
ウだけでは産まれず、ムだけでは産まれない。
真理は見ようとしても見えない。
見るのではなく、観る。
観るためには二点観測が必要である。